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fermataを振り返る


閉じ込めていた自分をさらけ出したら評価された

私の人生にそんな経験が待っていたとは、今でもにわかに信じ難いことです。
昨年私は人生で最も(出産以外で)素敵な体験をさせていただきました。
カメラも持たない私が、なんと写真展を開催するという運びとなったのです。

私の写真歴・・・

元々写真好きで、小学校の頃は父親のカメラを拝借したり、インスタントカメラ1つ24枚全て夕陽を撮ったり、ガラケーで風景を撮ったり、子供が産まれてからはコンデジを使う、と時代ごとにツールを変えて写真を撮ってきました。
一眼レフの購入は何度も考えていたものの、何せ面倒くさがりな性分で、手入れの大変そうなカメラに手を出す自信がないまま40歳になっていました。
そのうち携帯電話はめくるめく進化を遂げ、携帯電話としてだけでなく、ほぼPC並の機能を持つようになります。同じくiphone内蔵カメラの進化も著しく、コンデジより遥かに画質も良い上、気軽に写真を撮ることができるので、写真を撮る行為は特別なことではなくなりました。故、iPhoneで写真を撮ることは日常化していました。

突然日常を変えたもの

iPhoneで日常の記録残すことが当たり前になっていた2018年、お正月が過ぎた1月17日のこと。
私と子供は三人で函館の五稜郭タワー観光をしました。予想はしていましたが、中国の方が大勢です。
レンズ部分に文字の入ったサングラス、紫色の超ミニスカート。赤いダウンジャケット、飛び交う中国語。そこは日本にいる心地がしない空間でした。
そんな中国人を横目に五稜郭タワーを堪能し、近場だけどお土産なんて買って、ちょっとした観光気分を味わいました。

その十日後!!

テレビでは見慣れない「新型コロナウィルス」の文字だらけになり、私たちの日常は大きく変化します。まず、私たちは危機でした。
何せ、得体の知れないウィルスで人が亡くなっている国は、よりによって中国だと言うのです。
10日前に多くの中国人と同じ空間にいた私たちの背筋はキンキンに凍って、生きた心地がしないほどでした。

〜私たちはもしかしたら感染しているかも知れない〜

度重なる報道に、不安は募ります。感受性が豊かすぎる私と長男の打撃は大きいものでした。次男は繊細だけど気遣いをするタイプなので、私を励ましてくれたり、笑わせてくれたりしてくれたのを覚えています。本当は本人も不安だったのになんて優しい子(涙)。※親バカを挟みます。

そして、日本中のマスクが無くなった

日が経つにつれ、日本での感染者や重傷者が増え世界的にもパンデミックがはじまってきた頃、日本の学校は休校となり、私も仕事を免除していただき休んでいる間、マスク不足の対策でマスクの手作りに励みました。
国民的コメディアンの志村けんさんの訃報の衝撃は大きすぎるものでした。
志村けん好きな友人も私と同じくテレビの前で、信じられない!号泣した!と連絡が来て悲しみを分かち合いました。
外出も自粛し、それでも必要最低限の少し買い物に行くだけで、アウターにウィルスが付くだとか、買ってきた商品にもウィルスが付いているから消毒した方が良いなど、日本中が神経過敏になりました。自分の命を守るため必死でした。コロナ前からウィルスが嫌いすぎでアルコールや次亜塩素酸ナトリウム系を持ち歩くほどだった私には生き地獄の日々でした。

それは後に、消毒をすることは当たり前になり、「時代が私に追いついたとはこの事だ」と、なんの恥じらいもなくリュックから消毒液を出せるようになるという、私にとってありがたい時代の変化となるのです。

コロナ禍によるSNSの価値の上昇

「なるべく人と会わない、外に出ない」そんな日々においてSNSは唯一のコミュニケションツールに変化していきます。
私も以前は、自分が楽しかったこと、好きなこと、綺麗な風景を投稿し、たまに説明以外のキャプションを付けることはありましたが、主となるのは自己満でした。

しかし、コロナ禍でのSNSは文字通りコミュニケーションが取れる、人と人を繋ぐものとなりました。
「人と会わない」その状況で友達の近況が知れたり同じくコロナ禍で心を痛めている人がいることを知り「私だけじゃないんだ」そう勇気づけられた人が多かったようです。
過酷な現場で活躍されている医療従事者を励ますようなハッシュタグをつけることで、みんなで乗り越えよう!という意思確認にもなり実際その声が少しでも届いていていたはずです。

それでも夕陽は綺麗だった

いつ終わるのかもわからないコロナ禍。3月だったでしょうか。政府も少しの散歩は許していましたので私は近所を散歩しました。すると、雪解が進んでいたのです。コロナ禍で時間が止まっているような日々でも、心に火を灯すような夕陽が変わらずここにあったのです。その無情な美しさを、言葉と共にSNSに投稿しました。コロナという大事件や子育ての悩みで感情を揺さぶられていると、私の頭の中はごちゃごちゃ、言葉だらけになっていました。
そして、5歳から20代まで時折書いてきた詩を書く感覚での投稿へと形を変えていきました。

地元へ帰れられない方からの声

コロナ禍でも地球は周り、季節は変わり、美しい風景がある。それをIphoneで写した画像と、詩のようなものを一緒に投稿する中で、思いがけないコメントを頂くようになりました。

〜コロナ禍で江差町に帰りたくても帰れません。
江差の様子を見られてとても嬉しいです〜


私がアウトプットしたことが誰かを喜ばせている?!とても意外でした。
私は驚くと共に、誰かのためになるなら(泣)もっと沢山投稿しよう、続けよう!
そう決心しました。

それを目に留めてくれた方

そんな私をSNSから拾い上げて下さったのが、江差町いにしえ資源研究会代表の室谷氏です。「蔵で写真と詩で写真展をやりませんか?」とお声がけくださいました。

いにしえ資源研究会とは、「私は短大中退、努力知らずで、肩書きもない経歴もない
まま40歳ですよ?そんな私がですか?」室谷氏は2つ、私に教えてくださいました。

一つは
40歳なんてまだまだこれからだよ!
僕には92歳で本を出版している友人がいるよ?
僕も人生振り返ると、40から色々はじめたなあ。
これから
だよ〜。楽しいじゃない♪」

2つ目は、何も肩書きのない私に
「いいじゃない。肩書きなんて大した事ない!
欲しいなら時々詩人がいいっしょ!」

その日から私は時々詩人を名乗るようになりました。
あとから知ったのですが、室谷さんはすごい人なのです。人間の良い部分に注目し、世に出す。ジャニーズで言うとジャニーさんみたいな方です。

室谷さんご自身も、江差漆工房や青森との交流、ラジオ出演、また、文芸誌「えさし草」や江差フォトクラブ等…数え切れないほど多岐に渡る活動をされています。
見た目は背の高いオシャレなおじさま♡72歳には見えません。室谷さんは私の生みの親と言っても過言ではありません。感謝してもしきれない気持ちです。

実は…私はそれまで地元江差町があまり好きではありませんでした。
そして、同時に私は自分自身のことも愛せていませんでした。経歴も自信もない、日々四苦八苦するシングルマザー。肯定感などありませんでした。そんな私に何か出来るわけがない。しかもiPhoneで写真展、聞いたことがない・・・私の心は揺れました。
しかし、この町にも、コロナ禍でも身近なところに心がホッとするような風景がある、地元を愛し盛り上げようとしている人がいる、そこに私のアウトプットが地元に役立つなら…その思いで写真展をやらせてもらうことを決意したのです。
つづく。。。



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