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息子の「挑戦する気持ち」をどうかつぶしてしまいませんように。私の器よ、大きくな〜れ。

息子はあまり水分をとらない。

というより「お茶」があまり好きではないようだった。外で走り回ったときはかろうじて飲んでくれるけれど、家にいるときはちょびっとしか飲まない。

でも実家で飲んだ、サントリーの「やさしい麦茶」はおいしかったらしく、自分からすすんでゴクゴク飲んでいた。

そしてどうやら、500mlのペットボトルからコップにお茶を注ぐのが楽しいみたいだった。なのでわが家でも、500mlのやさしい麦茶を買って常備するようにして、ごはんのときには「500mlのペットボトルに入ったやさしい麦茶&コップ」をセットで食卓に出すようにしてみた。

すると、お茶をたくさん飲んでくれるようになり、「水分とらない問題」は解決した。


しかしその日からは「息子がお茶を注ぐ時にヒヤヒヤする問題」が発生。

なんだか危なっかしくて手を添えようとしたら「自分でやる!」と言われてしまうので、息をひそめてドキドキしながら見守るしかない。

でも自分で上手に注いだ後、私の方をチラッチラッと見ながら得意気にお茶をゴクゴクと飲む。その姿を見ていると、愛おしかった。




ある休日の夜。

息子と旦那さんと私で、食卓を囲んでいた。


平日は2人で夜ごはんを食べるけれど、今日は旦那さんがいる。

息子は、お茶を上手に注ぐ姿を父ちゃんに見せたかったようで、「父ちゃん、見て!」と言ってお茶を注ぎはじめた。

いつも上手なのに、その日はコップの外にお茶が注がれてしまい、お盆がお茶びたしになってしまった。


「謝りなさい!」

父ちゃんがとっさにそう言った。

息子は父ちゃんが何回そう言っても、しょんぼり下を向いたまま謝まらなかった。父ちゃんはなんとか謝らせようとしていた。


最近は、私や友達に手や物が当たってしまったときなど、痛い思いをさせてしまったときには「ごめんね」って謝ることのできる息子の姿を、私は知っている。息子は自分が悪いことをしたと思ったときには、ちゃんと謝れるようになっているのだ。


息子は今、自分が悪いことをしたと思っていないんだな。


私は単純にそう思った。そしてよくよく考えてみると、確かに息子は別に悪いことはしていないなと思った。


お茶を注いで、失敗して、こぼした。


ただそれだけのこと。全然悪いことなんてしていないし、それなら私だってよくこぼす。


不穏な空気が流れていたので、「も〜拭くのめんどくさいなぁ〜。気をつけてよ〜。」と明るく言いながら、こぼれたお茶をタオルで拭いてみたけれど、空気は明るくならなかった。

「じゃあさ、拭いてくれてありがとうって言ってくれる?」と私が言うと、息子は小さな声で「拭いてくれてありがとう。」と言った。けれど旦那さんは納得していない様子だった。


なんとなく重たい空気が流れ続ける食卓。


「父ちゃんはさ、実家でなんかこぼした時、怒られてた?あやまってた?」

私は旦那さんに聞いてみた。

「怒られてた!あやまってたよ。」

旦那さんはそう答えた。



「うちの実家ではさ、めんどくさそうにはされたけど、怒られはしなかったな。それに挑戦して失敗することは、悪いことじゃないと思うけどな。拭くのはめんどくさいけどさ。」


私がそう言うと、旦那さんの動きが止まった。そしてちょっと考えてから口を開いた。


「たしかに。挑戦して失敗することは悪いことじゃないな。実家でこぼしたら怒られてたから、こぼしたら怒るものなんだってただ反射的に怒ってたかも。」


旦那さんはそんなようなことを言ってくれた。旦那さんの顔がゆるんできて、それに合わせて息子の顔がゆるんできて、少しずつやわらかい空気が食卓に戻ってくるのを感じてホッとした。


この事件(?)が起こったことをきっかけに、私は後かたづけをしながら、いろいろ考えてしまった。


私も今日の旦那さんと同じようなこと、つまり「挑戦して失敗した」ということで怒ってしまっていることはないだろうか?ということだ。


日々の自分を振り返ってみると、反省の嵐。


たとえば最近、

画用紙にペンで絵を書いていたらはみ出てしまって、机にインクがついてとれなくなってしまって、ついつい怒ってしまったな。

ちょっと目を離しているすきに、ハンドソープの泡を大量に出して、手洗い場が泡だらけになってしまっていて、怒ってしまったな。

ちょっと目を離しているすきに、爪を自分で切っていて深爪していて、思わず怒ってしまったな。

乾燥肌の息子。自分で体にオイルを塗るというので任せていたら、その手のままいろんなところを触って、いろんなところがギトギトになってしまって、怒ってしまったな。


あげればキリがない。


「怒る」というよりは、「めんどくさくてイライラして口調がキツくなる」という方が正しいけれど。


どれも息子は悪くない。


息子はただ、まだまだこの世のすべてがめずらしくておもしろくて、その「好奇心」で行動しているだけ。その世界で自分の体を使ってできることを増やすために「小さな挑戦」をしているだけ。


そのことを、私は頭ではわかっている。


だから謝ってもらおうとはしない。「今度からやめてよね」とか「気をつけてよね」とか言って、なんとか自分の気持ちを落ち着ける。


おそらく私の中から「めんどくさい」を消してしまったら、私が息子に怒ることなんてほとんどないような気がしている。

それこそ4歳の時点で「だれかに痛いことをしてしまった時」以外に、謝らなければならないことなんて何もないような気がしている。




私が1番恐れていることは


「何かに興味を持って行動すると
誰かに怒られてしまう。」

「何かに挑戦して失敗すると
誰かに怒られてしまう。」


そんなようなことを、私のせいで息子の心に根づかせてしまうことだ。


どうかいろんなことに興味をもって、人生を楽しんでほしい。どうかいろんなことに挑戦して失敗して、人生をゲームのように面白がっていてほしい。


私が息子に望んでいるのはそれだけなのに、どうして私はこんなにめんどくさがり屋で器が小さいんだろう。




どうか私の「めんどくさがり屋」な面が少しずつでもやわらかくやわらかくなっていきますように。

息子の興味や挑戦をおおらかに見守ることのできるように、どうか私の器が少しずつでも大きく大きくなっていきますように。


未熟な自分を恨みそうになりながら、でも信じてあげたくて、そう祈るような気持ちになる今日このごろだ。

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