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自己愛

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まとめ。
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2022年7月の記事一覧

言葉と拳

にんげんには表現する方法が少ないので、言葉。花のように獣のように全身で愛を体現できれば楽なのに、いまある愉快な余白をすべて捨てたってそのほうが楽なのに、言葉とかいう万能にみせかけた欠陥品をふりかざしてじぶんの傷口ばかりひろげて。

「水着の女の子すげえエロい」

はじめて訪れた海で、はじめて人を殴った。
「殴れ!」
殴ってからはじめて、あれぼくべつにこの人に怒っているわけではないよな、塩辛い水はと

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牛乳

ほんのすこし、どことなく、びみょうに体調がわるいかも。そんなとき牛乳を飲むと治ってしまうことがある。

風邪とかは治らないよ。もうそれは明らかにヤバいから。化学的なレベルでなにかが起こってるからそれは。外敵と戦うために白血球が活発に働いているから。

そういうのではなくて全体的にだるいとき、牛乳を飲むと治ります。ぼく牛なのね。

未就学児のころは牛乳きらいだったのだが、小学校に収容されてからという

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みんなはどうしてる?

じぶんのすべてを知っている人なんていない。おたがいに、その人に見せてもいい部分を表にして、見せてはよくない部分は伏せている。

たとえばかわいがっているくまのぬいぐるみの体が破れて綿が飛びだしてしまったとき、それをだれに話したらいいだろうか。
「好きなぬいぐるみがあったんだけどね、綿が出ちゃったから縫いなおしたの」
そんなふうに話すなら簡単だけれど、それは気持ちを言い表した言葉ではない。ずっと一緒

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原チャ拭く子

雨ふるのかふらないのかはっきりしなさい、まったく。自転車をこぎながら、降らないうちになるべく進もうと気持ちがあせったとき、きれいな戸建てから出てきた高校生とおぼしき男の子が、その軒先に停められてある原動機付自転車の桃色の車体と座席を、布切れで丹念に拭いているところを通りすぎ、ぼくはもう一度子どもにもどって、あのときの銭湯からやり直した。風呂からあがって、じぶんの体を拭く人たちに似ていたから。

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ながい残像

ラーメンを胃に感じながらふらふらと歩く。頭のなかに悪い夢が降りてきて、酒場や娼館の看板を縁取って並ぶ電球が、アスファルトのうえに痣のように青く引きのばされた。

戦いが終わったのだ、勝ったのだという確証はなく、ただこれ以上続けてもしかたがないとか、へたするといつだれの命が終わってもそれはそれという態度で、人々は宴に興じている。みな張り裂けそうな体をワイシャツとスラックスに収めた月曜の夜だった。

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これは夢

顔をあげたら銃撃の速報だった。
チーズケーキ。いちごのソースは赤かった。

薔薇園は赤かった。
枯れていくときが一番美しい花。
時期を過ぎてしおれた花弁たちを焼却するほど暑い日。あすは雨だという。

太陽のガラスケースのなかに無数の巨大ソフトクリームや花の横溢を纏った回転木馬が収まっていた。
赤だけではない。
いたる色、いたるかたち。
赤どころではない色という色。
生きている、生きていないどころ

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おかしくなる年頃

※偏見と誤解に塗れた持論が展開されますが、筆者はおかしくなっています

どうも歳の近い友人らがみんなしておかしくなっていると思ったら、ヒトの習性として三十歳をまえにしてちょうどおかしくなるのである。

医学的にはヒトの寿命はもしも野生であればおおむね三十歳だとか、易学的には人の運命は六十年で一巡するから三十年はその折り返しであるとか言われている。これはおそらく三十歳をまえにおかしくなってくる人間の

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