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いったい検察庁法改正案の何に抗議しているのか

【2020.05.12[21:34] 改正案の内容について整理表を追加しました。また勤務延長の読み替えへの言及がわかりにくいということでその点も整理表とともに説明を加えました。】
【2020.05.10[23:05] 附則について末尾に追記しました】

昨晩からものすごい勢いで、「#検察庁法改正案に抗議します」タグが伸び、ずっとトレンドに入っているのですが、法曹の端くれとしましては、正確に何に抗議をしているのかを確認したい。同時に、政府の考えも確認したい。

そういうわけで、端的ではありますが、いろいろな誤解を解くと同時に、できるだけ冷静に事の本質を考えてみたいとおもいます。

1.前提の認識共有

①検察庁及び検察官には高度な独立性が必要
 検察庁は行政府を構成する一組織であり、検察官は国家公務員です。
 しかし、ご存知のとおり、検察官は政治家を含めて刑事訴追をする権限を持っており、したがって極めて高度な独立性が担保されている必要があります。かつて政財界を巻き込んだロッキード事件、リクルート事件、ゼネコン汚職事件などがありますが、こういった政治がらみの案件を検察庁が捜査、起訴できるのは政治から独立した組織であるからです。

②定年について
 現在の検察官の定年は以下のとおりです。
・検事総長:65歳
・検察官(検事長含め):63歳
 検察庁法が定める条文は端的に以下の一文のみです。

検察庁法
第二十二条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。

③国家公務員の勤務延長(定年による退職の特例)
 国家公務員法は、定年を迎える国家公務員について、「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき」には、1年以内の期限で、その勤務を延長させることができるとしています(同法第81条の3)。なお、勤務延長制度が認められるのがどういう場合かというのは、人事院規則で定められています(詳しい要件などについての概要資料はこちら)。

④年明けから話題になったのは、③の制度が検察官にも適用されるのかという解釈について
 2020年1月31日、政府が③の制度に基づいて、黒川東京高検検事長の勤務延長を閣議決定しました。理由としては、カルロス・ゴーン被告人や当時まだ捜査中であったIR汚職関連を含めて、「東京高等検察庁管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するためには、…黒川弘務の検察官としての豊富な経験・知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が必要不可欠」と政府が判断したとのことでした。
 しかし、ここで問題になったのは、そもそも③国家公務員の勤務延長制度が制定された当時、国会において同制度が検察官には適用されないとの解釈が答弁されていたにもかかわらず、これを解釈変更して適用したことでした。
 ここは細かな議論をしても良いのですが、端的に問題点のみを上げると、(1)解釈変更を行うにあたる立法事実が存在したのか(なぜ急遽このような解釈変更を行うにあたったのか)
(2)解釈変更を行う正当なプロセスは行われたのか(後付けで行ったのではないか)
(3)なぜ政府参考人が矛盾となる答弁をしたのか(解釈変更はしていないとの答弁。後にいい間違えたと修正)
(4)解釈変更をするに際して、なぜ法務省行政文書取扱規則上の文書ではないと判断して、口頭決裁に留めたのか
といった疑問点が噴出してしまい、ちょうど(1)に関連して、黒川検事長は政権に近い立場であったこと、次期検事総長として黒川氏を任命するためには半年間の勤務延長をせざるを得なかったことから、このような解釈変更を行ったのではないかという批判がなされました。

2.改正案の内容

 次に、今国会に提出されている改正案の内容を確認します。検察庁法改正案単体ではなく、複数の関連法案が束ね法案として提出されています。

①国家公務員法の改正案
・定年の段階的引き上げ(現在60歳→2030年度に65歳に引き上げ)
・「役職定年制」の導入(特例あり):60歳以降は人件費を削減させるため、管理職については職位を辞任し、勤務は65歳まで可能とする。ただし、これについても、60歳以降も職位を引き続き維持する特例を設ける。
この国家公務員法の改正案(定年の引き上げ)は、2008年頃から検討が始まり、人事院が2018年に意見を提出することで、本格的な改正案の策定が進み、今国会に提出されているという次第です。

②検察庁法の改正案
 
検察庁法の改正案の経緯は少し複雑です。昨年秋の臨時国会で提出されるはずだったバージョン(「2019秋版」といいます)と、今国会で提出されているバージョン(「2020春版」といいます)が異なるためです。

②-ⅰ 2019秋版の改正案の内容(数字は改正案第22条の条項に対応しています)

1.検察官の定年を65歳に引き上げる
2.次長検事及び検事長は、63歳に達した翌日に検事になる(その後65歳で定年退官)

