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青春とははじめて秘密を持つ日

 昨年九月の連休の谷間を活用して、故郷の奈良に帰った。例の感染症は束の間の沈静化に向かってはいたものの、いまだ緊急事態宣言が解除されていない時期であり、そのタイミングで遠距離を移動することは躊躇われたのも確かで、滅多に見たことのないの新幹線の座席に座って、安心感のなかにいくばくかの後ろめたさを感じながら、帰省の意味を改めて考えていた。その二年前の正月に帰ったきり、祖先や亡き母の墓前に参っていなかったし、老いた両親にも会っていなかった。

 上京して20年、故郷に帰ることをこれまで幾十回も重ねてきたわけであるが、どこか義務のように思っていたことに相違なく、時には億劫に感じたことも否定はできない。ところが、それまでの薄情な自分と比べて、今回はなにか違う心持であった。実家に滞在中、応接間を仮の寝室としてレイアウトした部屋の窓から、周辺の一面の田圃と、遠くに見える盆地を囲む山々の景色にぼんやりと見とれ、いつまでも眺めていたい気持ちになった。幼少期から見慣れた何の変哲もない山と空の調和が、にわかに古代からの歴史を誇示するかのごとく、それまで語られなかった物語を荘厳さをもって語りかけてくるように思われた。そうして心を掴まれているうちに、自分はこのつまらない田舎に骨を埋めたいのかもしれないという、これまで考えもしなかったことが、ぼんやりと形をなしてきたような気がした。

 築四十年を超えて年季の入ってきた実家では、書棚で家屋と同じくらいの時間を過ごしたらしい萎びた古い本が整理され、山積みになっていた。ほとんどが、古書店の100円均一棚に並んでいるような二束三文の文庫本である。しかしそのまま処分されるくらいなら、今の自分が読むに値するものがあるかもしれないと、せっかく整理された古本の山をわざわざ汗水たらして掘り崩した。そのうちに、亀井勝一郎の『青春論』(角川文庫 昭和37年)と『大和古寺風物誌』(新潮文庫 昭和28年)に行き当たった。題名からして、いかにもその瞬間の自分の心境に沿っているようで、東京へ持ち帰ることにした。

 本記事の標題に掲げたのは、その亀井勝一郎『青春論』冒頭の一編に付けられた見出しである。考えること、独り思いにふけるということ、これらが青春の大きな兆候であると亀井は言う。しからば私は、いつもどうでもよいことをくどくどと考え、物思いに耽っているのであるから、今なお青春の兆候の中に立ち止まっているのに相違あるまい。青春そのものを謳歌しているわけではなく、「兆し」の中にあるというのが要諦である。いつまでも目の前に青春の兆候があって、私を惑わせているのである。いい歳なのだから人生などいっそ諦めたら楽なのに、いつまで青春の亡霊みたいなものが理想を振り回して追いかけてくるのだろうとよく考える。建前で社会的意義うんぬんを言っても、本音の思想は自分本位にある。そんな状況から脱し、「青春」を克服したいと思うのであれば、くよくよ考えず、物思いに煩わされず現実に邁進し、夢想を離脱する精神のあり方が必要だということになるのだろうか。
 他方で亀井は、『青春論』に収録された別のエッセイ「おとなと青年」において「真のおとなとは、年をとっても青年の悩むような問題をいつも自己の問題として持ちつづけている人のことである。いわば知的好奇心の衰えないおとなの青春こそ尊い」とも述べている。いずれにせよ、青春期の青年の秘めたる問題が深刻であるのと同様に、大人になってからの青春の問題も、深刻さにおいて変わるところはないのだと思う。

 標題の言葉に戻ろう。青春は秘密とは表裏一体、切り離せない関係にあるという。なるほど、そう思えば青春に囚われ続ける自分には秘めごとばかりであるようだ。こういった駄文で自らをさらけ出しているようでありながら、どこか自分を知られたくなくて、恥ずかしがってこそこそしているようでもある。一度でも正直に自分を語ったことはあったといえるかといえば疑わしく、一見すべてを語っているようで、どこか体裁を繕ってきたらしく思われる。かつて二葉亭四迷は、その作品中に自然主義文学の方法を「牛のよだれ」と称したけれども、まさしく牛の涎の如く、出るがままに垂れ流しているつもりでも、その実は自然主義的な「ありのまま」ではなかったのが、自分のこれまでの記事であったとも思える。

 それまで亀井勝一郎の著作にはいくつか接したことはあるが、どれも熟読せずにいた。いわば読まず嫌いに近く、たまたま実家がきっかけで亀井の著作を味わってみたわけだが、実に素直に書いてあって、するすると読みやすい良文だと感じた。

 亀井は函館の生まれだが、大和の旅により仏教に近づいたという。本人によれば昭和12年の秋に初めて大和に古寺を訪ね、その後にも旅日記のように書き継いで、昭和17年にとりあえずの記録をまとめて、初版の『大和古寺風物誌』を書いた。その後も増刷を繰り返すたびに、新しい記事を書き加えていくことが楽しみであったという。
 『大和古寺風物誌』には、「書簡―古都の友へ―」という、標題のとおりともに奈良を巡った友人に宛てた書簡といった体裁の文章が収録されている。これは昭和20年秋となっていて、終戦直後に書かれたものであるから、初版には入っていない、後から書き足された記事ということになる。

