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5歳の息子に「仕事に行きたくない」とグチってみたら、なんだかうまくいった話。

ある月曜日の朝。

その日はどんより曇り空だった。


私は最近、新しい仕事を楽しんでいる。
でもその日は「行きたくないな」と思った。

今日はのんびりしたい。

仕事場が気に入っていたとしても、そんな日は誰にだってあるものだ。


でも自分の気分が乗らないたびにシフトに穴をあけるわけにはいかない。「あーあ。未来の私の気分を考慮してシフトを組んでくれたらいいのにな」なんて甘ったるいことを考えながら、まだ私しか起きていない静かな家の中で、淡々と朝の支度をしていた。



そしていつも通り、どうしても目の開かない息子をお姫様だっこしてリビングのソファに移動させる。父ちゃんも起きてきて、そのソファにドカッと座る。

私がそのソファの前にある大きなテーブルに朝ごはんを運びおわると、父ちゃんと私はすぐに食べ始める。

息子はだいたい5分くらい遅れて食べ始める。

毎朝の、短い短い家族の時間がはじまる。



「幼稚園なんてさ、なんのためにあるん?」

これが、息子の朝の口癖だ。けだるい様子で、うらめしい顔で、いつもこの言葉を投げかけられる私の身にもなってほしい。



「ずっとさ、父ちゃんと母ちゃんとだけ家にいたら楽しいと思う?」と聞くと、「うん!楽しいと思う!」と無邪気な返事が返ってくる。

「楽しいこともあるんじゃない?」と聞くと、「楽しいこともあるけどさ、ぼくはお家が好きなの!」と返事が返ってくる。

「どうしてもしんどい日は休んでもいいと思うけど、母ちゃんと父ちゃんは簡単に仕事休めないからなぁ。」と答えると、「じゃあ幼稚園に行かなきゃいけないのは、母ちゃんと父ちゃんのためってことだよね?」なんて、ドキッとする返事が返ってくる。


ほんとにほんとに毎日言われるので、
もういい加減この質問にウンザリしていたのだろう。



「あ〜あ。母ちゃんだって今日は仕事に行きたくないよ〜!」


その日は息子の言葉に対して、そんな本音を返してしまった。


「父ちゃんも会社行きたくないよ〜!」

私の後に続いて、父ちゃんまで本音がポロリ。



「全員行きたくないやーん!」

息子はなぜかうれしそうにツッコミを入れた。ぼんやりとしていた息子の目が、急にパチッと開く瞬間を私は見た。その目は「たのしいことを見つけたとき」の目の感じに似ていた。


いきなりグチり出した私と父ちゃん。それに対する息子の反応が予想外で、私の心が動き出した。


「猫はいいな。ずっと家にいられてさ。ずるいよね!」

私は調子にのって続ける。


「台風とか、地震とか、なんか隕石みたいなのが降ってきたりとかして、会社なんて休みになっちゃえー。」

父ちゃんも調子にのって続ける。


父「行ぎだぐないよ〜」
母「行ぎだぐないよ〜」

ダダっ子のマネをするように、2人でふざけて肩をブラブラゆらした。



「ぼくも行ぎだぐないよ〜」

息子もゲラゲラ笑いながら、私たちのマネをしてダダをこねた。



なんてやる気のない家族なんだろうか。


でもなぜか、今日の空と同じように曇っていた私の心が、スカッと晴れていくような感じがした。やっぱり心と言葉が一致していることは気持ちがいい。その言葉がどんなにカッコよくない言葉であってもだ。



「さ!行ってこよっと!」

父ちゃんが一足先に動き出した。父ちゃんはいつも通り、玄関で2人並んでお見送りをする息子と私にキスをして、クルッと背を向けて家を出た。


「母ちゃん、父ちゃん会社行きたくないのに行ってえらいね。ぼくと母ちゃんも行きたくないのに行ってえらいね。」


息子がそんなことを言うから、なんだか朝からウルッとしてしまった。



私たちは、本当に毎日よくやっているのだ。



「ほんとやなぁ。りんりんも母ちゃんも父ちゃんも、ほんとえらいわ。」


息子の小さな頭をワシャワシャとなでながら、心の底からそう答えた。もし私に手が3本あったなら、自分の頭と息子の頭と父ちゃんの頭を同時にワシャワシャとなでてあげたいなと思った。



