目白村だより35bis(サティ通り2番地〜島田りり③)


りりさん企画(サティの晩餐会)(1989)

りりさんに誘われて、とんでもないイヴェントに出た事がある。最近整理中に、そのチラシが出てきて、また可笑しさがこみ上げてきた。
御主人の浜田剛爾さんは、現代アート界を牽引する人である。とにかく皆地味なので私には、なるべく派手な格好で、一曲歌ってくれと、彼から云われた。
私が、映画(CABARET)の主題歌を歌いながら、2階のバルコニーから、降りてくる演出であったが、地味どころか、出演者全員がヘンで、まるで、「ロッキー・ホラー・ショー」な、ゴールド派手衣装の私が、一番地味。最初、楽屋にはいったら、ほうきで掃除している男がいて、邪魔でしょうがないと思ったら、それが既に、掃除のパフォーマンスなのだという。秋山祐徳太子という人だったけれど、出る人、出る人が、こんな感じ…。
野鳥の声を聴くというパフォーマンスは、加藤幸子という小説家。ナップザックに双眼鏡、山歩きのスタイルで登場。鳥の声が流されると、耳に手をかざして(ああ、あれはルリカケス、あら違った、じょうびたき)なんてずっと繰り返す。

りりさんから、紹介された日本画画伯の話も、抱腹絶倒だ。りりさんは、日本画家、橋本明治の孫娘で、その弟子の夜のパリ案内を、私は頼まれた。会った途端に、女性のヌードが描きたいと言われたが、画家も変人が多いジャンルなので驚かなかった。(この件は、友人の何でも屋に頼んで、事なきを得た)しかし、その画伯が、ミシュー(超人気の女装形態キャバレー)で、大騒ぎを起こした。

ミシュー(当時は、これよりずっと小さかった) 

 とにかくトイレが混むからと、その前のレストランで、私は確認をしたのだが、画伯が行かなかったのが原因だ。
我々は、一番奥のテーブルに案内されたが、どんどん人が増え、立ち見で通路もすしずめ。もう殆ど通勤時の山手線。 さて、そろそろショーが始まる頃になって、画伯が突然静かになり、そのうち震えだした。切実な声で、トイレコールである。まったく歩けない程混み合い、どうかしてくれといわれても、前には、大きなテーブルがある。まわりには、とても歩けない程の人。横には、死にそうなオジサン。私は、りりさんを少し恨みながらも、意を決して、周りの観客に大声でアピールした。BGMや人声で、かき消されたが、いざという時には、大声が出る…流石、歌手とかいわれたくないけれど。(ATTENSION!PIPI!)と叫びながら、画伯をテーブルに、四つん這いで上がらせて、なんとか向こう岸にたどりつかせた。観客の協力なくしては、とても無理。皿やグラスをよけたりしてくれた。ショーの前に、大テーブルを、這って移動する日本人は、立っている人たちにも、大受けだった。 同時に、こういう困った時に、外国人(この場合半分は観光客だったが…)は、親切なものだと痛感した。
(りりさんの話は、まだあるが、今回はここでおしまい)

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