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[No.87] 「小池百合子の正体」 藤原肇著

コメント・メール(85)で触れたが、フィクサーの朝堂院大覚は、元東京都知事の石原慎太郎と組んで、尖閣列島でトラブルを起こしたり、朝鮮総連ビルや許永中という、不可解な半島人脈に密着していた怪人物だ。その破天荒ぶりは天下一品で、入籍した子供は23人もいて、その他に外国籍も数多くおり、六十人以上もの子宝に恵まれ、番組で日本刀を振り回しながら、子作りをU-Tubeで自慢する荒武者だ。

 空手道殿堂院の総裁であり、剛柔流空手道九段の朝堂院大覚は、小池一家のカイロ夜逃げに深く関与し、「ナニワ」食堂を開く資金援助の面倒を見て、裏切られた体験談を十数年前から、U-Tubeで暴露してきた有名人だ。だから、文芸春秋社が出版してベストセラーになり、話題を集めた『女帝・小池百合子』が出る前から、小池百合子の学歴詐称事件は、ジャーナリズムが取り上げるべき不祥事だのに、こんな人物が八年間も都知事だったのは問題だ。


 小池勇二郎が統一協会から衆議院の選挙に出馬し、落選して大量の借金を作り、闇金融から取り立てを食った時に、娘の体で返済しろと脅かされたが、その反社勢力が山口組系で、一家心中にまで追い詰められたらしい。そこで、余りの困窮状態を見兼ねたので、先ず小池百合子をカイロに逃がし、続いて両親に開業資金を提供して、和食の「ナニワ」の経営をさせたのが、ナミレイの経営者の朝堂院大覚だった。

 父親から引き継いだ浪速冷凍機工業は、船舶の空調専門のメーカーで、大阪の中小会社だったが、戦後の景気躍進の波に乗り、船の冷凍機技術の面で独占的な存在だったから、僅か30人の会社は年商150億円に育った。また、『日本列島改造論』を追い風にして、バブル景気をチャンスとして活用し土地や株を買い占め、ナミレイは無借金経営を誇り、株主配当は十割を誇るシテ株の寵児でもあった。

 1973年の石油ショックの時は中曽根が通産相だし、小佐野賢治や児玉誉士夫を始め、後藤田正晴の人脈を生かし、政財界のフィクサーの松浦良右(朝堂院)は大勝負に出て、高砂熱学の買収を企み不正容疑で逮捕された。それまでは毎月のように中東を始め海外に出かけ、カイロを始めニカラグアなどで、派手な事業計画を打ち上げて、順風満帆だった朝堂院は、検挙で海外渡航が不可能になった。

 この不本意な逆境を活用して、小池一家は朝堂院が行った投資を詐取したので、裏切りと忘恩に激怒した朝堂院は、それ以後は小池百合子のペテン暴露に、利用できる手段を使いまくった。事情を知り抜いた朝堂院は、小池百合子の学歴詐称を始め、権力を手に入れるために試みた、彼女の手口を熱心に暴露し、次の番組が物語るような形で、暴露攻勢を展開し続けたのであるが、発言を書きだすとその中身は実に辛辣だ。

 <・・・私は小池について長く付き合い、かれこれ50年も付き合ったから、彼女がカイロ大を首席卒業した話が真っ赤なウソだというのは、一億二千六百万人の日本人の中で私だけが言えるものだ。…私は彼女が東京からカイロに移った事情、家族諸共カイロで生活していた状況も、私が総て経済的負担をしており、カイロ大学に入ったことも熟知するし、一年通って止めたことも知っている。大学を止めた後で空手雑誌を私がカネを出してやらせた訳で、雑誌を止めてから東京に来て私の仕事を手伝っていた。それらの事情を私は総て知っている。

 そして、テレビに出て衆議院にも出て、その時に細川護熙と組んで愛人になった。次には小沢一郎と組み愛人になり、小泉純一郎とも組み愛人になっている。そして、愛人を踏み台にしてのし上がった女帝である。そんな人間が学歴を詐称して、衆議院議員になり都知事選挙に出て、今度は衆議院に鞍替えしてから、いずれ総理になろうというのは、国民や国家を愚弄し舐めている。・・・脳が風船のように空っぽの人間は騙せても。この朝堂院大覚は騙せない。総て私は知っているのだから。・・・安倍と言い小池と言い総ての指導者がウソ八百を並べて、ウソが罷り通る世の中を作ってしまっている。嘘つきが政治に出てはいけないのだ。・・・小池も嘘をついているのだし、オレも嘘をついてやるという嘘つきばかりが、国会に集まっちゃう。嘘をついたら罰を受けるという「一罰百戒」を思い知らねばならない。・・・>

