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自分と向き合うということ。

最近は自分に今、何が起きているのかを、瞑想を通して理解してきたような気がします(なんとなくですが)。

私が認識している『瞑想』とは、さまざまな刺激を受け思考を延々と続けてしまう脳に対して休息をとる時間を設けること。


要は脳に休んでもらうこと。


脳は起きている限りずっと何かを考えているようで、情報が錯綜している現代社会ではなかなか脳は休まることを知らないみたいです。


初めて瞑想をした時、目的はヨガの一環として取り組んでいただけで、重要性もさほど感じていませんでした。


ストレスやホルモンバランスの崩れで不眠症となり休職してからしばらくして、少し気持ちの余裕が出てきたので瞑想でもしてみようかと思い、自宅でヨガマットを敷きやってみました(瞑想用の無料アプリを開きながら)。

自宅には私一人。

安坐し目を閉じ、しばらくしてTVを消してきなかったことに気づき、

ああ、消せばよかったな、立ち上がって消そうかなと考えが巡りましたが、瞑想アプリの音声ガイドのおかげで意識を自分に向け直すことができ取り組むことができました。

途中、気が散り注意が違うとこへ向き、そのまま別のことを考えてしまうのが私の瞑想中のお決まりのパターンです。

しかし、音声ガイドをつけていると、脳で考えていることに気づかされ瞑想へ再度集中を戻してくれるので初心者にはありがたいアプリです。よく活用しています。


数日後、いつものように瞑想していた際に、ふと仕事の自分の立ち位置について思い出したことがありました。

パワハラや過労で体調を崩したことも原因の一つで間違えではないのですが、

なんだかんだ言いながら、任されている仕事にはやりがいは感じていて、責任も大きいものであったため頼られていることに悪い気分はしなく、むしろ気持ちよさを感じていました。

倒れた原因も任された仕事に対して最後まで遂行できなかったことへの悔いが強いものと認識してたのですが、

瞑想を通して、それよりも、ストレスに耐えられなかった自分の弱さに対しての悔しい気持ちが強かったことに気づくことができました。

そして気付いたとき、目を開いたと同時に自然と涙が流れてました。

倒れてから、+15日後のことでした。

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その1ヶ月後、瞑想も数日に1回程度の頻度でしたが続けいましたところ、またもや不思議な体験をしました。


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私の両親はとても厳しい人でした。

双方プライドも高く、特に父親は見栄っ張り。

してはいけないこと、やって欲しくないことに対しては手を上げ怒鳴りつける、時には自己都合により殴りつける、、、そんな子育てをしていた親でした。

私は小さいながらも怒られる道理がわからず、不条理を感じた日々を送っていました。

周りの友人の親はどちらかというと優しい方が多く、友人の何人かには理想の旦那さん=父親という子が多かった印象です。

よほどいい父親なんだなと感心していた反面、そういう家庭環境である友人に羨望を強く感じ嫉妬していた時期もありました。


そんな中親より、いい大学に入ったら一人暮らしができることを吹聴され、それ以降(小学3年生の車の中で今でも鮮明に覚えています)それを叶えるために、勉強に取り組むいい子を演じつつ、家庭内での不条理な出来事に耐え忍んできました。。。


いつか自由に過ごせるために、、、と思っていました。


、、、という状況下で育ったものですから、親の前では自分を押し殺し『いいこちゃん』でいることが当たり前であり、現在でも特に父親の前ではあまり話すことはありません(身体が萎縮するため)。

私にとって実家というものは窮屈な居心地であることは変わりないのです。

そして、自分を押し殺すことは私にとって当たり前であり、

自分を出すことはわがままであり、

社会人としてどうなの?

と同僚や後輩に対して感じてしまい、自分の意見をずはずばいえ、希望が通る人には憤りさえ感じていました。

普通はこうなのに、この子は行動が遅い。

順番が違うのではないか。

常識知らずっ!!


こういう考えがいつの間にか私につきまとっていました。

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いつものように瞑想をし、数時間後に就寝しました。

気分障害の症状自体は落ち着いており、前日まで好きな漫画を久しぶりに引っ張り出して過ごしていたので気分のムラなど感じず、どちらかというと気持ちよく就寝できていた方だとおもいます。

夢の中で私は、父親との不和に対し悲しいと感じたことを覚えています。

翌朝、旦那が隣で嗚咽しながら寝ている私に驚きながらも背中をさすって声をかけてくれてました(実際にはさすられていることは認識できていましたが、自分が涙していることに対し気づいたのは起床してしばらくしてからでした)。

そして起きてしばらくは、私も何が起きていたか把握ができておらず、わけわからず泣いていた異常状態に対し、気分障害の症状回復できていないのではないかと不安になり気持ちが落胆していました。

しかし数時間後、親との関わりで自分を押し殺してすごしていたことが、離れた今でも、無意識に自分を押し殺して社会に出ていたことに強大なストレスを感じていたことに気付きました。

そこに気づけたことに対して自然と涙が流れました。

そして身体が徐々に軽くなっていくのを感じました。。


父親との関係性は今でも悩むところで解決しているわけではないのですが、

それに対して『悲しい』という気持ちに気づけたことが私にとっては大きな前進であると感じています。


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瞑想を行うことは脳にリラックス、余裕を与えてくれるようです。

私の体験では、瞑想することで頭の中にあるたくさんの思考がいったん止み、整理され、余白を作ってくれるのではないかと思います。そして余白が生まれることで自分が悩んでてことが見つかりやすくなり、明確化につながり『自分と向き合うこと』ができるのではないかと感じました。


自分のキャパオーバーに対すの悔しさと、親子関係のこと。

この『気づき』は私にとって大きな前進であり、

私が気分障害と今後うまく付き合っていくための大事な手がかりとなる気がします。



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