その日息子は、すんなりトイレに行き、すんなり着替え、すんなり自転車に乗り、すんなり幼稚園で私から離れた。


それは、すごくすごくめずらしいことだった。



そんな息子の様子を見ていたら、もしかしたらこんな感じでいいのかもしれないなぁ、と思えてきた。


気分にムラがあって、仕事に行きたくないと子供にダダをこねる、そんなカッコよくない私を、息子に見せても大丈夫なのかもしれない。

息子の目は透きとおっていて、案外なんでもお見通しだから、ちっともそんなこと思っていないような最もらしい言葉を投げかけるよりも、むしろ心と言葉をちゃんと同じにして投げかけた方が、息子も安心するのかもしれない。


そんなことを考えながら、仕事場に向かった。





その日は2人のお客さんの体を揉んだ。「気持ちよかった!ありがとう!」と言ってもらえてうれしかった。

息子を自転車に乗せて家に帰る途中、私は息子にそのことを伝えてみた。


「母ちゃんさ、今日2人のお客さんをもんでね、2人ともに気持ちよかったって言ってもらえてうれしかってん。朝は仕事行きたくなかったけど、がんばって仕事行ってよかった!」


「母ちゃん、よかったね。ぼくも今日めっちゃ飛ぶ紙飛行機作れてうれしかった!」


「そうか!りんりんも幼稚園行ってよかったやん。」


「うん!」



終わりよければすべてよし、だ。



行きたくないと思っていたけれど
行ったらたのしい日だってある。
行ったらうれしいことがあったりする。

行きたくないと思って行ったら
1日中やっぱりしんどい日だってある。

やる気満々の日に仕事に行ったら
失敗して落ち込む日がある。
かなしいことがある日だってある。

やる気満々の日に仕事に行ったら
やっぱり1日中サエてて充実している日もある。


予想通りのこともあれば、
予想外のこともある。



「今日はなんかおもしろいことあった?」


幼稚園の帰りの自転車で、息子にそう聞くのが日課だ。

「今日はおもしろいこと何もなかった!」という日もあるし、「今日は○○してたのしかった!」と声を弾ませている日もあって、今のところ半々くらいだ。



息子が毎朝あまりにも幼稚園に行くのが嫌そうだから、「幼稚園がたのしくなるためにはどうしたらいい?」「どんな声かけをすればいい?」「どうしてあげればいい?」と毎朝すごくいろいろ考えてしまっていたけれど。



朝の気分を家族で伝え合って、
今日1日あったことを伝え合って。


それができていれば、たいていのことは大丈夫なような気がしてきた。



明日の朝の気分は何色だろう?
明日は何色の1日になるだろう?


ずっとピンクでいることはできなくて、
それは子供も大人も同じだ。

子供のことが大切であればあるほど、子供の1日がピンク1色でありますようにと願いたくなるけれど。


でも本当は、ピンクでもブルーでもいい。
レッドでもイエローでもパープルでもブラックでもドンとこい。 



いつもピンクでいようとするのをやめて、
いつもピンクでいてほしいと思う気持ちをゆるめて、

生きるということは、いろんな色でできているんだということを伝えられたらいいなと思った。


笑ったり泣いたり、グチったり鼻歌を歌ったり、はっちゃけたり落ち込んだり。

そんな忙しい私の心を、隠さずにそのまま息子に見せてもいいのかもしれないと思えてきた。



私の人生は虹色だ。

そして30歳をすぎてからやっと、その虹色の人生をおもしろがれるようになってきた。


そして、息子の人生もきっと虹色だ。


それをおもしろがれるようになるのは、もっと大人になってからかもしれないけれど、今はどんな色にもどっぷり浸かって、一つ一つの色を味わってくれればそれでいい。



そんなことを思った1日だった。

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