以上です。極めてシンプルな内容でした。

②-ⅱ 2020年春版の改正案の内容(数字は改正案第22条の条項に対応しています)
 条文が極めて長いため、端的に整理します。

1.検察官の定年を65歳に引き上げる
2.省略(国公法への読み替え規定)
3.省略(国公法への読み替え規定)
4.次長検事と検事長は63歳以降は平の検事になる
5.第4項について、次長検事と検事長は、内閣が定めた事情がある場合、1年以内の期間、引き続き次長検事又は検事長として仕事ができる
6.さらに、1年後も引き続き内閣が定めた事情がある場合、引き続き定年まで次長検事又は検事長として仕事ができる
7.省略
8.これらのことは内閣又は法務大臣がそれぞれ決定する。

 かなり長くなりました。
 ①国家公務員法の改正案で出てきた「役職定年制」(管理職については平の公務員に戻ってもらう)というのが第4項に定められています。ただし、特例として、内閣の定めるところにより、次長検事と検事長は引き続きその職位で仕事ができ(第5項)、またこれを定年までさらに延長することができる(第6項)とされています。

【追記】以上を踏まえて、現行法と改正法で変更される点を表で確認してみたいと思います。

執筆用.001

執筆用.002

 現行法でも解釈によって適用されることになった勤務延長の規定も、改めて明文で盛り込まれることになっています。【追記終了】

 ここまでが端的に現状の整理でした。
 ここから、巷間騒がれている様々な誤解を解きつつ、それでもなお残る疑問から、問題の本質を明らかにしていきたいと思います。

3.誤解

①黒川氏定年延長がこの法律で決まる
 決まりません。
そもそも黒川検事長の勤務延長はすでに閣議決定が行われ、進んでいます。より正確には国家公務員法81条の3に基づく措置であり、この法案次第で勤務延長がなくなるというわけではありません。
 ただし、この黒川検事長の勤務延長については、すでに述べたとおり、解釈変更の内容や手続を巡って違法性が指摘されているところであり、この法改正を行うことによって、そのような指摘を排除しようとする狙いはあるのかもしれません(次に述べる通り、法案の施行日を見る限り、そのような効果はないのではないかと考えますが)。

②黒川氏を検事総長にするための法改正である
 誤りです。

 今回の法改正が成立したとして、その施行日は2022年4月1日です。
 少し細かな話になりますが、お付き合いください。
・黒川検事長のお誕生日は2月8日(今年で63歳)。閣議決定で2020年8月7日まで勤務延長とした。
・現検事総長の稲田伸夫氏は2018年7月25日就任であり、検事総長の平均在任期間は2年であることからすると、2020年7月25日までに退官されることが考えられる。もっとも稲田氏が平均在任期間を超えて在任し、定年まで勤務を続けるとすると、稲田氏が65歳となる2021年8月13日まで退官しない可能性もあります。
 以上を考慮すれば、黒川氏が検事総長になるかどうかは、そもそも施行されていない改正検察庁法の問題ではなく、むしろ稲田検事総長の退官次第ということになります。稲田検事総長が定年まで退官しない場合、黒川検事長の勤務延長を再延長しなければならないことになります。

③政権への捜査を免れるための人事介入である
 誤り、というか邪推の域を出ません。
 そもそも現在の検事総長のもとでも安倍総理に対する捜査など行われておらず、またIR汚職の容疑がかけられた5議員の立件は見送られ河井案里議員及び河井克行前法相の秘書に対する公職選挙法違反容疑の捜査は進んでいます。

④三権分立が脅かされている
 誤解されがちですが、検察庁は行政府に属するものであり、検察権は行政権の一つです。したがって、検察権と内閣の関係を、三権分立という観点から見る場合、その何が脅かされているのかを正確に理解しなければ、ミスリーディングになってしまいます。
 行政府の中でも検察庁というのは特殊な組織であり、すでに述べたとおり、政治的な独立性を保たなければならない官庁です。したがって、その独立性が脅かされないかどうかが重要です。国家公務員法とは別に検察庁法が規定され、特別な規定が置かれているのはその独立性を担保するためです。検察庁法は、様々な規定で法務大臣の権限を最小限に留めており、極めて難しいバランスを調整しながら緊張関係を保っています。先に紹介した今年冒頭の解釈変更は、立法府が定めた検察庁法の解釈を、内閣限りで行うという点で、立法府への過度の介入をしているといわれるべきものとも言えるでしょう。
 逆に考えれば、検察庁法改正案を立法府が議論することは、行政府と立法府との関係という観点からすればむしろ正しい姿であるともいえます。
 しかし、他方で、検察官とは、準司法的作用も有する組織であり、裁判所との関係では、検察官が訴追しない刑事事件は(極めて例外的な場合を除いて)司法の場に置かれないわけです。したがって、やはり冒頭に述べたとおり、検察庁の独立性は適切な司法の機能に繋がるわけです。
 なお、検察庁法第15条は、「検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行い、天皇が、これを認証する。」として、法務大臣ではなく内閣によってこれらの人事を行うものとしている。つまり、法務大臣に従属するという立場ではなく、むしろ同等以上の立場として扱っているとも解されます。なお、これらの人事も、もちろんその運用にあっては内閣による恣意的な任免が行われないように配慮されなければならないことは言うまでもありません。

