自分のことをおじさんと自虐する20代

先日、大学時代の同級生に会う機会があり、その人が

「俺はもうおじさんだから」

と言ったことがあった。

我々は20代中盤である。


彼は自分をおじさんと自虐する癖が大学時代からあったのだが、先日会話した際に明らかに違和感を覚えた自分がいた。


20代中盤という年齢は正直大した経験もなく、世間的に見ても若いと思う。そりゃ今まで通ってきた10代のような青春のフレッシュさはないかもしれないし、同級生でも結婚するような人たちが出始めた頃ではあるけれど、そういう風に自虐するほど年取ってもないでしょと思う。

別に誰がおじさん・おばさんと自虐しようと好きにすればいいが、自分は自分のことをおじさんだとわざわざ自虐したくはない 。その理由をいくつか考えた。


まず、相対的に見て若い20代という年代で自分をおじさん・おばさんと呼称することで、より年上の人が「じゃあ自分は老人かよ。」と思ってしまう可能性があるため、年上の人を不快にさせたり、その言動が失礼に当たってしまうということがある。(※本来歳を取ると言う行為が悪いことではないことを強調しておく。)

実際、私の同級生が会社の先輩の前で「いや〜もう俺もおじさんっすよ。」と言って、咎められたという話をしていたので、明らかに年上を不快にさせる可能性がある。彼は気付いていなかったのだろうか。


次に自分をおじさん・おばさんであると自虐することで、それが暗示となって自分の行動に影響を与えてしまうということだ。自分は歳をとってしまったため、頭が固くなって、新しいことができなくてもしょうがない、自分よりも若い人間に負けてもしょうがないと一つの言い訳に使ってしまう可能性がある。それによってチャレンジする気力を失って、改善するということができなくなってしまうのではないかと思った。


もう一つはあんまりにも自分をおじさん・おばさんと呼ぶことが、一つのマウント的要素を伴うと思うからだ。私と同級生の状況では同い年なのでそのような意味で言っている訳ではないのだが、これを年下に言ったと考えてみよう。

自分よりも若い人に対して「自分はおじさんだから。」ということは、「自分の方が年上である」という上下関係を再認識させる効果が発生する。

似たような状況として、大学に入ってきた新入生に対して、

「いや〜、新入生って若いよね〜!」

とせいぜい1〜3歳程度歳上の上級生が言っているパターンがある。全員20歳近辺なのだが正直滑稽な状況である。

これは下級生に対して「若い」と言うことによって自分たちが上であり、下級生が未熟であるということを無意識的にアピールしているのではないかと考える。年上マウントが働いている状況である。実際には大した差などないのだが。

大学生の「若いな〜」と同様に「もうおじさんだからな〜」は年上であるマウントとして働く。これに「カセットテープなんで知らないでしょ〜。」とまで行けば最悪である。いや、これは僕の考えすぎかもしれないけど。



以上が自分が自分のことをおじさんであると自虐したくない理由である。

考えれば、私の同級生がおじさんであることを自虐していたのは、防衛機制としての働きが強かったのではないかと思う。もうおじさんだからしょうがないと自分を守っている部分があったのだろうと思う。

だからと言って、明らかにおじさんと行って差し支えないような年齢になっても「自分は若い」と思っていたいというわけではない。僕はただもっとフラットに考えていたいだけである。正直年齢はただの数字だと思う。どんな年齢でもかっこいいなと思う生き様をしている人はいるし、どんどん新しいチャレンジをしている人もたくさんいるはずだ。

別にそれは他人が自分のことをおじさん・おばさんと言うことを否定したいというわけではないので、言いたい人は好きにしたらいいと思う。でもそう言う人にあんまり近づきたくなくなってきたのは正直なところである。


このように今思うようになった経緯としては、1浪しかしていないのにやたら年齢を気にしたり、それをネタにしていた大学前半の自分自身への反省にあることは言うまでもない。

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