*****

 子供を六十人以上も作って、女性心理に精通する朝堂院なら、細川や小泉を始めにした権力者に接近し、愛人として権力を手に入れた小池百合子の手口に関し、彼が総て御見通しだったのは当然だろう。首相歴任の権力者たちの他にも、慎太郎の子分の浜渦武生は関西大学の同窓生だし、半世紀以上の深い交際を維持していた、リビアで日本刀を振り回した佐々木良昭も愛人だとの噂があった。

 以前のコメント・メールの中で、小池をマタハリに比較したが、それはどうも早とちりであり、むしろ淫乱を隠し権力を極めた、Queen Elizabeth Ⅰ世の生涯に、小池百合子の正体は似ていそうだ。処女の女帝の仮面を冠って、Virginiaの植民地まで持ち、寵臣のRobert Dudley(1st Earl of Leicester)と浮名を流した、処女としてのエリザベス一世が、バツイチ(x1)の百合子に似た女帝だとしても、物語として不思議にも平仄が合う。

 エリザベス一世が君臨した十六世紀の英国史は、余りに波乱万丈であるし、登場人物も複雑多岐にわたり、シェークスピアまで登場し、事件として込み入っているから、それは次回で詳しく論じることにしよう。そこで今回の話題として、小池百合子に限るならば、私が彼女を直接に知った時期だったのは、1979年から1980年春までだから、僅か一年の短い期間だったが、日本の運命にとって実に重要な時だった。

 なぜならば、この短い期間に得た観察と共に、起きた事件に大平首相の死があり、それについては次に引用する通りで、『日本の沈没と日本の崩壊』には、以下のような記述が残っていて、今にして思えば残念至極だった。

 <・・・1980年の春の訪日で竹村健一と夕食を共にした時に、日本の将来について論じ、サウジと日本が連邦を作り国難を回避する話の中で、大平首相が連休を使い訪米する予定だと竹村が喋った。それは帰米する直前の4月20日頃で、恒例のワシントン訪米では不利な約束をさせられるから、訪米を中止すべきだと私が主張し、ここで話が急転直下に決定した。

 竹村がテレビ会社に電話して連休前に放映の手配を行い、翌日の夜に緊急にビデオ撮影をしたが、私は番組の冒頭の部分で米国に行くなと呼びかけ、それで大平の訪米中止を実現させるようにした。そこで急いでシナリオを作り、大平首相は訪米中止のために、一升でも二升でも醤油を飲み病気になる秘策を喋って、雰囲気を盛り上げた上で石油危機の回避策に話を繋いだ。

 これは徴兵検査の時に使う病気を装う秘策であり、次に番組の内容を粉飾するために、私は国際石油政治に話題を移し、日本とサウジアラビアが合邦化して、君主制連邦を作れと話題を拡大した。私はサウジで仕事をし現地の事情に詳しいから、番組として充実したし説得力もあり、訪米直前の大平首相が番組を見て、急病で訪米を中止にすれば、こんな大成果はないと思い、私は一世一代の大芝居に期待した。

 ビデオ撮影の数日後に私は帰米したが、離日の日の昼食を銀座で取り、東京銀行の吾妻参事役がその席に、経団連の土光さんの秘書を連れてきて、成田空港まで車で送る手配までした。だから、江戸前すしを食べながら番組の話をしたら、土光会長にも番組を見てもらうことに決まり、私はこの仕掛けに満足し、NHK勤務の友人に連絡して、番組を録画するように頼み帰米した。

 放映予定の日の翌日にNHKの友人から電話がかかり、録画の用意をして待っていたが、番組には私は登場しなかったし、別の人の話だったと教えられ、私の作戦は役にたたなくなり大平首相は訪米していた。大平の帰国後に不信任案が通り、疲労困憊の中で彼は衆議院を解散して、衆参両院の同時選挙戦に臨み、選挙の応援演説の最中に倒れて急死し、自民党は圧勝したが大平内閣は消え、政治は混迷に陥ってしまった。