⑤内閣が検察官人事に介入するための措置である
 
これは正確には「介入と思われるようなこともできなくはない」が正しいでしょう。実際には人事院規則によって細かな要件が組み立てられます。しかし、問題は国会の委員会答弁を通しても、どのような場合に役職定年制の特例が認められるのか、「内閣の定めるところ」がどういうものなのかが決まっていません(今後議論していくとのこと)。まだこれが決まっていない状況で、法律が内閣に全て白紙委任するというのは確かに危ういと言わざるを得ません。「5.問題の本質」でもう少し詳しく述べます。

⑥この法案を止めれば安心である
 今回の一件で多くの方が知るに至ったと思いますが、法律はたくさんのことを政省令や内閣府令に委任する形などで、政府に細かな判断基準や要素などの委任を行うことがあります。これは複雑高度化する社会の中で、すべてを立法府に委ねるのではなく、余白を作りながら、現場で最も専門的に事象を扱う行政官に細かなオペレーションのマニュアルを委ねるという思想です。これ自体は非常に合理的です。当然ながら、これらの委任を受けた政省令等が法律を超えることをしてはいけません。
 多くの方のTweetで、この法案を止めれば安心という雰囲気を感じざるを得ませんでした。しかし、そうではありません。この法案に限らず、立法府が成立させた法律を行政府がどのように運用するのかは、国民の不断の意見表明と監視という努力によって最適化されていきます。違法な行為が行われた際に、法の番人である裁判所が判断するというのは事後的な対応にすぎません。より重要なのは、「私たちはあなた達の運用を見ていますよ」というメッセージを発し続けることで、行政府が間違った方向に行かないように予防することです。

4.疑問

 以上を踏まえて、私が今回なお疑問に思っていることを記します。

1.役職定年制に対する特例を設ける場合の運用指針・基準は何なのか
 個人的には、人生100年時代において、民間と同じく国家公務員も定年を延長することに異論はありません。さらに、人件費削減のために役職定年制を設けることにも賛成ですし、もっというと、特殊なケースで役職定年制に特例を設けることにも賛成です。
 しかし、どうもまだこの「特殊なケース」の判断軸が見えてこない。見えてこない以上、白紙委任ということになりますが、それはここまで述べてきたような、検察庁法が調整する極めて困難なバランスという歴史の努力を水泡に帰しかねないものになりえます。細かな要件まで規定されずとも、少なくとも委員会、本会議の中で運用に関する基準などを議論し、これが決まるまでは法案の採決には進まないという意思決定が行われるべきではないでしょうか。(そもそも法務大臣が定める準則という文言もある中で、なぜ法務大臣が答弁の場に現れないのかも多分に疑問です。)
 あとは非常に細かな点ですが、興味深い点として、検察庁法改正案第22条第6項で、「内閣の定めるところにより」という極めて法文上珍しい定め方をしているのも説明を求めたい点です。「内閣府令で定める」などではなく、「内閣」としているあたり、やはり検察官の独立性を担保するために、法務大臣や内閣府に従属せず、内閣が任免と同じように決定するということでしょうか。

2.なぜ「この時期に」検察庁改正案の審議をするべきなのか
 内閣委員会では、特措法を含め新型コロナウィルスに関する質疑を優先すべきではないかと考えます。また、すでに前国会からの持ち越しを含めて数十本以上の提出法案がある中で、この改正案は緊急度、優先度としては低いものだと考えます。あえて、このコロナ禍でこれを進めないといけないのであればその説得的な理由が説明されるべきです。

