目白村だより35bis(サティ通り2番地〜島田りり②)


りりさんのCD(他にも沢山あり)

りりさんとは、パリでも何度か会った。サンジェルマンのドゥ・マゴが多かった。
彼女の定宿が、近くだったからだ。本当はモンマルトルが、大好きなりりさんは、私のモンマルトルのアパートを、しきりに羨ましがった。 
彼女は、サティの一番弟子のレッスンを長く受けた(サティ弾き)であったが、たまに歌伴(例えば、薩めぐみ)もした。
実現しなかったけれど、りりさんとサティの歌詞のある曲だけを、日本語で歌おうという企画もあった。
サティの歌曲は、キテレツであり、ちょっと落語のような歌詞もある。日本語にするのが、難しくて困っていたら、田中朗さん(先輩歌手)が「俺がやりたい」と歌詞をもってゆき3日で翻訳を送ってくれた。そのままでは、勿論唄えないのだが、田中さんは、よほどサティが好きだったのかもしれない。 
その荒訳から数曲、歌えるようにしたけれど、ステージでは浮いてしまい、ほとんど歌ったことは無い。 例えば、15秒で終わってしまう異常に短い歌などは、きわめて普通の事はやりたくない、サティらしい。それ自体は面白いが、扱いに困る歌なのだ。

キャバレー(黒猫)スタンランのポスター

モンマルトでの、サティゆかりのキャバレーは、りりさんが、地図にマークをつけて教えてくれた。
(黒猫)の跡地は私の住むナバラン通りの一本ピガールより。まさに娼婦クラブが、軒を並べる怪しい地帯にあった。現在は、楽器屋が多いところである。 
少し行くと、有名なクラブ(ラ・ポスト)があり、よく利用した。ここは19世紀にはビゼーの館であり、20世紀からは、ずっと郵便局になっていたが、その建物をそのまま、1990年代になって、オシャレ系のクラブにしたのだ。天井が見上げる程高く、大理石の大きな柱が宮殿のようにそびえる。シャンゼリゼでもオペラでもない、ピガールに歴史的建造物のクラブ、このミスマッチは、新鮮であり、一時大評判だった。
逆に、マルティール通りへ向かうと、少し開けたところに
(オーベルジュ・ド・クリュ)があり、ここはレストランだった。サティにこだわって、白いアスパラガスの料理があったり、店内にサティが弾いたと言うアップライトのピアノもあった。確か2年目の、6月のフェット・ラ・ミュージックで、私はプレスにいわれて、一曲歌ったことがある。本当はサティの曲を歌おうかなと思ったけれど、ほとんど飛び入りで譜面もなくルグランを歌った。

サティの生家は、ノルマンディの漁港オンフルールにある。バルビゾン派としても見逃せないウジェーヌ・ブーダンの生家も近い。映画「男と女」の舞台、ドーヴィルの隣町だ。近くの評判のエスカルゴのレストランに行ったときに、前を通ったが、中には入れなかった。いまは記念館として、開放しているらしい。

ところで、唐突だが、古い友人の山川恵津子嬢が、素敵な本を出した。名アレンジャーにして、作曲家の彼女の徹底的音楽人生が、詰まっている。発売日が5月17日なのが、かっこいい。その日は、サティの誕生日だ。

DU BOOKS出版 (2500+税)
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