あの時を失敗とは言いたくないけれど

けど、失敗だと思う。

だって分かりやすい結果が出ている。受験というものは、試験というものは合格・不合格が決まるもので、私は不合格だった。それだけ。

現役で第一志望の大学に合格できず、浪人して合格できたのはいいものの、大学1年生の10月くらいから全てに対して無気力になりその結果単位を落としまくった。

その全てに関係しているのが、高2の秋から精神的に不安定な状態が続いていることだ。ちょうど進路選択という大きい決断をしなければならない時に、不安定な時期がかぶっていたのである。

精神が不安定だろうと時間は待ってくれない。私はもがきながら考え、選び、そして決断してきた。自分が納得できる、後悔しない決断をしてきたつもりだ。

ただ、結果は上の通り。結果が全てとは思わないし、あれが全ての選択の結果というわけでもないけれど、あの時を振り返ると考えてしまう。

あの時の選択は正しかったのだろうか、と

 

例えば、

忙しすぎる予定などが原因で精神的に参ってしまった高2の時。

決めたことを投げだし自分を守るのが正しい選択だったのだろうか__自分で決めたことを投げ出したら、自分が自分でなくなるようで怖かっただけなんだけど。それでも、あの時ちゃんと休めていたら今の苦しさはないと思うから。

うつにかかった仲のいい友達の近くにいると決めた高2の時。

そうしたら勉強が手につかなくなることは分かっていた。であれば、友達と距離を置いてちゃんと勉強していた方がよかったのだろうか__友達が悪いと思ったことは一度もないが、そこに使っていた気力を勉強に持っていけていたらと高3の私が思わなかった訳ではない。

浪人してでも行きたい大学に行くと決めた高3の時。

浪人してもギリギリで合格だった不相応な大学ではなく、行ける大学に行った方がよかったのだろうか__だって今もそれで苦しんでいるから。周りについて行けないし、かといって頑張って追いつこうという気力もない状態になってしまった。正直きつい。

大学の授業も課題もすべて無視して、ベッドでただ眠ることを選んだ時。

学ぶことを諦めて、何もかもを諦めて、自分を守ることを優先してもよかったのだろうか__おかげで今の私は追い詰められている。数ヶ月前の私がもうちょっと頑張ってくれてたら、ましだったのに。


あの時の選択を後悔しているような考えが頭をよぎる。

大学受験で不合格だったとか、単位を大量に落としてしまっていることとか、目に見える分かりやすい失敗である。

選択の結果が失敗なら、その選択も失敗なのだろうか。


私は、あの選択たちを失敗にはしたくない。

あの時よりは元気になった今、

私は、"あの失敗があったから"といえる人間になりたい。



とんとろん。