相田みつをさんの『セトモノ』ってあるやん
おはよう。令和3年3月21日。4時42分。今日はあいにくの雨だね。トタン屋根がポタポタ言ってる。
相田みつをさんの詩に、『セトモノ』ってのがあるやん。
セトモノとセトモノと
ぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう
どっちかやわらかければ
だいじょうぶ
お父さんははじめてこれを見たときに、「なるほど、うまいこと言うなあ」と感心したもんです。うん。
この場合ね、どっちがやわらかくなるかってとこがポイントなんよね。ほんまは両方がやわらかくなればいいんやけど、でも、なかなかそんなうまいこといかんわよね。んで、あと、よくこうも言うじゃろ。
過去と他人は変えられない。変えられるのは、自分と未来だけ。
ほんまにうまいこと言うなあ思ってね。うん。ほんまにそうやん。
相手にやわらかくなることを求めんでもええ。こっちがやわらかくなればいい。
腹立つこともあるし、理不尽やんって想うことも、まあそらあるよね。
でも、相手を変えようたって、相手はこっちが思うように変わるもんやないから、こっちから変わっていく方が、いいよね。こっちからやわらかくなる。
お互い「せーの」でやわらかくならんでも、こっちだけがやわらかくなれば、「こわれる」っていう最悪の事態だけは、免れる。
「こっちが折れてやったんやで。ぶー」と口を尖らす気持ちもわかるけど、まあ、ええやん。
お父さんは、まだ幼い風花が、それでも自分の自我を押し殺して、相手のためにやわらかくなる瞬間を何度も見てきた。そのたんびに、嬉しくなるし、けなげに思うし、涙が出そうになるときもある。
子どもだろうと、大人だろうと、その人の人徳が最大限輝く瞬間やねん。グッと胸にしみる。んで「偉かったね」と、頭をなでてあげたくなる。
まあ、お父さんも偉そうなこと言うけど、結構、いやかなり、カッチカチに固いけえね。ほんまに心穏やかに、ふんわりやわらかく、やっていきたいね。
相田さんも、最後はこう締めくくっとるけえね。
そういうわたしはいつもセトモノ
今日は日曜日やね。いつも早起き感心するわ。今日だけは、しっかり朝寝坊、しんさいね。
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