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ストーリーになぜこだわるのか

Your Verse代表の長谷川です。
我々は多種多様なストーリーに囲まれて生きていきます。神話や伝承などのように古くから物語として語り継がれるストーリーや、漫画や小説といったフィクションのストーリーもあれば、スポーツの劇的な逆転劇や製品の開発秘話のような実在のストーリーなどなど。
そんな「ストーリー」を、Your Verseでは、事業の中核をなす重要な概念として位置付けています。今回のnoteでは、ストーリーをなぜ事業の中核として置いているのか、なぜストーリーが大切だと考えるようになったかを、自分の幼少期からの人生を辿ることでお伝えしようと思います。

幼少期の違和感と孤独。唯一の救いが“ストーリー”だった

私は幼少期から両親や友達など近しい人を含め他人との違いや違和感を感じていました。保育園や小学校で友達と話すとき、自分とは何かが違う、理解されていないという感覚が常につきまとっていました。その感覚は自分にとっては孤独感や寂しさとして認識していました。そんな感覚があったので、小2か小3のころ、もし自分が死んだらどうなるんだろう、親が死んだらどうなるんだろうと「死」について考えることもよくありました。家庭内暴力があったとかいじめがあったとかそういうことは全くなく愛されて育ってきたと思っていますが笑、そういった感覚のあった幼少期はあまり楽しくなかったと記憶しています。

その孤独や寂しさを唯一癒してくれたのがファンタジーなどの小説でした。小学校の3,4年生くらいから『ハリー・ポッター』『デルトラ・クエスト』『エラゴン』『ショートショート』など、ほとんど毎日何かしらの小説を読んでいました。そして、そこに書いてあることは私の感覚にフィットするものが多くありました。例えば、魔物が出てきてみんなが一致団結して戦う展開が面白いと思ったし、主人公の感情の揺れ動きや、登場人物の苦悩に臨場感を感じていたんですね。いまだに記憶に深く残っている物語の一つに『ダレン・シャン』があります。吸血鬼になっちゃう子と吸血鬼になりたいけどなれなかった子の話なんですが、吸血鬼になれなかった側の気持ちやなった側の気持ちにすごく共感して、面白い、人間っぽいと感じていました。「生」のことに触れている感じがして、その世界にのめり込んでいました。現実よりもファンタジーの世界にリアリティを感じていたと言っていいと思います。現実世界は自分の感覚にフィット感がないけれど、小説の中にあるものにはフィット感がある。そういう感覚でした。

野球を本気でやれる仲間と出会いから、現実でも違和感を抱えず生きられるように

小学校まで、現実の世界よりもファンタジーの世界にリアリティを感じていましたが、中学生になって、大きな変化が訪れました。野球を本気でやる仲間に会えたことです。

野球は小学生からやっていましたが、親にやらされていた感覚が強く、自分が積極的にやりたいことではなく、自分事ではありませんでした。ですが、中学生になった時、自分とともにピッチャーとしてダブルエースになった同級生が現れたことをキッカケに変わっていきました。その同級生は、いわゆるヤンキーでしたが、野球のことになると本気で自主練もしていて、本当にうまくなりたいんだと思える人でした。
そんな彼と全体練習が終わった後に一緒に走り込みをしたり、朝練を一緒にやったりするなかで、初めて「同じ感覚で生きられる人がいるんだ」という実感を持ちました。それまでの孤独感が薄れ、共に努力する仲間とのつながりから生きる意味を感じることができた。ファンタジーの世界でしか感じられなかったリアリティが、現実世界でも感じられるようになりました。この経験は、現実の出来事ではじめて、リアルさを感じ自分のものだと感じられる経験でした。

自分がフィットできるストーリーとの出逢い

大人になってわかってきたことですが、自分にとって「共感できるかどうか」「共有できるかどうか」が重要だったのだと思います。ファンタジーにしても野球にしても、そこには、自分の中の何かにフィットしていてリアリティが感じられた。逆に、それを感じるまでは、親も周りの友達が話すことや自分に対して向けられる好意や怒りも含めて、あまり理解できなかったのだろうと思います。

