Tomuya

歌手、プロデューサー、作家、日仏映画研究家。日本での活動を経て1992年パリで歌手活動…

Tomuya

歌手、プロデューサー、作家、日仏映画研究家。日本での活動を経て1992年パリで歌手活動を開始。現在、代官山晴れたら空に豆まいて、四谷ウナカンツォーネなどで定期的にライブを行う。著書に「日仏映画往来」松本工房 2017年、「パリの『赤いバラ』といわれた女」さくら舎 2019年など。

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目白村だより36bis(天使マリリン②)

 そう、きっかけは、パリとKのポスターだ。そのポスターの話しをしたMさんとマリリンとの御縁が、小説にさせたのだ。 それは、なんだか全部、決められていた気もする。  私が、書き通せたのは、参考の為に読んだ、夥しい量の出版物の内容より、彼女が放っている孤独の叫びが、いつも心に刺さるからだ。  私たちは、出会いのドラマを繰り返し、生まれては、死んで逝く。  マリリンの出演した映画は30本。そのうち3本は、ほとんどカメラテストで、何処にいるのか気がつかない。  本当に、役らしい役が

    • 目白村だより38(マリリン〜歌の翼〜) 

      マリリンが拡げた歌の翼… この世に残した最後の歌声が、ケネディの誕生会で歌ったバースデイソングだ。  この映像は広く知られるところだが、とても痛ましい。   マリリンの歌に関しては余技だという人もいるが、渋い魅力がある。そして映画に呼応したヒット曲、有名曲が沢山ある。   白眉は「お熱いのがお好き」の(I Wonna Be Love By You)だろう。 まったくモンローにドンピシャの名曲。 歌唱はウィスパーが基本だが、音量や音程などは超えた存在感で独特のビブラートが入る

      • 目白村だより38bis(マリリン〜恋の翼〜)

         マリリンとフランスの国民的スター歌手&俳優イヴ・モンタンが恋に落ちた。 1960年の「恋をしましょう」撮影中である。  マスコミでも大騒ぎになり、シモーヌ・シニョレ夫人が慌ててハリウッドに駆けつけた。ちょっとした浮気なら、片目をつぶるフランス人が騒いだのにはわけがある。  シモーヌ・シニョレは知性的演技派女優として国民的人気があり、このカップルはフランスを代表する文化国際親善大使なのだ。    1957年に発表された映画「シャンソン・ド・パリ」を見るとその立ち位置が良く分

        • 目白村だより37(アーロン劇場) 

           イェール大学のアーロン・ジェロー教授はいろいろな肩書を持つ方だが、特に日本映画は無声映画から実に沢山見ておられアメリカの権威だそうだ。  フランスの友人マックス・テシエと話させたら、とても面白いトークになるだろう……と思いつつも今回は(アーロン劇場)と勝手にタイトルを決めて、その上 教授が好きな日本映画10本を選んで貰う地獄のリクエストをしてしまった。 〜の中から〜本という選択は、映画を知れば知るほど非常に難しい。  しかし我らがアーロン教授は、サラッと選んでくださった。流

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        目白村だより36bis(天使マリリン②)

          目白村だより36(天使マリリン①)

          マリリン・モンローを小説にした。小説とはいっても、この話の狂言廻しは、実在するMさんという、九星気学&四柱推命の占星師である。Mさんと私が、知り合ったのは、1980年代の終わり頃で、友人の紹介であった。  私は、1990年代には、頻繁にパリに行く様になり、多忙を極めたが、いろいろ彼女のアドバイスで助けられた。 物事には、思考しても、どちらにしていいかわからない事がある。そんな時に彼女は、とても冷静に答えてくれるのだ。いわゆる、霊感占いではない。彼女は、あれこれ本を調べて、研究

          目白村だより36(天使マリリン①)

          目白村だより35bis(サティ通り2番地〜島田りり③)

