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ラ・ロシュフコーと中国の思い出

 わけあって、なるべく読書量を増やすように意識している。講談社文芸文庫で入手したばかりのリービ英雄『日本語の勝利/アイデンティティーズ』を読んでいたところ、中国旅行の記述があった。そこでページを繰る手を止めて、そういえばと思って部屋の本棚から昔の雑記帳を取り出してきたのだった。その雑記帳には当時の自分の研究のことや書物からの抜き書き、日々の想いなど様々なことが書かれていたが、最後のページに「滞在記」と書かれた20年以上前の中国旅行の記録の断片が挟まっていた。ああ、あったあったと思ってそれを引っこ抜いた。

 今その旅行記を読み返してみると、内容が平板な癖に、どことなくペダントぶった表現が不快感をもたらすのに驚いた。異文化との接触に際して、もっと新鮮で鋭いことを書いていたのではないかと思い込んでいたが、過去の自分にいささかがっかりした。知識人が洒脱に書き流すような旅行日誌を気取っていたに違いないが、初日だけは頑張って書いた様子がうかがえるものの、目まぐるしい旅程(といっても観光なわけだが)の中でだんだん面倒になってきたらしく、記述は日を追って短く淡泊になり、たったの五日分しか残されていない。それはどのようなものだったか、恥を忍んで日誌をそっくりそのまま以下に写し取ってみる。

Dec.15 2002 北京着
中国に来た。
旅の初日で疲れはあるが、滞在中に受けた印象をまとめておきたい衝動に駆られ、日記をつけておくことにした。
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成田より三時間半あまり、北京国際空港は雪景色であった。
北京は基本的に乾燥した土地で、雪が降ることは非常に稀であるそうだ。
北京の雪景色を見られたのは幸運である。
空港からホテルまでの道中、タクシーから郊外の様子を観察することができた。
巨大な建物があちこちに建っているのだが、それらは林立するという感じではない。
ビルとビルの間が大きく隔っており、なにか違和感を覚えた。
密度の低さに対するもどかしさ、と言えばいいだろうか。
日本の都市部におけるごとき高層ビル街に、知らないうちに慣らされた自分を発見した気になった。
国にはそれぞれ独自の臭いがある、とはよく聞く話だが、中国は特にその臭いが強いようだ。街を歩くと、ニンニクと煤煙の交じった独特の臭いに迎えられる。
街にいる人々は、一言でいって奔放である。各々が好きな方向に動く。順番を待つという感覚も殆どなく、割込みなどは平気で行う。
職責の意識が乏しい。百貨店の店員から銀行員まで、客そっちのけで井戸端会議を行っている。ここに職業を「神の使命」だと思っている人間が果たしているだろうか。これは一面から見れば非合理だが、彼らには彼らの合理性があるのかもしれない。
今日見た限りにおいて、この国(都市)には奇妙な分裂的性格があるように思えた。落ち着きなく、自分勝手な特徴をもつ一方で、街全体にただようのはおおらかさ、ないし余裕たっぷりの空気である。余裕は、都市のすきま構造と関連するのだろうか。
自分がこの街に適しているかどうかは判断できないが、初日でこれだけ多くの印象を与えてくれる興味深い街である、ということは明らかになった。

Dec.16 2002 在北京
北京の街を散策。青空はないが良く晴れていた。
平日の昼間だというのに道には人が多い。自転車大国の実力を見せつけるかのような夥しい自転車も見られた。
やはりこの国のみどころは人間模様なのだろう。
どこに行っても、なんらかの面白い人物がいる。
面白い、というのは馬鹿にして言うのではない。見ていてこちらも楽しくなるほどに生きていることを楽しんでいる、そういう感じを受けるのである。
埃っぽくて、常にどんよりと曇っているこの土地で、なぜこうも溌剌とした人柄が生まれるのだろうか。
とにかく、ここには気候の不全をものともしない民族的な強さがある。
この社会に、自分が参入していけるかどうかと考えた。
言葉がわかるのとわからないのとでは受ける印象も違うだろうが、言葉ができるだけでコミットしてゆける土地柄でもなさそうだ。

Dec. 17-18 2002 故宮・長城
天安門の中へ。
ここはかつて北京の権力の象徴だった。今は観光客が至るところに見られる。
廃れた権力の物悲しさに倍加されて、雪景色が美しい。
展示の仕方がやはりずさんであるところは、この国らしいと思った。
翌日、長城に行った。
狼煙台からながめる山景色に、心を透かされる思いがした。
雄大な自然に感銘を受けたのは勿論だが、それ以上に、この国を動かす人間の力というものを考えさせられた。
夜、北京の一般市民の宅で食事をごちそうになった。
彼らのそのままの生活を知ることができてよかった。

Dec.19 2002 
観光名所は行ってしまえば終わりだが、人々のことはもっとよく知りたくなる。
かえすがえすも、言葉のわからないのが無念だ。
横から見ているだけで充分に楽しめるものではあるが。
明日は列車で上海に移動する。
北京との文化の違いがどこにあるか較べてみたい。
旅行も日数を重ねるにつれて、慣れが出てくる。そのせいか、徐々に新鮮な気分が味わえなくなっているような気がする。
すぐに「解った気がする」という自分の悪い癖が出ているようで嫌だ。

