「女性としての幸せ」は、「人間としての幸せ」

「女性としての幸せ」

私はこの言葉に違和感しか感じない。

レスリングの吉田沙保里選手の引退について、連日ニュースで取り上げられている。そこでよく聞くフレーズだった。

あとは、「女性の先輩として聞いておきな」というフレーズもどこか引っかかる。「女性ならではの悩み」に、結婚、(出産ばかりはどうしようもないが)子育て、キャリアとプライベートみたいな類のことが、カテゴライズされることに疑問を感じる。どこか引っかかる。

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「女性としての幸せ」ってなに?結婚して家庭を築くこと?いい旦那さん見つけて幸せになること?子どもを持って、ワークライフバランスよく働くこと?仕事もプライベートも充実させること?

一方で、「男性としての幸せ」なんて言葉はめったに使わなくとも、「男として」とかはよく聞く言葉だ。「男としての幸せ」とか「男としてどうなの?」とか。

「女性としての幸せ」が上のようなものなら、「男としての幸せ」は、楽しく仕事して、出世すること?たくさん働いて稼いで、結婚して、家にお金を入れること?

「女性としての幸せ」も、「男性(もしくは男)としての幸せ」も、「女性」「男性」としての幸せの前に、「人間としての幸せ」である。

男女という二項対立でみると、結婚や家族がどうしても前にでてきてしまう。けれど、家庭を築いたり、子どもを持ったり、楽しく仕事をしたり、ワークライフバランスよく働いたり、仕事もプライベートも充実させることって、「女として」「男として」以前に、人間が幸せと感じるものの要素なんじゃないだろうか。

勤務先のスクールでは、「主婦・ママクラス」というWebデザインを学ぶクラスがある。新規事業プレゼンのとき、「主婦・ママクラス」を「主婦/主夫クラス」にしたいと提案したのも、この考えが根底にある。

「女性が子育てをして、働き方を変えなきゃいけない」という風潮自体に違和感を覚えるし、「いやいや、男も家事も子育てもして、働き方変えろよ」と思う。「女性として」「男性として」の以前に、「子育て」や「家族」という共同プロジェクトなんだから。

「父親も母親も同じように忙しい共働きだからこそ、家事も子育ても、基本的にはやれるときにやれる方がやる、ただそれだけのシンプルなルールでやってきた」。

という共働きの家族もいた。
それでいいと思うし、そうあるべきだし、自分もそうしたい。

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まとめると、「女性としての幸せ」がどうのこうの言うけれど、それでたいてい指されることは「女性として」の前に「人間としての幸せ」であると言うこと。人間として幸せになろうぜ、ということ。

女子校だった高校で、「女子力は人間力だ」と言った数学の(男の)先生もいたなぁ。みんなしばらく言っていた。あれは心にずしんとくる、名言だった。

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