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「税金」について勉強した次の日、見える世界がガラリと変わったハナシ。

私はここ数ヶ月、リラクゼーションサロン週3〜4日、コンビニの夜勤を週1日、という働き方をしている。

雇用形態は、コンビニは「アルバイト」、リラクゼーションサロンは「業務委託」だ。

業務委託。

これは「お店に雇われている」のではなく、一人一人が個人事業主としてお店と契約して、ベッドを借りて営業している、という感じだそうな。

私の働いているお店は時給制なので、実際はアルバイトをしている感覚と変わりはない。でも1つだけ、アルバイトのときにはしなくてよかったことをしなければならなくなった。


確定申告。


単語を聞いただけでヒェ〜!となった。アルバイトで年末調整の紙を書くときも、よく意味がわからずにただ言われるままにハンコを押したり名前を書いたりしていた。

「税金」と関わっているということはわかるのだけれど、「税金」という言葉に対してもなんだかダークなイメージがある。


よくわからないものって怖いのだ。


これから避けては通れない「確定申告」に対して、これを機会にちゃんと向き合ってみようと思った。

確定申告って何?どうやるの?
経費って何?
税金ってどういう仕組みになっているの?

それらをちゃんと理解していれば、「確定申告」への恐れはきっと消えていくだろう。




手始めにYou Tubeを開いて「確定申告」についてわかりやすく説明してくれている動画を探してみた。

大河内薫さんという税理士さんの話し方や考え方が好きだな、と思ったので、動画をさかのぼって見まくった。彼の書いた本がほしくなったので、2冊買った。

大河内薫さんのYou Tube動画とこの2冊を読むだけで、今までよくわからなかった税金の仕組みがおおよそわかった。

それと同時に、ただ小難しくて、減らせば減らすほど得をするもので、稼げば稼ぐほど搾取されるもの、という"税金へのイメージ"がどんどん変化していったのだ。



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その2冊の本を読み終えた次の日は、仕事が休みだった。最近は、原付きで家から10分くらいのところにできたピカピカの巨大図書館に行って本を借り、併設しているアロハカフェでコーヒーを飲みながら、のんびり本を読むのがお気に入りの過ごし方だ。


原付きで図書館に向かう。

見慣れた道路を走り、
見慣れた交差点を曲がり、
見慣れた坂道をのぼりくだり、
見慣れた図書館に着く。

その見慣れているはずのものすべてを、いつもとちがう視点で見ている自分に気づいた。


この道路は、税金を使って作られているんだよな。この交差点も、この信号も、その電気代も、この坂道も、この図書館も。

キレイで平らな道をスイスイと原付きで走ることができる。

みんなが信号を信頼して、命の危険を感じずに移動している。

そしてキレイな図書館に着けば、数え切れないくらいに並んでいる本が読み放題だ。



なんて豊かなんだろう。

そう思った。



全国民が払った税金はまぜこぜになって、「あなたが払った税金を〇〇に使いましたよ」なんてことは誰も教えてくれないし、わかりもしない。

稼いだお金の何%かを国や市にただ差し出して、差し出したら消えていってしまうものだと錯覚していたけれど。

私は"税金"のことを知らなすぎたのだ。税金とは何なのかということを考えたことさえなかったから。



でも私が稼いだお金の一部は姿を変えて、いつも私の周りを豊かにしてくれていた。

そんなあたりまえのことに今さら気づく33才。



税金はもしかしたら、どこぞやのドラマや映画でよく見るみたいに、いかにも悪い顔をしたおじ様たちが、良からぬことや意味のないことに使っていることだってあるのかもしれない。

でもそれは私にとってはどうでもいい。


家の外に一歩出た瞬間、私がこんなに豊かさを感じられるのは、"税金のおかげ"なのだと思っていた方が幸せだ。

どこに意識を向けるのかは、自分で決められる。


快適に暮らすための家を借りるときに
それに値する"家賃"を払うように、

大阪に住むために"大阪賃"を、
日本に住むために"日本賃"を、
地球に住むために"地球賃"を、

そこに住むみんなと少しずつ出し合って。

みんなでシェア大阪しているような、
シェア日本しているような、
シェア地球をしているような、

そんな気分にさえなってきた。



税金のことをちょっぴり勉強しただけで、自分の見える世界がガラリと変わる。「勉強する意味」ってこういうことなんじゃないかと思った。



私も含め、だれしもが"お金が大好き"だ。お金はあればあるだけそりゃ嬉しいし、お金は豊かに生活するためには大切なものであるということに間違いはない。

"豊かさ"といつでも交換できる"目に見える物体"が手元にあると安心だ。だから、お札や硬貨としてお金をそばに置いておきたくなるけれど。


お金は「豊かさ」と交換するものであるということをすっかり忘れていた。



私はレジでお金を払う。
そのお金は時に"食べ物"や"飲み物"に姿を変え、"着る物"に姿を変え、私を豊かにしてくれる。

私は税金を払う。
そのお金は時に"道路"に姿を変え、"信号"に姿を変え、"坂道"に姿を変え、"図書館"に姿を変え、私を豊かにしてくれる。

私はやっていないけれど、株や投資やギャンブルなどでお金を払う人もいる。
そのお金は何倍にもなって戻ってくることもあるだろうし、損をしたなと思うことだってあるかもしれないし、うっかり騙し取られるようなことだって人生に一度や二度はあるかもしれない。

でもその消えてしまったように思えるお金だって、無限に広がる宇宙にプカプカ浮かぶ小さな小さな地球の中で、グルグルグルグル姿を変えながら、どこかで誰かや何かを豊かにするために、今この瞬間も働き続けているかもしれない。


そう考えると、お札や硬貨のまま自分の手元にギュッと握りしめすぎてしまうのは、なんだかもったいないような気もしてくる。


もちろん、自分が自分にとっての豊かさを得るために十分な現金を手元に置いておくのは大前提だけれど。


使えきれないくらいのお金があるのならば、少し余裕があるのならば、自分の手元からお札と硬貨を手放して、旅をさせてあげるのもいいのかもしれない。

それは「お金を失う」のではない。

旅をした人がちょっぴり成長して家に帰ってくるように、そのお金たちはより大きな豊かさとなって自分のもとに必ず帰ってきてくれる。


そんなような気がした。



だからといって、全財産が100万円に満たない私が、株とか投資とかに無理して手を出す必要はない。

でも自分が稼いだお金の何%かを、「日本よ、大阪よ、この快適な場所をお借りします。」というような気持ちで、清々しい気持ちで差し出す。

そんな小さなことなら、今の私にだってできる。


でもそんな小さなことさえ、イヤイヤやっていた私に「心の豊かさ」を届けてくれたのは、大河内薫さんの2冊の本だったのだ。


そしてその2冊の本を買うために払ったお金たちは、私にそのお金以上の「豊かさ」を運んできてくれたことにだって、今は気付けている。


これぞまさしく、自分への「投資」だ。


33才。

今さら?って言われてしまうかもしれないけれど、やっとこさっとこ「税金」のことを学んで、ちょっぴり成長した気分だ。

しばらくの間、

「これは税金を使ってる?」
「あれは税金で作られている?」

一歩街に出れば、そんなことばかり考えてしまうにちがいない。

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