 終戦後の僕の感想は、「夢かと思ひなさんとすれば現也、現かと思へば又夢の如し、」という言葉につきる。全く諸行無常だ。しかしさすがに自然は有難い。暴風と豪雨の呪われた幾日かをすぎて、いま漸く透明な秋空があらわれてきたところだ。蜻蛉の飛びかう空を眺めていると、まるで何事もなかったかのように平和である。そぞろ旅を想い、大和がなつかしく回想される。斑鳩の里の刈入は終ったろうか。はるかに君を偲び、こんなとりとめのない手紙をかくのである。

亀井勝一郎「書簡―古都の友へ―」

 かように、戦後の平和を静かに噛み締めている亀井勝一郎でさえ、戦時中の論文では以下のように書いていたのである。

 戦争よりも恐ろしいのは平和である。平和のための戦争とは悪い洒落にすぎない。今次の戦乱は、かの深淵の戦争のための戦争であって、この戦場において一切の妄想を斥ける明晰さと恐れを知らぬ不抜の信念とが民族の興廃を決するであろう。奴隷の平和よりも王者の戦争を!

亀井勝一郎「現代精神に関する覚書」

 こうした発言をあげつらうことが目的ではないし、倫理的に非難するつもりもない。むしろこれほど正直に感慨を示す人間がいることによって、歴史の実相がわかるということも大いにある。ここで歴史的事実を追究しようとも思わないが、このうちに戦争をめぐる一人の人間の率直な思いが表現されているのは間違いない。ただし、大評論家に対して僭越かつ偏った評価であると承知しつつあえて自分の読んだ範囲での印象を記せば、亀井勝一郎という書き手は、直観力に優れた反面で物事に感激しやすく、かつての思想を盤石に築いていくというよりは、右や左にあちこち変遷していくという人であるように思う。まさにそのことが彼を名評論家たらしめているようにも思われるが、感情において豊かであるあまり、感情に理性が引きずられる傾向が感じられる。

 また、亀井は先ほどの論説において、次のようにも書いている。

 唯一者への全き帰依を阻むものとして、近代の知性を挙げてもよい。信仰という分別を超えた問題に面すると、僕の知性は猛烈な抵抗を開始するのだ。すべてを割り切ることの不可能はよく知っている。知性の限界を心得ている筈だ。それでいて知的な明快さを極限まで追い、合理的に説明しつくそうという欲求にかられるのである。現代人にとっては、こうした知的働きは賞讃さるべきものらしいが、僕にとっては「罪」なのだ。比較癖とともにいつも自分を苦しめるのである。

亀井「書簡―古都の友へ―」

 このような反合理主義に沿っておこなわれる反「知性」主義は、次のような保田與重郎の言説とも通じている。

 この数年間の文学の動きは、合理から合理を追うてある型を出られぬ「知性」がどんな形で同一の堕落形式をくりかへすかを知る一つの標本的適例であつた。

保田與重郎「文明開化の論理の終焉について」(昭和14年)

 「書簡」が具体的に誰に宛てたものであるかは亀井のこの文章中には示されていないが、亀井が古都・大和に関心を抱くきっかけに、奈良県桜井市出身の保田與重郎の影響があっただろうか。亀井と保田とが親密となるのは昭和9年の雑誌『現実』の創刊を機としている。翌年に保田、神保光太郎らとともに雑誌『日本浪曼派』を立ち上げた。両者には通じるところがありながら、保田のいわくありげな美的表現と、亀井の素直な感情表現は、あまりに違って相容れないような気もする。亀井の文章は、先ほども述べたとおり、保田の擬古典的で美文めいた叙述に比較して、実に率直で外連味けれんみがないのである。

 文学論はそこそこに置き、自分の感傷に戻ってこよう。
 私は子供の頃の脳裏に刻まれた大和の原風景を知っている。あんまり素朴で、変哲のない光景。寺院巡りに没頭した亀井勝一郎よりは、知識としても経験としても、寺院や仏像への造詣は乏しい。しかし、特別なものではない大和の「におい」を肌感覚で分かっているつもりである。その私にとっての「におい」の感じ方は、私にしかわからないものである。故郷への想いという秘密の感情は、私の中にあっては青春への回帰であるのかもしれない。それをもやもやと持て余しながら都会で暮らしていくことは、青春の克服ではなく青春への裏切りであるようにも思える。

 そんなふうに、昨年の帰省と亀井勝一郎が、いずれ帰って根付くかもしれないし、帰らないで放棄してしまうかもしれない故郷のことをとりとめなく考える機会となった。人は一体、どこで生きてどこで死ねば満足するのだろうか。
 昨秋の帰省において感慨深かった所感を書きとどめておいたのだけれども、半年も寝かせておいた挙句、今さら雑駁ながらあえてここにメモしておこうと思った次第である。




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