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"たまらねぇ〜"デザインリサーチの魅力

この記事は Goodpatch Design Advent Calendar 2021 6日目の記事です。

今回はUXデザイナーとして働く私が愛してやまないデザインリサーチの魅力について、主観たっぷりでお話したいと思います。(あくまで個人的な見解で、アカデミックな理論背景などもないです。)

サムネは思いつかなかったので、故郷で開催していた運動会で撮った写真にしてみました。いいテーマですよね。ガチで他意はないです。

0.過去のお話

さっそく本論からは逸れますが…

私は高校時代、宇宙物理の研究者を目指して、受験勉強に励んでいました。

宇宙には、自分がいる地球とは違うけれど同じ法則のなかで成り立ってる世界が広がっていて、そんな世界を探究するロマンに憧れていました。

しかし私は、大学受験の失敗を機に、
「研究者なんて、才能の世界でしょ…。ここで落ちるような奴が、優秀な研究者になんてなれるはずがない…」
そうやって研究者の道を諦めるようになりました。(そんなことはなかったと今では思いますが。)

そんなが私が時を経てUXデザイナーとして働くようになり、デザインリサーチを仕事の1つとして行っているのには、どこか縁を感じています。

1.デザインリサーチとは

リサーチ(Research)とは
日本語では「研究」「探究」と訳されることが多いかと思います。

こういった研究活動を分解して整理したことを、昔記事にもしました。

簡単にまとめると、リサーチとは
・問い(Research Question)を立てて
・仮説を構築し
・論証をしていく
このような要素を持っている活動であると思います。

そしてデザインリサーチは、問いの多くがユーザーを軸にして立てられることで、リサーチ全体を通してユーザー理解を深めていく活動であると考えています。

例えば
・ユーザーとは一体誰のことを指すのか
・ユーザーはどんなコンテクスト(状況・環境・文化)にいるのか
・そのコンテクストの中で、どんな行動をして、どんなことを思っているのか
・ユーザーが抱えている課題や欲求はどのようなものか
・ユーザーはソリューションを通して価値を享受できるのか

このようなユーザーを軸とした問いに対して、さまざまな手法を通して仮説を立て検証をしていくことで、ユーザー理解が深めていくということです。

2.デザインリサーチをする意味

デザインリサーチはシンプルに言うと、ユーザー理解を深める活動だと述べました。
そしてこれらの目的は、ユーザー理解を深めることで『ユーザーとものづくりの相互作用の関係を構築するためであると捉えています。

・ものづくりの着想の立脚点になったり
・ものづくりの軌道修正のフィードバックを与えたり
・逆に、作ったものをユーザーに見せた反応によってユーザー理解が深まったり…
そのように、ユーザーの理解とものづくりがお互いにコミュニケーションをとりドライブさせていく。そのような関係性を築いています。

このようなデザインプロセスは、作り手の技術力や欲求によってものを作りをするのではなく、『ユーザーとのコミュニケーションを通じて、ユーザーが真に価値を享受できるものを作りたい』という思想からきていると思います。

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ここで、自分自身に1つ問いを投げかけてみようと思います。

ユーザーを「理解する・わかる」とは一体何なのか…?

つまり、ユーザーを「理解している・わかった状態」とはどんな状態なのか。ゴールはあるのか。
この感覚がとても深淵であり、リサーチャーの心を捕らえているものなのではないかと思います。

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3.リサーチャーの心を動かすもの

社内のUXデザイナーと話している中で、「リサーチをしていて一番グッとくる瞬間はいつだろう?」といった話題になったときに、ある方が
自分のバイアスが崩れた瞬間。つまり、こうゆう風に答えるだろう・こんな行動をしてくれるだろうと考えていたけれど思ったようにならなかった、そうゆう瞬間。』と答えていて、私もとても共感したことを今でも印象に残っています。

バイアスが崩れる・ユーザーに良い意味で裏切られる瞬間に、リサーチャーは既存の見え方が取り払われ、あたらしい世界の見え方(insight)を獲得します。ユーザー・ないしは世界に対する、新しいパターン・秩序・法則を見い出す、ともいえるかと思います。
まさに「わかる・理解する」感覚の1つに近いのではないでしょうか。