野球を通して得られたのは、自分がその物語にちゃんといるという感覚。それまでは、誰かの人生や物語を自分は生きている感じで、所有感がなかったんです。だから本気で野球ができる仲間と出会えたとき、自分が自分の人生の物語の真ん中にきた感じがした。その物語に出てくる人もちゃんとフィットした人、登場人物として認識できる人が初めて出てきた感覚がありました。

与えられたストーリーやロールではなく、自分のストーリーを選び生きる

それから高校まで野球一筋だった自分は、大学生になって「このままどうしたいのか?」と迷う時もありましたが、以前のnoteにも書いた通り、ビジネスが情熱を傾けられる対象であると思うようになりました。それが起業後の今にもつながっています。そして、今のほうが圧倒的に生きやすい。その理由は、お客さんや仲間とストーリーを共有しているから。背景や考え方、価値観が根っこの部分つながっていることを感じられることが非常に大切だと思ってます。

そういう観点で、セルフストーリーチャート(私が起業するきっかけになった自分史を書くセッション)を受けたときの感覚がまさにそれでした。自分の中の浮いていた人生というのがちゃんと自分の等身大になった感じだったんです。

今までは、「誰かにならなきゃいけない感じ」があった。たとえば、野球を真剣にやっているならプロ野球選手にならねばならない、クラスの人気者でいなきゃいけない、早稲田のエリートでいなきゃいけない、お兄ちゃんでいなきゃいけない。それはロールそのものであって、誰かが用意したストーリーの配役を生きなきゃいけない感覚がすごく気持ち悪くて、セルフストーリーチャートで初めて、ああ、そうじゃなくていいんだと思えた。それはあくまで役割としてやっていただけで、私は自分の人生をこうやって生きて、自分で考えていいんだということがわかった。これは凄いと思ったんですよね。

誰かのストーリーに嵌るのではなく、「自分のストーリー」を紡ぎながら生きられる世界をつくりたい

ここからは、ストーリーを起業してまでなぜやりたいのかをお話しします。その大きな理由の一つは、工業化社会を完了させるフェーズがきたと思っているからです。産業革命、工業社会と時代が進んできて、いわゆる標準をつくり、そこに人を当てはめることで生産性を高めて社会を豊かにしてきた。つまり、単一のストーリーにみんなをはめた方が社会として発展しやすかったということだと思います。たとえば大学に行かねばならないとか、いい会社に就職しなくてはならないといった、大量生産を前提としたいわゆる常識観とか、教育観。確かにこれまでの社会では、その方が幸せになる確率は高いのだと思います。

そうして、社会が豊かになった結果、先進国に住む多くの人は食べ物や生活必需品がなくて困るということは、かなり少なくなりました。そうして、工業化社会の目的がほぼ達成し、終焉を迎えはじめている今、いまだに困っている人を助けるまでを完了させて、次のステージにいくべきタイミングがきた。それは、工業化社会のもとで生まれた「こう生きたら成功」すなわり「こう生きなければならない」という神話=ストーリーが終焉を迎えつつあるということでもあると思います。私は、その先にあるのが、自分の中から多様なストーリーを見つけたり、たくさんのストーリーの中から参加するストーリーを選ぶ社会だと考えています。そんな風に社会の偏ったストーリーさらシフトさせていきたい思ったとことが、事業を通して自分のストーリーを生きられる人を増やしたいと私が考える理由であり、Your Verseがストーリーにこだわり続ける理由です。

最後に。あなただけのストーリーを紡いでほしい。自分が生きたいストーリーと出逢ってほしい。

ここまでお読みいただいた人は、何かしらの今の人生に違和感がある方も多いかもしれません。そこには苦しさがあると思います。
ですが、ストーリーは、誰にでもあるもので必ず出逢えるものです。
あなたがいいなと思うストーリーを見つけて、愉しい人生を送るためのキッカケにこのnoteがなっていれば嬉しいです。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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