3.なぜ昨年秋の当初の改正案からの変更が行われたのか
 ②で述べたように、要するに法務省は昨年秋まで、上記の②-ⅱのような複雑な仕組みは不要と判断していたわけです。そこからどのような事情変更が起きて、検察庁法改正案第2項~第8項が追加されたのかの説得的な理由が説明されるべきです。

5.問題の本質

 思いの外、長文になってしまいましたが、この問題に対する私の疑問は4に述べたとおりです。そして、現時点で私がこの問題の本質と考えるのは、国民に誤解や疑心を与えたまま進めてしまってよいのかという点です。
 実際、理解できることもありますし、4.に述べたとおり疑問に思うこともあります。しかし、法曹の端くれとして感じるのは、少くない国民が、政府や検察庁に対して、疑心暗鬼になったり、不信を抱いたまま法案が採決されてしまう点です。大げさな話ではなく、検察庁という組織に対する信頼が揺らぎかねない事象であり、これは総理大臣や法務大臣がどのような認識であろうとも、Twitter上で国民の多くが疑念を投げかけたとおり、どのような認識を国民が受けるか、持つかというのは国民次第です。検察庁は、行政府の一員ではあるものの、国会議員や内閣総理大臣、閣僚に対しても捜査権限、起訴権限を持つ組織、官庁であり、政治の安定性、信頼性を担う重要な機構です。その信頼を揺るがしているということ自体はファクトであり、重く受け止めていただいた上で、今国会でどのような対応をしていくのかを注視したいと思います。

参照:
検察庁改正案の新旧対照条文:実はこれが一番見やすく、またこれくらいしかないのではないかな…。
・あと上で述べた立法論は全く別にして、今回の件の裏側には検察庁の考える人事と政府/官邸の考える人事の差異によって生じているということが以下のような記事から垣間見えるかと思います。(もちろん全部信じているわけではないですが)
揺らぐ“検察への信頼”~検事長定年延長が問うもの~(NHK NEWS WEB)
「黒川東京高検検事長“定年延長”の真実」安倍政権の思惑vs.検事総長の信念(文藝春秋digital)
須田慎一郎が解説~東京高検の検事長定年延長決定の裏側(ニッポン放送 NEWS ONLINE)

【2020.05.10[23:05]追記】

ねぼすけさん、obonuさんよりコメントでご質問、ご指摘があったため、追記として、私の理解を以下、述べさせていただきます。
お二人が言及していらっしゃるのは、「国家公務員法等の一部を改正する法律案」のうち、附則(検討)第16条第1項の以下の条文かと存じます。

第十六条 政府は、国家公務員の年齢別構成及び人事管理の状況、民間における高年齢者の雇用の状況その他の事情並びに人事院における検討の状況に鑑み、必要があると認めるときは、新国家公務員法若しくは新自衛隊法に規定する管理監督職勤務上限年齢による降任等若しくは定年前再任用短時間勤務職員若しくは定年前再任用短時間勤務隊員に関連する制度又は新検察庁法に規定する年齢が六十三年に達した検察官の任用に関連する制度について検討を行い、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。

(なお、「国家公務員法等の一部を改正する法律案要綱」の「第十一 附則」でも、この点は「公布の日から施行することとするほか、必要な施行期日を定めるものとすること」と丁寧に(とてもわかりづらく)公布日から施行される点が記載されています。ちなみに、この附則の正確な文言は「二及び四は公布の日から施行することとする」とあり、第十一の「二及び四」と読むのが適切な解釈ですが、悲惨なことにこの要綱の「”第”四」には「第四 検察官の定年を段階的に年齢六十五年に引き上げることとする等、所要の規定の整備を行うものとすること」と検察庁法改正に関する条項があり、この読み違いをすると、検察庁法の改正の一部がまるで公布日から施行されるように読めてしまい、誤解が一部で生じているようです。)

 さて、これについてですが、附則に記載されているのは、「新検察庁法に規定する年齢が六十三年に達した検察官の任用に関連する制度」についての検討を引き続き行うということであり、同制度は改正された後の新検察庁法が施行されない限りは効力を有しないため、やはり検察庁法改正案にある施行日以前に検討を越えた何らかの措置が行われるという解釈はできないかと存じます。
 ただし、これも法解釈の一つに過ぎないため、ぜひ議会において、本当に検討を越えた何らかの具体的な措置が行われないのかを議論し、政府の答弁を引き出していただきたいと思います。
 これがまさに、立法事実を積み重ねていく行為であり、後に勝手な解釈で運用が行われない「運用方針・基準の明確化」であります。

【追記終了】

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結城東輝(とんふぃ)
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