おかしくなる年頃

※偏見と誤解に塗れた持論が展開されますが、筆者はおかしくなっています

どうも歳の近い友人らがみんなしておかしくなっていると思ったら、ヒトの習性として三十歳をまえにしてちょうどおかしくなるのである。

医学的にはヒトの寿命はもしも野生であればおおむね三十歳だとか、易学的には人の運命は六十年で一巡するから三十年はその折り返しであるとか言われている。これはおそらく三十歳をまえにおかしくなってくる人間のことも織りこまれた言説で、先人たちが統計の結果算出した三十年という折り返しの年数をまえにしてなにか焦燥感に駆られる姿というのは、全時代に共通したものだったと推測される。

三十年目に人は一度終わるのだ。
二十歳は成人と云われているにもかかわらずその経年はなめらかである。十九のときも二十のときも心持ちの上でさして変化はない。
ところが三十のときはちがう。もうすぐ三十歳を迎えるとわかった人々はおかしくなってしまう。

これ以外にももちろんおかしくなるタイミングというのがある。一応それぞれ呼称があって、反抗期とか思春期とかいう。そういうのは親世代が子どもの状態に名前をつけたがってそうするものであって、三十歳を目前としたおかしくなりには、二十代後半ともなると自分の面倒は自分でみていることがほとんどなので名前をつける必要があまりなくなるため、名前はない。

私は生まれたときからおかしくなりが始まっていた。みんながおかしくなるのを見るととても安心する。
ただ、私の場合はずっとおかしいのに、端から見ればただおかしくなるチャンスを毎回逃さずに狂っている人みたいな外見になるので、苦しい。私はずっとおかしいのである。

たまにどのタイミングでも絶対におかしくならない人もいる。実はおかしくなりチャンスで狂い籤を引かないようにする定石みたいなのが世の中にはあって、こういう人たちはうまい具合にその抜け方でおかしくならずに済んでいる。

子どものころはスポーツである。スポーツをやっているとおかしくなりにくい。
十代前半は容姿である。ここで容姿がいい人はおかしくならずに済む。
十代中盤は成績である。学業で競争しなければならないことが多く、成績がよければそれでゴリ押しも可能。
十代後半は難しい。ここは素質というか、家柄とかそこまでで培ってきた人間関係が物を言う気がする。不確定要素が多い。確かなことといえば、これまでに狂っていずにこれた人はまっとうに歩めば狂わずに済むということである。
二十代前半は人脈と金である。ここは欲張らなければ大体の人はクリアする。
二十代後半は他者の心である。
ここまで全くの正気でいられた人というのは、他者の心以外のものをある程度思いどおりにしてきたのである。しかし、この歳になったときにはじめて、他者の心を思いどおりにできないという当たり前のことでつまずく。狂ったことがないので狼狽し、今までの切り抜け方にすがろうとする。
自分の体ひとつや、顔、学び、育ち、実入り、そういったものでどうにかなるだろうと思っている。これまでどうにかなってきたからである。しかしこれから、もうそれらは通用しない。

ここで一度狂ってしまえばあとは黙々と時間を過ごすだけだが、問題はここでも狂わずにいる人もいるということである。

私にはまだ、ここでおかしくならない人がどのようにしておかしくならずに済むのかがわからない。
そういうおとなが小さいころから嫌いで、関わる前に心の土に埋めていたからである。情報がない。しまったと思った。
信頼できる、おかしくなっていないおとなをひとり見つけて、その人の忠言をよく聞いておくのだった。
しかしそんな人のことは信用できない。すこしおかしくなりながらでないと、おかしくなってしまった人の気持ちもわからない。正気の自分を自慢して歩く人より、狂った仲間の幸せを思う人でありたいわけ。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