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漫画学とドラマ理論第4回

第4回「マガジンとジャンプは初めから違う」
① 単行本の売れ方の違い

 1986年に私の上司と一緒に月刊マガジンから進駐軍と罵られながら立て直しに行きました。その際、上司とジャンプは調べています。おかしなことに気が付きました。ジャンプは450万部、マガジンは150万部なのですが、「北斗の拳」を除くと単行本の売り上げがジャンプとマガジンの単行本の売り上げが変わらないです。毎週450万部出しているのです。もっと売れていないとおかしい。
 ある時営業が持ってきたデータで気が付きました。下記のような単行本の売れ方なのです。だいたい漫画の単行本というのは減少関数的になるのですが、ジャンプの単行本の売れ方のほうが巻数を追うごとに減少幅がマガジンに比べたら大きいのです。よって第1巻がもすごい部数であっても10巻とか20巻という単位で見ると総部数は意外と少ない。

単行本売り上げ傾向

② 「雑誌至上主義のジャンプ」
 雑誌を伸ばすのが至上命令なのはこの頃は当たり前なのですが、ジャンプはそのため作り方が元々違うのです。もちろんすべてではありません。しかし毎回毎回の人気を気にするあまり派手にしすぎて来週どうするんだろうと、読んでいるこちらが心配なっちゃうのです。
 派手というのはかなりぶっ飛んだことをやるわけです。そうすると次回はもっとぶっ飛んだことをやる。中には収拾がつかないマンガまで出てきたのです。そしていつの間にか終わるというパターンが多いのです。だからジャンプの作品名は知っていてもラストシーンを知らない人が多いのです。「北斗の拳」のラストシーンを知っている人はマニアです。だいたい「えーっと、どんなんでしたっけ?」という反応をします。
毎回毎回の人気アンケートを気にすると、リアルにジックリ見せることをしなくなるようです。

③ 「元々マガジンとジャンプは漫画の種類、作り方が違う」

1986年当時の下のような図を広告代理店が作ってきました。当たっています。その通りです。

マガジンとジャンプの作品傾向


 前述したようにジャンプは1980年前からかなりぶっ飛んだ設定の漫画が多いのです。これは毎回毎回の人気を気にする結果、作り方までマガジンと違ったベクトル方向になったのでしょう。その方向にどちらも進化したと考えるのが普通だと思います。

④ 「巨人の星」と「あしたのジョー」の遺伝子濃厚だったマガジン

 この2作品はマガジンを変えたというより、漫画市場を変えた作品です。それまでは雑誌で儲けを出すのが漫画雑誌のビジネスモデルでした。また当時は雑誌で一度見た人が単行本なんか買わないと編集部も思っていました。この2作品以前はほんの数万部しか出していなかったし、それぐらいしか売れなかったのです。主として貸し本屋(こういう商売が昔はあったそうです)さんが買っていた。

 ところがこの2作品は第1巻が50万部ぐらい一気に売れたのです。50万部ぐらい結構あるじゃんと今は思うでしょう。当時つまり1970年頃単行本は220円です。「あしたのジョー」の第1巻がそうでした。ここで物価上昇率を考えると約8倍になります。つまり当時の220円は現在の約1700円です。要は今よりかなり高かったのです。コーヒー一杯50円の時代ですから。それが50万部です。現在マガジンやジャンプの単行本の価格は確か450円ぐらいでしょう。これが最低年3冊出たわけです。だから凄いのです。

