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心を亡くすほどの忙しさを感じる現代人にとっての必読書:ミヒャエル・エンデ『モモ』(岩波書店、1976) ブックレビュー#1

「現代人は忙しい。」
というのは、日常的によく聞くフレーズだ。また、それは日々の生活の大前提となっている。

忙しい毎日の中で時間を効率的に使うためのテクニックがもてはやされ、私たちの時短をサポートする様々なサービスの広告が流れる。娯楽のためのコンテンツも倍速で見る時代だ。

時短テクやサービスの利用によって、時間を節約しているはずなのに、忙しさはちっとも変わらない。それどころか、テクノロジーの発展と共に、現代人はどんどん忙しくなっているのではないかと感じる。

そんな今を生きる私たちの悩みを見透かしているかのように、本書はモモという少女を通じて物語を紡ぐ。

本書は、西ドイツの児童文学作家であるミヒャエル・エンデが1973年に世に送り出した作品だ。
第二次世界大戦後、東西に分裂したドイツのうち、西ドイツは、西側の資本主義勢力の一員となり、その目覚ましい経済発展は「経済の奇跡」と呼ばれるほどだった。

本書は資本主義・効率主義に対しての痛烈な風刺となっているのだが、これは、目覚ましい経済発展の裏で起こっていた当時の社会のひずみを汲み取った、あるいは、先取りしたものといえる。

ミヒャエル・エンデは「作者のみじかいあとがき」でこの物語について、つぎのような言葉を残している。

「過去に起こったことのように話ましたね。でもそれを将来起こることのとしてお話してもよかったんですよ。」

時代が変わっても、人間社会の構造や、そこで生きる人間の苦悩は変わらないということは、本書を通じて何度も痛感させられる。

本書はファンタジーの形式を取りつつも、「時間」をテーマに、深い問いを投げかけている。
そこで問われるのは、過去の時間、現在の時間、将来の時間の重みをどう感じ、どう生きていくべきか、である。

なお、本書が心晴れやかなファンタジーに終始しないことには、「1970年代のドイツ児童文学の分野においては、社会化という問題が殊更意識され、子供達には、楽しいファンタジーの世界に遊ばせる夢物語よりも、子供が現実の社会で直面する問題に適応できるよう、さまざまな社会的テーマを扱った作品こそ与えるべきである、という考えが主流を占めていた」(中村ちよ「ミヒャエル・エンデ「モモ」--児童文学にあらわれた内的時間について」東京女子大学附属比較文化研究所紀要第45巻17頁)という時代背景がある。

現代社会においては、様々なサービスが見かけの上では無料で使うことができるが、もちろん、我々はサービス利用の対価を支払っている。それはまさに、我々の「時間」である。

我々の「時間」は確かに取引され、「時間」を集めた者が大きな富を築くというのは、否定することのできない事実と言っていいだろう。

そんな現代で各々がどう「時間」と向き合いどう生きるか。

昨今、ベストセラーとなったオリバー・バークマン『限りある時間の使い方』は、まさにこのテーマと真正面で向き合っているが、本書も、モモやその親しい友人たちの葛藤・奮闘を通じて、「時間」を考え直す契機を与えてくれる。

本書は物語として結末を迎えるが、我々の物語は続いていく。
我々は、どこまで続くかも分からない物語を紡いでいかなければならない。

おそらく、現代に生きる私たちが、モモやその親しい友人たちのように資本主義・効率主義と無関係に、毎日を生きることは難しい。
綺麗事だけでは現代社会で生きていけないことも、おそらくまた事実である。

そんな我々に希望を与えてくれるベッポの言葉で締めくくりたい。
ベッポは、道路掃除を職業としているが、とても長い道路を担当する際の心構えを説く。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

人生で何を成し遂げたいのかを考え大きな目標を持ち、キャリアの計画を立てそれに向かって日々邁進する、というのは現代人が叩き込まれた一つの生き方である。
目標達成・充実したキャリアのためには1分1秒が惜しい。先を見据えて、あらゆることを効率化し、時間を有効活用するのだ。
ただ、先を見据えて今がおろそかになると、今を生きられなくなる。

ベッポの姿勢に、現代の我々が学ぶべきことは多い。


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