 突然の放映中止について、竹村に詰問したが口を濁し続け、その後「日テレ」のディレクターに文句を言ったら、「発言の中に『どうせ潰れる国同士だから・・・』を始め、差し障りのある発言が余りに多く、それらを削る努力をしたが、削り切れなかった」と弁解した。この不愉快な体験に懲りた私は、この時から日本のテレビ番組には一切出ず、それから五十年が過ぎているが、メディアは信用できないし油断すれば利用されるので、裏切られる存在だと覚ったのである。>

 歴史にIfは不適切だが、放映していたら石原や小池都政もなく、小池百合子の学歴詐称も単なる世迷いごとで済み、当然のことでこの記事も書かれず、東京の街路樹も切られずに、都民に緑陰を提供していただろう。風俗作家の石原慎太郎はこの世の人でないので、生きていたら書いたかも知れない『女王蜂・小池百合子』も現れず、パラレル宇宙での日本が、第四次産業革命を迎えていたに違いない。

*****

 竹村は当時の売れっ子でベストセラーの著者だし、今でいう「スシトモ」の先駆的人物として、幾つもテレビ番組の司会者役を演じ、マクルーハン主義者を名乗り、メディアを舞台に大活躍中だった。彼の番組には帰国の度に出演して、国際情勢について論じた理由は、彼がフルブライト留学生として米国から送り込まれ、日本で派手に親米路線の旗振り役を演じたので、ブレーキ役がメディアに必要だと思ったからだ。

 竹村の動静を観察するために、番組に気易く出演を引き受けて、彼の偏見の訂正を試みたりしたが、私が教えた情報を手帳に書き、それをテレビで得意に吹聴し、アメリカ情報として流していた。また、彼の番組のホステスにカイロ帰りの小池百合子がいて、良くコーヒーを入れてくれ、雑談したことが懐かしいが、彼女の好奇心には特殊の癖があり、蜂蜜壺に似た雰囲気を伴った。

 アラブ流の駆け引きで脇の甘い日本人を誑かし、小池百合子はその後に出世して、代議士から都知事にまで登り詰めたが、彼女はアラブ商人と同じスタイルで、口先で人を騙す名人である。だが、カイロ大学を首席卒業という、ハッタリの化けの皮が剥がれて、マスコミに叩かれているが、『ゾンビ政治の解体新書』の中には、次のような記述が記録として残っている。

 <・・・竹村のテレビに出演した時に、ホステス役をしていたのが、エジプト帰りの小池百合子だった。彼女の父親についての噂や悪評は、中東諸国でよく耳にしたが、そんなことは知らぬ顔をして、竹村や小池百合子を相手にした私は、日本で進行していた状況を捉え、国内における情報探索の一助にした。

 『さらば、暴政』の中に書いたが、父親の小池勇二郎に関しては、次のような形で彼の正体を報告している。

 ・・・彼女の父親は勝共連合の支援で衆院選に出て、落選後に借金でカイロに夜逃げし、日本料理屋をやる傍ら、石油利権のブローカーとして悪名が高く、その関係で彼女はカイロ大学文学部に学んだ。・・・・・・竹村健一がホスト役の〝竹村健一の世相講談”とかいうテレビ番組に招かれた私は、帰国の度に何回か出演したが、小池百合子は番組のホステス役で、番組前にコーヒーの接待を受け、私は彼女と何度か雑談をした。アズハリ大学はイスラム神学の最高学府であり、話のついでに『小池さんはアズハリ大学に行ったそうですね』とカマをかけたら、『藤原さんは何で中東のことに詳しいのですか』と唖然としていたのを思い出す。・・・・・・>

 私が竹村健一の番組に出て、アシスタントの小池百合子と喋り、彼女に不信感を抱いたのは、1979年から80年頃であり、その辺は『アスペの三奇人交遊録』から、引用して書いた通りである。だから、アズハリ大卒のカマをかけてみたが、その理由は竹村と小池の間に、奇妙な関係を感じてテストしたのであり、「NLP(神経言語プログラム)」の効果として、私は小池百合子の目の動きに、虚言症候群の気配を察知した。


