目白村だより35(サティ通り2番地〜島田りりさん①) 


マン・レイ撮影のサティ

神田神保町すずらん通りのパサージュに、行ったのは、軽い好奇心である。どららかというと帰りに近江屋のアイスを買う目的の方が、主であった。鹿島茂プロデュースのこの本屋の存在は、3年くらい前に、なにかで読んでいたが、どうも集団で集まるのが苦手なのと、共同墓地のような感じかして行かなかったのだ。
しかし、百聞は一見にしかずであった。しかも、現在新しい3号店ソリダが、出来て棚主店主を、募集しているという。パサージュから、歩いて200メートルの近さ、靖国通り沿いにソリダはあった。まだ、売り出しだはかりの部屋を、見るような感覚で、その店内に入ったとたんに、ピンと来た。サティの棚が、いくつか空いていて、ピカッと光った気がした。やるっきやない。
エリック・サティ通り2番。
この棚、すぐ借りよう!
3年前に疑問だった(一緒の運動?)も、抵抗もなにも、いまはない。 サティに押されるように、私は契約した。  
この3年間に、本の地位は、恐ろしい程存在感を薄くしてしまった。本好きが、集まる必然。緊急であった。本屋の総合名ソリダはソリダリテ、連帯の意味である。 

パサージュ・ソリダのブース

サティについて、詳しくなったのは、島田璃里さんからだ。りりさんに、紹介されたのは、1973年頃だったか…彼女はパリからそろそろ引き上げて、サティを日本で精力的に弾きはじめようという時期だった。カンバセーションの芳賀ノリちゃんが、紹介してくれたのか、それとも飲み屋で会ったのか…判然としないが、一時期とてもよくしていただいた。大体そのころは、一般にはサティ?誰?といった感じで、音大や音楽専門家かシュールレアリズムやダダイズムに惹かれるアートオタクにしか知られていなかった。 亡くなって50年、その著作権が消滅してから(1976年)、一気に彼の音楽が使用されだした。特に北野たけしの「その男、凶暴につき」(1989/久米大作音楽)が、ジムノペディを印象的に使用、そのあたりをかわきりに、一気にサティブームとなった。渋谷系文化の後押しも大きかった。サティにしたら、自分の音楽が、あちこちに流れて、ご満悦に違いなかろうが、その後30年以上、日本のコマーシャルや劇伴で頻繁につかわれ耳にしない日はない。さすがに最近はその安易さに、それしかないのか、といいたいが、どうも無難で、おしゃれ感があるらしく、いまだに新しいCFにつかわれ続けている。スタンダードになったのである。スタンダードを拒否したアヴァンギャルドが、ここまで、日本で広まったのは、りりさんのように、サティしか弾かない、話さないピアニストの活動も、大きい。りりさんは、一時期、サティの歩く広報官のようであった。
りりさんと御主人のアーティスト浜田剛爾さんの話は、また書きたい。松濤の御宅からどこか、海辺(館山?)に、越したまでは知っていたのだが…。その後、気がついたら、消息が途絶えてしまった。
どなたか御存知でしたら、是非教えていただきたい。
 

ライブ(27/5)お楽しみに!





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