この瞬間は、ニュートンがリンゴを落ちるのを見て重力を着想した時もさながら?の興奮を覚えます。
(私自身、この1年9ヶ月ほどUXデザイナーとして働きながら、リサーチを通して「これはやばい!」(語彙力…)というインサイトフルな体験をして、体は疲れているはずなのに頭がバキバキに冴えてしまう・そして誰かに発見をシェアしたいと言う気持ちが焦り、全然眠れなかったという体験が数回ありました。笑)

・デザイナーがデザインを見せたくなるように
・エンジニアが動くプロダクトを見せたくなるように
リサーチャーは、自分が見つけた新しい世界の見え方を、誰かに提示したい気持ちでいっぱいになります。(私の自己顕示欲が強いだけなのかもだけど?)

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ところで、リサーチとはあたかも客観的な情報を収集し分析する作業のようにも思えますが、僕はそうでもないんじゃないかなという意見です。
定量は客観、定性は主観に寄っている、といった考え方もあると思いますが、私はいずれにしても、リサーチのプロセス ー問い・仮説立てとリサーチ設計・データの収集・データの分析・…ー の中で、リサーチャーのエゴは意図せずとも組み込まれていると思います。

・確証バイアス(自分が興味のあることや正しいと思うことを補強する情報)
・ハロー効果(あるものごとを評価する際に、顕著に目立つある特徴に引きずられて、他の特徴の評価が歪められる傾向)
……など、人間には数多くのバイアスが存在しており、リサーチの客観性を担保することは限度があると思います。

ここで言いたいのは、だからリサーチを通じた発見には意味がないんだ、というわけではなく、(客観性がないから無意味だ、なんてのはとんでもない!)
主観から完全には離れられないリサーチャーは、観察対象(ユーザー)に目を向けてていると同時に、自分自身を写し鏡のように見ているのではないか、ということです。

あるものごとを発見や気づきとして捉えている自分自身に気づき、発見によって新たな世界の見え方を自分の中に作り出していく。

ユーザー理解と自己理解を
インサイト(発見や気づき)を通じて表裏一体に獲得していく。』

そんな気がしています。そして自己理解であり、自己を拡張する?ような感覚が、リサーチャーの心を動かして離さないのだと思います。

4.問い直し。『私はなぜリサーチをするのか?』

デザインリサーチの意味づけから、「理解するとは?」と問い直しリサーチャーの心を動かすものについてを考えてみました。ここで改めて「私はなぜリサーチをするのか?」という問い直しでもって整理してみます。

1つ目は、深淵で終わりのない、人間やこの世のに対する構造を理解しようという試み・そのような真理を追求したいという欲求にあると思います。

2つ目は、発見や気づきを通して新しい自分自身を獲得する瞬間を求めている。リサーチは新しい世の中を知覚することであり、新しい自分自身を知覚することであると思います。

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ところで突然ですが、漫画『チ。』をご存知でしょうか。
天動説が当たり前の世の中で、地動説の美しさに心を動かされた登場人物たちが、異端教徒を取り締まる人たちの攻撃を受けながらも、真実の「知」とされる「地」動説を証明しようと奔走する、そんな物語です。

この漫画にあるセリフが、リサーチャーの欲求を言い得ているようでとても印象的でした。

>…ふ、不思議だ。
ずっと前と同じ空を見てるのに、少し前からまるで違く見える。

>きっと、それが何かを知るということだ

ー『チ。』第3集より引用ー
>…何故、そんな悲劇を味わったのに、学問とか研究とか、そうゆうことから離れないんですか?

>神が人間に与えてくださった理性を自ら放棄したくないからです。

ー『チ。』第4集より引用ー


5.リサーチャーとしての戒め

ここまでリサーチャーとしての自身の欲求を言語化してみましたが、
デザインリサーチという仕事に翻って考えた時に、この欲求とうまく付き合う必要があると考えています。

それはユーザーに対して・世の中に対して、"過度に"パターンや秩序・メカニズムを求めるべきではないのかなと思っています。

例えば、ダニング・クルーガー効果という理論では、何かのし始めや情報をとり始めた時に、人間は『できる気・わかった気になる』ことが言われています。
自身を考えてみても、リサーチの初期でユーザーのことをすごく理解した気分になるけど、ものを作り反応を見てみると思ってたのと違う…ユーザーのことがわからなくなる、そんなことがよくありました。
リサーチャーが"ユーザーを理解した気になる"という落とし穴にはまらないよう注意が必要なのかと思います。