 記事はここまでしか残っていない。そもそもこの旅行は自発的に思い立ったものではなく、中国語が母語のように堪能な同期生の、なかば「里帰り」するような中国旅行についていったという類のものだったが、彼に従うまま動き回り、北京の後は旅行記にあるとおり上海にゆき、そして寧波や紹興に立ち寄ったはずである。
 旅の思い出を掘り起こしてみても、上海のモダンなビル群はところどころ記憶にあったが、その当時は上海の賑やかな近代都市ぶりにはさほど感銘を受けなかったのかもしれない。他方で、それほど酒を飲まないにもかかわらず、本場の紹興酒の美味しさに感銘を受けたことはよく覚えている。また紹興の街中の臭豆腐を焼くなんともいえない強い臭いも、体に染みてよく覚えている。

 その後のことで何より思い出されるのは、寧波で某有名日本企業の現地駐在員の家に宿泊させていただいたことだった。その人は私を連れていってくれた同期生の父親の友人という関係性で、かなり趣味人の様子だった。お屋敷と言っていいほどの広く立派な邸宅には、リビングや玄関に所せましと景徳鎮で産出された青磁や白磁がかなりの分量コレクションされていたし、様々な分野の蔵書があった。その蔵書中に含まれていたのが『ラ・ロシュフコー箴言集』である。
 『ラ・ロシュフコー箴言集』といえば岩波文庫赤版のベストセラーのひとつで、たいていどこの古書店でも見かけるほどの古書の常連だ。今となってはそのようなことを知っているが、当時はその著者の名前さえ知らず、初めて手に取ったのである。私と同期の友人はその赤い背表紙の本を部屋に持ち帰り――
「ひとしきりしか歌われないはやり唄にそっくりの輩がいる」
「気前のよさと呼ばれるものは、おおむね、与えてやるのだという虚栄心に過ぎず、われわれにはこのほうが与える物よりも大切なのである」
「恋人どうしがいっしょにいて少しも飽きないのは、ずっと自分のことばかり話しているからである」

といったような皮肉たっぷりの箴言を見つけては、いたずらっ子が人を陥れる仕掛けを見つけたかのように、意地悪く夜中までげらげらと笑っていたものだった。

 そういえば、太宰治はロシュフコーの箴言をつかまえて、その尊大な言い方に批判的なことを書いていた。

この本には、「寸鐵」と表題を打たれ、その傍題として、(又名、人生裏面觀)と印刷されて在る。譯文は、豪邁である。たとへば、「寵を蒙むる者を憎むは、己れ自ら寵を望む也、之を有せざる者の怒るは、之を有する者を侮蔑して自ら慰安する耳。吾人は世人の尊敬を彼等に牽く所の物を彼等より奪はんと欲して能はざるが故に、己れの尊敬を彼等に拒む也。」いかにも、「廷臣とし、軍人とし、政治家として夙に盛名ある」ラロシフコー公爵その人の息吹が感ぜられる尊嚴盛大の文章である。私は、この譯文を讀みながら、ふとラロシフコーといふ人は、このやうな尊嚴盛大の、さうして多少わからずやでは、なかつたのか、と思つた。この譯文は、その意味で、まさに適譯なのかも知れない、と思つた。
 身もふたもない言ひかた。そんな言ひかたを體得して、弱いしどろもどろの人を切りまくつて快よしとしてゐる人が、日本にも、ずゐぶんたくさん在る。いや、日本人は、そんな哲學で育てられて來た。い、犬も歩けば棒に當る。ろ、論より證據。は、花よりだんご。それが日本人のお得意の哲學である。ラロシフコーなど讀まずとも、所謂、「人生裏面觀」は先刻すでに御承知である。眞理は、裏面にあると思つてゐる。ロマンチツクを、頭の惡さと解してゐる。けれども、少しづつ舞臺がまはつて、「聖戰」といふ大ロマンチシズムを、理解しなければならなくなつて、そんなにいつまでも、「人をして一切の善徳と惡徳とを働かしむるものは利害の念なり。」など喝破して、すまして居られなくなつたであらう。浪曼派哲學が、少しづつ現實の生活に根を下し、行爲の源泉になりかけて來たことを指摘したい。ラロシフコーは、すでに古いのである。

太宰治「ラロシフコー」

 太宰の言葉はずいぶん真面目である。彼の当時のよりどころであった「浪曼派哲学」に反するとして、ロシュフコー卿の身もふたもない言い分を否定する気持ちについては一定の尊重をしたいと思うが、「すでに古い」という言い方は果たして妥当だろうか。少なくとも、21世紀になって間もない時期に、二人のひねくれた日本の青年が、なぜか中国という異国の地で「箴言」に出会い、シニカルな笑いを喚起されたという事実がある。青年たちは、日ごろの鬱憤を晴らすような皮肉な箴言の数々を見るうちに、よくぞ言ってくれたという思いとともに、げらげら笑いながら、その新規性を見出したのであった。

 このように、一見何の関係もないような二つの事柄が、結びついて記憶されており、ふと思い出されることがある。私にとってラ・ロシュフコーは学生時代の中国旅行の思い出にがっちりと結びついている。あれからずいぶん時間が経過したが、今後もまた、読書と行動がクロスしたときに生まれるこうした奇縁を見逃さないようにしていきたい。




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