 『平成幕末のダイアグノシス』からの引用だが、『財界にっぽん』の2017年11月号に、「経産官僚と公安警察に支えられた自公政権のツケ」と題して論じ、その中にNLP について次の記事を書いている。NLP は心理分析をする上で、極めて重要な技法であり、一流のジャーナリストや政治家はその訓練に習熟するが、日本ではこの分野における極めて立ち遅れた状態が続く。

 <・・・米国ではレーガン政権時代に、NLP(神経言語)を導入して、ホワイトハウスは監視カメラを設置し、外国の首脳との会談に用い、中曽根の言動の分析にも使った。この話を聞いて面白いと思い、開発者ジョン・グリンダーを訪ねた私は、サンタクルズの彼の自宅で、その原理と分析法を学び、相手の心を読む時の診断に活用し、詐欺師の多い世界で生き、嘘を見破る力の重要性を痛感した。

 日本には多くの正直な人が住むが、外の世界は詐欺師天国であり、目の動きを観察して心を読む技術は、生きて行く上で最強の武器になる。そんな高級技術を使うまでもないが、キョトキョト落ち着きなく動く、佐川宣寿理財局長の目の観察を通じ、嘘とごまかし答弁の背後には、何が控えているかが読み取れた。・・・>

 商社で資源顧問を担当した私は、アフリカや中東で働いた時に、鉱物資源に関係すると、欧米に属す人脈の背後にちらつく、情報機関の影を見たせいもあり、社会人としてはそんな世界から遠い、水のシンクタンクで仕事をした。だが、サウジで仕事をした後で、石油の重要性に気付いた私は、北米に渡り石油会社を経営したが、アメリカの石油ビジネス界に、余りにも多くの詐欺師がおり、騙まされる方が騙す者より悪いと学んだ。

 竹村健一のテレビに招かれ、帰国の度に何度か出演し、アシスタントの小池百合子に会い、何度か雑談した印象では、彼女はアラブ商人に似ており、口先は巧妙で誑かし上手だが、目元は怜悧で信用できないと感じた。何度か喋った後で分かったが、竹村と小池の仲も特別であり、竹村はアシスタントに取り込まれ、彼の方が手玉に取られており、背後に控える諜報機関の姿も感知できた。
 
 竹村健一はパイプをくわえて、鷹揚な態度で威圧を試みるが、根は小心者で虎の威を借りており、米国から送り込まれた工作員で、メディアで活躍していたから、利用価値があると私は睨んだ。そこで、フルブライトの留学生を使い、アメリカが日本に対して、どんなメディア工作をするかの観察に、彼には懇意にして仲良くなり、彼の希望を受けテレビに出演し、放談や講談に見合う形で好き放題に喋った。

 そうしたら大いに信用されて、彼の次男でロンドン大に学ぶ、竹村英二君の進路指南を頼まれ、その縁で彼が持つ出版社から、『教科書では学べない超経済学』と共に、『理は利よりも強し』の二冊を出して貰った。世紀末に書いた私の対談集は、厳しい批判を含むために、本にする出版社は余りなく、その点では大いに助かり、彼のテレビへの出演は、放映中止事件で1980年に止めたが、交遊は1999年まで続いた。


 放映中止事件の顛末は、『アスペの三奇人交遊録』に書いた通りで、非常に残念だと思うが、それは大平首相の急死が関係し、もし放映されていたならば、大平首相も死なずに済み、中曽根内閣の登場もなかった。もしそうなっていたならば、日航123便の墜落事故もなく、プラザ合意の悲劇も起こらずに済み、30年続いたデフレもないし、21世紀に登場したゾンビ政治を始め、小泉や安倍による暴政も無しで済んだかも知れない。

 その間に小池百合子は竹村を捨て、日経の幹部にパトロンを変え、テレビのキャスターで名を売り、参議院議員として政治家にと、派手な転身の実現を遂げ、待望の出世街道を驀進した。その出世のプロセスとしては、朝堂院が番組で暴露したように、権力者にすり寄る形で取り入り、愛人になる術策を使いまくって、初代の女性首相を目指したのが、「女帝」に成りあがった小池百合子だった。

(続)

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