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タイの子どもたちと関わり続けたい!「薬剤師×医療系ライター×セラピスト」のなっちゃんにインタビュー!

インタビュー企画第8弾!
今回は、タイの子どもたちに会いたくてフリーランスになった
なっちゃんにインタビューしました。

タイへの移住に向けて複業を頑張るなっちゃん。
タイの子どもたちとどのような出会いがあったのでしょうか?
これまでとこれからの生き方についても聞いてみました!

【なっちゃんのプロフィール】
・神戸生まれ神戸育ち
・沖縄で薬剤師3年
・薬剤師はトータル10年
・海外経験豊富(アメリカ、シンガポール、タイ、オーストラリアなど)
・今は薬剤師×医療系ライター×マッサージセラピスト
・タイ古式マッサージを現地で習得
・タイの子どもたちが大好き


ー沖縄で薬剤師をしていたんですね。なぜ沖縄だったんですか?

2008年に大学を卒業して、新卒で沖縄の調剤薬局に入社しました。大学までずっと神戸で育って、神戸以外の街で暮らしてみたいと思っていたんです。沖縄を選んだのは、旅行に行ったときに本当に楽しくて、住んでみたら楽しいんやないかって思ったから。ネットで「沖縄 調剤薬局 新卒」と検索したら、ちょうどいい新卒採用の求人があったので、応募して採用になりました。

沖縄では那覇に住んで、与那原(よなばる)という地域で勤務していました。先輩もみんないい人で、ビーチパーティーをしたりとても充実した沖縄生活を送りました。

3年目になって、毎日が変わりばえしないなと思っていたときに、石垣島への転勤の打診がありました。「行きます」と即答したので、打診した相手が「本当にいいの?」と驚いていましたね(笑)
石垣島では薬局の店長を1年やって、のんびりした日々を過ごしました。

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ー沖縄で過ごした後はどんな生活を送りましたか?

2011年1月からアメリカに留学しました。もともと留学したいと思っていてお金も貯まったので、「よし、留学しよう」と思って行ってきました。現地では会計士の専門学校に通いながら、ニューヨークのボランティア団体でスタッフをしていました。日本語を教えたりパーティーを主催したりするのがすごく楽しかったです。ハワイやニュージャージー、ニューヨークでルームシェアもしました。

翌年8月に母が病気になったので、急遽帰国することになりました。帰国している期間に、タイの孤児院に1週間ボランティアに行く機会があったんですが、その経験が私の人生を変えました。


ータイでのボランティアについて教えてください。

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ボランティアに行ったきっかけは、ハワイの教会で一緒だったメンバーからの誘いです。教会が運営しているタイの孤児院にミッショントリップ(伝道旅行)に行くということやったので、一緒に参加することにしました。

現地での活動内容は、子どもたちと遊んだり、一緒にご飯を食べたり、クリスマスの時期だったのでクリスマスプレゼントを用意したりなど。孤児院にはだいたい30人の子どもたちがいました。

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子どもたちに「与えるぞ」という気持ちでボランティアに行ったんですが、逆に子どもたちから思いやりの心や優しさをたくさんもらって、気がついたら私自身が「与えられる」立場になっていました。

子どもたちからたくさんの愛や優しさをもらって、「彼らが少しでもいい教育を受けられるように何かできないかなぁ」と思うようになりました。やっぱりボランティアって一度きりの人が多いんですけど、私は「またくるね」を嘘にしたくないと思って、それ以来多い年は3回、少なくとも毎年1回は子どもたちに会いに行っています。子どもたちの成長も見れるし、これからも関わり続けたいです。

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(↑タイの子どもたちにもらったクリスマスカード)


ータイでのボランティアは本当に印象的だったんですね。日本に帰ってきてからは、どのように暮らしましたか?

2013年の4月から日本の大学院に2年間通いました。学費を稼ぐために淡路島に移住して、週末に神戸に帰ってくる生活をしていました。神戸と淡路島の往復はなかなかハードでしたね(笑)ちなみに大学院在学中にも1ヵ月間タイに行っています。

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大学院を卒業してから、シンガポールの日本人クリニックで薬剤師をしていました。ネットで求人を調べて、シンガポールの友人のところに遊びに行ったついでに就職先を決めてきました(笑)
シンガポールで働いた理由は、日本から行くよりもタイに行きやすいと思ったからです。実際に働いてみて、仕事は楽しいけど忙しくてタイに行けなくて、「意味なーい!」って思って辞めちゃいました。そこから2ヶ月タイにボランティアに行きました。

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帰国後は北海道の苫小牧の薬局で3ヶ月働いて、それから1年くらい医療ボランティアで海外を旅しました。


ー海外での医療ボランティアはどうでしたか?

