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「ちょっとだけ手伝ってくれる人」がいる「お寺のママさん」に嫉妬した話。

この間、息子と滝に行った。

家から自転車で10分くらい走ると、山に着く。山のふもとに自転車をとめて山道を歩くと、大人の足で40分くらいで滝に着く。

11時に山のふもとについて、家に帰ったのが5時だったから、その日は6時間くらい山の中にいたということになる。

ショッピングモールに1日いるとあんなに疲れてしまうのに、山から帰ってきた私と息子はなんだかすごく元気だった。たくさん歩いたから疲れているはずなのに。山ってすごい。


滝までの道中に、お寺がある。

そのお寺の雰囲気が好きで、私はたびたび足を運んでお参りしている。その日も息子とお参りすることにした。


お寺の境内には3人だけ人がいた。小学校低学年くらいの女の子と男の子、そして幼稚園くらいの女の子の3人で、おそらく兄弟だろうなと思った。3人でおもちゃの乗り物を交代で乗ったり押したりしていた。

息子はその乗り物に惹かれて、その3人の輪の中に吸い込まれていき、幼稚園の女の子はしきりに私に話しかけてきた。気づくと5人で遊んでいた。

ふと、この子たちのお母さんはどこにいるんだろうかと思った。周りを見回しても、お母さんらしき人がいない。

小学生になったら、妹を連れて遊びにいくことなんて普通なのかな?と思っていると、境内に建っているお寺の事務所みたいな場所から、つっかけをカラカラ鳴らして歩いてくる人が目に入った。


「遊んでもらっちゃってすみません。」

私にそうあやまるその人が、3人のお母さんだった。

その瞬間、この3人はお寺の子供たちで、このお寺に住んでいるんだな、とやっとわかった。よく考えるとあたりまえのことだけれど、お坊さんはお寺に住んでいて、そのお坊さんだって恋をして結婚して子供を産むんだということまで想像することができていなかったのだ。

そのあとしばらくそのお母さんと話して楽しい時間を過ごし、そのお母さんの話を聞きながら、私はその家族の日常を頭の中で想像した。


森林の中を毎日下って登校するお兄ちゃんとお姉ちゃん。お母さんと手をつないで山をテクテクと下って、幼稚園バスに乗る妹ちゃん。休みの日は、お寺の受付をするお母さんの目の届く境内の中で3人で遊んだり、こうやって参拝に来る私たちのような人と一期一会を楽しむ。お昼ごはんになると家族全員が事務所の上にあるわが家に集まり、食卓を囲み、その間はおばあちゃんが受付にいてくれる。ときには、あのお香のいい匂いのするお寺の中で、お父さんのお経をきいたり、一緒に唱えたりするんだろう。もちろん、たまには家族みんなで車に乗りこみ山を降り、ショッピングモールなんかに行ったりもするんだろう。


私の頭の中でくりひろげられるその家族の日常に、私は嫉妬してしまった。

「お寺のお母さんがうらやましい」って思ったその理由は何なんだろう?と考えていると、「孤独じゃないから」という言葉が頭の中にふと浮かんできた。


「私は孤独じゃないよ。私には夫がいて、猫たちがいて、自転車で10分走ると実家があって、私の父と母と祖父と祖母が4人で住んでいる。仲のいい友達がいて、頻繁に会うことができる。そんな恵まれた環境のどこが孤独なの?」

心の中でそんな反論をしたけれど、同時にいろんな映像が私の頭の中に流れてきた。


抱っこバンドで息子を抱っこしながら、両手に重たい買い物袋を下げる私。

窓から暗くなった空を見上げながら、息子と2人きりで食べる夜ごはん。

じっとしていない息子に意識を向けながら自分の髪の毛と体を洗う、あのお風呂の感じ。本当は自分の体に勝手に意識が向く、大切な時間なはずなのに。


きっとあのお寺のお母さんは、おばあちゃんに子供をちょっと見てもらっている間に買い物に行くんだろうな。夜ごはんは家族みんなで食卓を囲むんだろうな。お風呂はお父さんが入れてくれるかもしれないし、子供たちの体を洗ったあとは、お父さんが洗面所に来てくれて体をふいてくれるのかもしれない。



言葉にすると、すごくすごくささいなことのように感じるかもしれないけれど、「ちょっとだけ手伝ってくれる人」が家の中にいることは、お母さんにとって何よりも心強い。


家の中に、自分と子供しかいない。

そのことは、思っている以上に切迫感がある。

お父さんが夜遅くまで働いていて、平日はワンオペ状態のお母さんってすごく多いと思うけれど、私もその状態にすごく「孤独」を感じていたのかもしれない。


もちろん、「助けて!」って電話したらすぐにかけつけてくれる人は周りにいる。たとえば、私が高熱を出して動けないときは両親がかけつけてくれるだろうし、どうしても予定があるときは両親が子供を預かってくれるだろう。どうしても気持ちがふさぎこんでしまった日、連絡したら友達が遊びに来てくれるだろう。


でも、

買い物には子供を連れていける。
自分が楽をするために助けを呼ぶの?

2人きりでごはんは食べられる。
なのに誰かを呼ぶの?

お風呂は子供と2人で入れる。
自分がゆっくりお風呂に入りたいから、助けを呼ぶの?


みんなそれぞれの生活が忙しいこの世の中だから、どうしても大変なときに助けを呼べても、ささいなことで助けを呼ぶのはなかなかハードルが高い。


その小さな小さなストレスと我慢の積み重ねが、お母さんを孤独にしていくような気がする。


私は子供を保育所に預けてバリバリ働きたいわけではないし、家事を夫ときっちり分担したいとも思っていないし、夫にイクメンになってほしいとも思っていない。「私は家と子供を守るから、仕事よろしくね!休日は家族で遊ぼうね!」くらいの感じでokだ。


それでも、1人きりで家事と子育てをするのは重すぎるんだと思う。


だから「ちょっとだけ手伝ってくれる人」がそばにいるお寺のお母さんがうらやましかったんだとわかった。


あとはサザエさん。


核家族の良さもあると思うけれど、やっぱりサザエさんみたいな環境ってお母さんにとってはすごく心強いものだなと思う。


嫉妬したときは、自分の理想を見つけるチャンスだ。

かといって、今から両親と同居するかといえばしないと思うけれど、自分の理想を知っているということはすごく大切なような気がした。


あとは、山に住むのっていいな。

あとは、やっぱりお寺の匂いが好きだな。


でもやっぱり、今この文章を書いているこの場所が好きだな。わが家が大好きだな、とも思った。

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