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そして、先ほども述べたように、リサーチャーはリサーチの過程で主観を下ろすことが難しいです。
リサーチャーは自分が知りたい情報を無意識に選びとっている」といった前提に立たずに、ユーザーはこうであると決めつけることは怖いことです。

また、社会構成主義という考え方では
・世界は客観的に存在すると捉えるのではなく
・人々のあいだのコミュ ニケーションによって合意された結果として初めて現実となる
といった捉えた方を提案しています。これも、"客観的な真実や事象"といった捉え方へのアンチテーゼと考えられます。

私たちが「現実だ」と思っているこ とはすべて「社会的に構成されたもの」です。 もっとドラマチックに表現するとしたら、そこにいる人たち が、「そうだ」 と「合意」して初めてそれはリアルになるのです。

現実はいつも対話から生まれる」より引用

何より、ユーザーは生きている生命です。
生命は常に変化をしているし、全てをメカニズムとして捉えるのは限界がある、『動的平衡』といった生命のあり方の概念も提唱されています。

1つは、世界の成り立ち、宇宙の原則、生命の仕組みというものの裏には非常に美しい隠された幾何学的な秩序があって、明確な摂理や因果関係があるというピタゴラス的なイデア論での見方です。
(中略)
もう一つの立場は、世界は止まっておらず、動的なものなので、常に運動しているものだという見方です。秩序は一瞬現れては消え、現れては消えるもので、もっとぐにゅぐにゅしたあいまいなもので、幾何学的な秩序に近づくこともあるし、遠ざかることもある。その運動の中にこそ美しさがあり、世界の成り立ちの面白さもあるという動的な立場です。

せいめいのはなし』より引用

私たちは、リサーチというプロセスの中で、ユーザーのある時間時点の情報を切り取ります。ユーザーを微分して観察している、とも言えるでしょうか。そのようにして行動や感情とユーザーのコンテクストとの間に因果関係を求めます。

しかし動的平衡の考え方は
・ユーザーは全てメカニカルには動いていない
・ユーザーは常に変化しており、観察時点で理解を深められたユーザーとの現在のユーザーは異なっているかもしれない

という理解に繋がるのではないでしょうか。

これらの考え方も同時に持ち合わせることが、リサーチャーとしての戒めだと考えています。

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このようにして、ユーザーに対して・世の中に対して、"過度に"パターンや秩序・メカニズムを求めるべきではないのかもしれない。
ユーザーはこうであると決めつけるスタンスは、同時にユーザーを自身の理解の内に閉じ込めてしまうことでもある、と思うようになりました。

ビジネスの現場では、早いスピードで意思決定をすることが求められます。
ゆえにデザインリサーチの結果、ユーザー理解においても暫定解を都度提示し、意思決定をしたりものづくりをドライブさせていく必要があります。

しかし一方で、リサーチャーとしての戒めを心に留めること。
つまり、インサイトによって完全なる判断を下してしまいユーザーを自分たちの理解に閉じ込めるのではなく、ちょっと立ち止まって判断するのを留保する(エポケー)余地を残しておく。そんなスタンスがあっても良いのかなという風に思っています。

このようなスタンスが、『ユーザーとものづくりの相互作用の関係を構築する』というデザインリサーチの目的の上で、サービスが"長期的に"成長し価値を提供し続けることをサポートしうるのではないでしょうか。

6.最後に

……という感じで好き勝手に話して、結論はあまりなく取り留めのない話をしてしまいました。デザインリサーチの魅力は伝わったでしょうか…?笑

デザインリサーチの対象は現実の世界に生きるユーザーであり、リサーチを通してユーザーへの理解を深め、世界の見え方や自分自身すらも更新していく。
そんな知の探求の連続が、デザインリサーチの魅力であり『たまらねぇ〜』んです。

ということで、ここまで読んでいただきありがとうございました。
リサーチについて・その他何でも、私も語りたいって方がいたらぜひ聞いてみたいです!

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