          りりさんに誘われて、とんでもないイヴェントに出た事がある。最近整理中に、そのチラシが出てきて、また可笑しさがこみ上げてきた。 御主人の浜田剛爾さんは、現代アート界を牽引する人である。とにかく皆地味なので私には、なるべく派手な格好で、一曲歌ってくれと、彼から云われた。 私が、映画(CABARET)の主題歌を歌いながら、2階のバルコニーから、降りてくる演出であったが、地味どころか、出演者全員がヘンで、まるで、「ロッキー・ホラー・ショー」な、ゴールド派手衣装の私が、一番地味。最初、

          目白村だより35bis(サティ通り2番地〜島田りり③)

          目白村だより35bis(サティ通り2番地〜島田りり②)

          りりさんとは、パリでも何度か会った。サンジェルマンのドゥ・マゴが多かった。 彼女の定宿が、近くだったからだ。本当はモンマルトルが、大好きなりりさんは、私のモンマルトルのアパートを、しきりに羨ましがった。  彼女は、サティの一番弟子のレッスンを長く受けた(サティ弾き)であったが、たまに歌伴(例えば、薩めぐみ)もした。 実現しなかったけれど、りりさんとサティの歌詞のある曲だけを、日本語で歌おうという企画もあった。 サティの歌曲は、キテレツであり、ちょっと落語のような歌詞もある。日

          目白村だより35bis(サティ通り2番地〜島田りり②)

          目白村だより35(サティ通り2番地〜島田りりさん①) 

          神田神保町すずらん通りのパサージュに、行ったのは、軽い好奇心である。どららかというと帰りに近江屋のアイスを買う目的の方が、主であった。鹿島茂プロデュースのこの本屋の存在は、3年くらい前に、なにかで読んでいたが、どうも集団で集まるのが苦手なのと、共同墓地のような感じかして行かなかったのだ。 しかし、百聞は一見にしかずであった。しかも、現在新しい3号店ソリダが、出来て棚主店主を、募集しているという。パサージュから、歩いて200メートルの近さ、靖国通り沿いにソリダはあった。まだ、売

          目白村だより35(サティ通り2番地〜島田りりさん①) 

          目白村だより34(意に染まない音①)

          音楽、文学、映画…その幅広さで、無敵の文化批評家小沼純一さんと、映画と音楽をテーマにライブトークをする。 トークだけは、あまり経験していないが、今年は、11月26日から三週間パリ日本文化会館のイヴェントでも、トークだけの日がある。普段のLIVEでのMCでは、どうしても語り尽くせない話をしてみたい。 今回の、CINEMA PARFAIT…二人共甘辛党だし、シネマパフェという名前が気に入っている。 打ち合わせで、病院のMRI検査のときのBGMの話になった。私も毎回、思っていたこと

          目白村だより34(意に染まない音①)

          目白村だより33(映画主題曲への誘い②)

          アカデミー視覚効果賞を獲ったということで、「ゴジラ−1.0」を見た。沢山のゴジラ映画を、見てきたが、いつも戻るのは、最初の作品である。1954年東宝作品は、本田猪四郎が監督。脚本は村田武雄と本田の協同である。 私はこの映画を、リバイバルで、1960年以降に見ているのだが、モスラや、大魔神や、様々な特撮映画が、混ざってしまい、後年見直すまで残っていた記憶は、伊福部昭のメロディだけだった。逆にそれほど、何度も繰り返される野太いメロディが、強烈だったのだ。私のなかでは、あのメロディ

          目白村だより33(映画主題曲への誘い②)

          目白村だより32(映画主題曲への誘い①)

          11月にパリで、日仏映画往来をテーマにした、ポスター展と公演等のイベントを催す事になっている。 それもあって、LIVEは、映画主題歌に重きを、おくのだが、改めて自分のレパートリーを、見直す機会でもある。 今回3月6日のLIVE「パリは霧にぬれて」で、ルネ・クレマンの映画音楽特集をやるに当って、「禁じられた遊び」を再見。 この映画を、初めて見たのは、子どもの頃、麻布十番の映画館だったが、記憶がうすく、はっきりしているのはその後、淀川長治「日曜洋画劇場」(テレ朝)である。 その後