 そこから、つまり1968年ごろから漫画雑誌のビジネスモデルは、雑誌で儲けるのではなく、単行本で儲けるに変わったのです。それだけではなく漫画というのは何巻になるかわからないがラストシーンで完結しないといけないような雰囲気が出てきました。それは理想です。例えば「あしたのジョー」は24巻で完結ですが、24巻で物語が大河ドラマのようになっています。24巻全体で起承転結がなされています。これは物語に、難しく言えば「思想性」や「メッセージ性」がないとなかなかうまくはいけません。しかしマガジン編集部にはそれが一番いい漫画だという雰囲気はありました。
ちなみに「あしたのジョー」のラストシーンは誰でも知っています。「巨人の星」のラストシーンも割り方知られています。この頃の梶原一騎さんの漫画は24巻なら24巻で一つのドラマが終了しています。古老に聞いた話ですと、第1話の打ち合わせをしていたら最終話の話をしだしたそうです。梶原さんは最初から大河ドラマにするつもりで仕事をしていたということです。よって「巨人の星」も「あしたのジョー」も第1巻と最終巻の売り上げがほとんど変わらないのです。
この遺伝子が濃厚にマガジンには残っていました。もちろん全員が感じていたわけではありません。しかしラストシーン、最終話はかなり気にしていました。後年になりますが月刊少年マガジンで「遮那王」という漫画をやりました。最初の3話分の絵コンテを会議に出して新連載が決まった後、漫画家の沢田君と激論になりました。周りの人がキョトンとした顔になります。最終話の話をしていたからです。
「初めがこうだから、最終話はこうなるべきでしょ」
「いやあ、違うと思うなあ」
なんて話をずっとしていました。これが典型的なマガジンの作り方です。

⑤ 「漫画家などに対する指導も違って当然」
 何しろ違う種類の漫画を作っているのですから、指導も違うのは当然です。言葉は悪いですが、どんどん派手にしてインフレ状態になって、アイディアが出なくなったところで終了のジャンプとは違って当然なのです。
 すごく極端に言うとジャンプはハリウッド映画、マガジンは松竹や東宝なのです。どちらにも市場があるのですから、それいいのだと思います。最終的にジャンプ653万部、マガジン450万部までほぼ同時期に達成したのは、それぞれ違う市場を狙ったからだと思います。
 梶原一騎さんは偉大でしょう。下の写真は「愛と誠」の全原作が載った貴重な本です。参考までに載せました。私の個人的コレクションです。

梶原一騎原作集写真

⑥「徹底したアニメ化で、ジャンプの単行本は売れました」

 ジャンプも単行本の減少関数の傾きが大きいことを気付いていたと思います。とにかくアニメになる漫画がやたら多いのです。そうやってある種、力づくで単行本を売っていました。皆さんも合点がいくでしょう。「鬼滅の刃」を思い出す人も多いかと思います。現在もよく似ているでしょう。

 ジャンプは元々テレビ局に強いのです。「ドクタースランプ アラレちゃん」はフジテレビです。フジテレビは他局と違って、アニメでも視聴率を取りに行く局です。これは昔からの方針です。他局は、フジほど熱心ではありませんでした。有名な話ですが「アラレちゃん」をアニメにしたくて当時の編成局長日枝さん(のちのフジテレビ社長)が直々にジャンプにお願いに言っています。普通あり得ない話でした。そして大成功です。

 スポンサー料を高く設定できないからなのか詳しく知りません。21世紀に入っても他局の中には明らかにアニメ部門を下に見ている局もあります。やはりドラマ部門のほうが重要と考えていたのでしょう。

 某テレビ局のアニメ担当部長と話していると、漫画やアニメのことをほとんど知らない。こちらとしてはアニメ化してほしいのです。結局「〇〇君にきいてくれ」と言い出す始末。その〇〇君は一番下っ端で、この人が実質決定していました。部長や課長が一番若い人に、いい方は悪ですが丸投げです。

 フジテレビは全く違うのです。編成局に遊びに行くと、部屋中漫画雑誌と単行本がぎっしりと詰まった本棚に囲まれています。このフジテレビと簡単に言うとジャンプおよび集英社とは仲がいい。強力な紐帯です。

 講談社はテレビ局の弱かったのです。だからアニメ化が決まっても絶対に文句は言うなと上司に言われていました。台本に不満があっても我慢していました。アニメになるだけめっけものだったのです。以上の経緯でジャンプおよび集英社はどんどんアニメ化を進めていきます。これが単行本の売り上げ急上昇に直結したのは間違いないのです。

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