【なっちゃんの医療ボランティアまとめ】
・オーストラリア 3ヶ月(訓練)
・インド 2ヶ月
・ポツワナ 1ヶ月
・タイ 1ヶ月
・オーストラリア 1ヶ月
・インド 1ヶ月

オーストラリアのパースにあるボランティア団体で3ヶ月訓練をした後、4カ国で医療ボランティアをしました。

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(↑インドでのオープンクリニックの様子。)

医療ボランティアでは、医師やボランティアメンバーがチームを組んで、それぞれの国でオープンクリニックをしたり、手洗いや歯磨きなどの衛生について講演・実演指導をしたりしました。オープンクリニックとは、路地にイスを並べただけの簡易的な場所で診察を無料で行うというものです。インドやポツワナに行ったとき、貧困で病院に行けない人が多くいることを知って驚きましたね。医療の大切さを改めて感じました。

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(↑歯科医の指導のもと、抜歯を行うなっちゃん。)

ボランティアがおわって帰国した後、タイマッサージの資格を取りに、5週間タイに行きました。もともとマッサージを受けるのもするのも好きやったんですけど、せっかくやから現地で資格を取りたいなって。薬剤師は看護師のように患者さんと触れ合うことがないので、マッサージを通して患者さんを癒せたらいいなって思ったのがきっかけです。子どもたちにも会えるように孤児院に近いスクールに通いました。

帰国後は1年実家で暮らして、そこから2年は一人暮らしをしていました。

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(↑タイの孤児院のスタッフさんの結婚式。タイ語で式が行われたので、ちょっと大変だったみたいです。笑)


ー海外にたくさん行ったんですね。なっちゃんがいなフリを受講しようと思ったきっかけは何ですか?

2020年1月で一人暮らし3年目になったんですけど、薬剤師やと日本でしか働けないなと感じて、タイで雇われずにこれまでの経験を生かした仕事がしたいと思ったので、WEB系のフリーランスを目指すことにしました。医療系のライターになろうと思って、3月に仕事を辞めて4月に金谷(千葉)で田舎フリーランス養成講座を受講しました。

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ーいなフリがおわってからはどのような生活を送っていましたか?

本当は沖縄で派遣の薬剤師の仕事する予定やったんですけど、感染症の影響もあってキャンセルしました。フリーランスに振り切るしかないと思っていったん神戸に帰ったんですが、「フリーランスの仲間がいる環境って大事やな」と思って金谷に戻ってきました。今の収入の柱は、ライターとサイト制作、デザイン、マッサージ、薬剤師のアルバイトです。収入自体は減ったけど、自分の時間があってすごく楽しいです。

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ーいなフリ後はずっと金谷に住んでいるんですね。金谷にはいつまでいる予定ですか?

正直なところ、まだ考えていないです(笑)
将来はタイに行きたいと思っているんですけど、手段はフリーランスでも就職でもいいし、薬剤師として働いてもいいし、仕事自体はどれでもいいと思っています。日本にいる間は、仕事を通して薬のパンフレットを作ったり、関係づくりをしたりして、タイに移住するためにスキルアップしたいと思っています。

タイにいつまでに行くかは決まっていないんですけど、感染症の影響で計画が崩れたので、「自分の計画なんてちっぽけなんだなぁ」って思いました。

これはキリスト教の考えなんですが、「必ず道はあるし、道が見えなかったとしても、それが分かるように照らされる」んです。もし間違ってしまっても、違う道に行けばいい。うまくいかなかったら落ち込むんですけど、ライターもデザインも楽しいし、どこに行っても楽しいです。

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ー中長期的な目標はあれば教えてください。

タイに移住して子どもたちに関わることがゴールです。完全に移住できなくても、タイと日本の2拠点生活ができたらいいかなって。「ひとりでも多くの子どもたちがいい教育を受けられるように何かできないかなぁ」と考えています。
クリスチャンの信仰で、「母の病気で日本に戻らなかったらずっとアメリカにいたかもしれないなぁ」と思って、神様は私にとって最善の道を用意してくれていて感謝です。

今は日本にいるので、日本人として今できることをやっていきたいです。周りから何か言われるかもしれないけど、自分がやりたいことをやるのが1番楽しいだろうし、自分自身が輝くと思います。

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(↑インタビュー中の一場面。なっちゃん大爆笑。)


なっちゃん、インタビューを受けてくれてありがとうございました!
タイの子どもたちのために頑張るなっちゃん、本当に素敵です☺️

笑いあり感動ありのとても楽しいインタビューでした!😊🎤

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これからもゆるっと文章を書いていきます🐢