          目白村だより32(映画主題曲への誘い①)

          目白村だより31(パリは霧にぬれて)

          昨年は、九月から十二月まで 毎月テーマを変えたLIVEを、敢行したが、我ながら、新曲ばかりで、はらはらしどうしであった。 しかし、過ぎてみて、やはり自分が得た事は、大きい。 それは、あらためてフレンチ・ジャズの系譜を、歌って確認してみて、トレネ、レイ、ジャンゴ、サルバドール…と、並べた天才たちの仕事が、体系的に、自分に見えたことであった。 特に、ジャンゴは歌詞のないものばかり。それに日本語をつける大実験であったが、分かってくれた人たちがいた事が、嬉しかった。来年、もう少し掘り

          目白村だより31(パリは霧にぬれて)

          目白村だより30(長嶺ヤス子の猫)

          長嶺ヤス子さんという強烈な、フラメンコパフォーマーがいる。 50年も前の話しで、恐縮だが、私はメージャーデヴューのレコーディング前で、発声の笠井幹男先生の六本木のボイストレーニングに通っていた。 笠井先生は、芸能界では、知らない人はいない声のフィクサー。ここは、30分きざみで、有名プロダクションから送られてくるこれからのアイドルや、もう既に茶の間で騒がれる流行歌手や俳優が、次から次と現れる、ちょっと華やいだ場所でもある。マネージャーは同伴禁止。他に歌手に混じって多くの有名女優

          目白村だより30(長嶺ヤス子の猫)

          目白村だより29(アンリ・サルヴァドール)

          今年の6月に、広大なペールラシェーズ墓地で、バルビゾン派の画家の墓を探した。炎天下、血圧あがりまくりの強行軍で、今でも、あの時の、フラフラ感がよみがえる。いい加減にしろ、といいたくなる判りにくい地図を、片手に握りしめながら、パラソルをさして3時間歩いた地獄のトラウマである。 その時、迷路のような道で、おおきな目安になったのが、ピアフとアンリの墓であった。観光客が、いつもたまっているその墓は、広い道で平坦だから、直ぐわかる。ピアフの墓の前、道路側にアンリ・サルヴァドールの墓があ

          目白村だより29(アンリ・サルヴァドール)

          目白村だより28(ジャンゴ・ラインハルト

          ジャンゴ・ラインハルト(1910~1953)の事を、知ったのは、薮内久さんからである。薮内さんは、お父さんがリヨンの公使を戦前から努められて、その関係でフランスに育ち、戦前のSPから戦後のLPまで、多分日本で一番レコードを持っていた人だ。彼の映画愛、シャンソン愛は、今でも語り草で、私も少しお手伝いした本「シャンソンのアーティストたち」は、マニアのバイブルとまでいわれている。その薮内さんは、ブラッサンスとティノ・ロッシそしてジャンゴ・ラインハルトが、特別に好きだった。 私は、フ

          目白村だより28(ジャンゴ・ラインハルト

          目白村だより27(フランスの想い出⑨)

          私は、来年に向けて(フレンチアイコン)のムック本の制作とそのオブジェのフランスでの展覧会を準備中だが、もちろん、フランシス・レイはそのアイコン中でも特異な存在として登場する。 フランシスが、いかに日本で大衆性があるか、それは彼のライセンス商品を見ると一目瞭然である。音楽家で、日本がそのライセンスを、獲得したくなるほど、知名度の高い人はそれほどいない。フランス人では、ポール・モーリアとリチャード・クレイダーマン、それに、少し規模が小さいのだが、フランシスの三人くらいだ。 クレイ

          目白村だより27(フランスの想い出⑨)