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書写は 無形の力を養う

「文章をうまく書けるようになりたい」
人生において、誰しも一度は抱いたことがある思いではないでしょうか。

読者感想文という名の文章作りなんかは、学生時代に必ず通過しなければいけない苦手課題の一つともされています。

大人になった現在でさえもこのnoteで文章を書いている人ならば、より一層身に覚え有りの人も多いのではと推測します。もちろん私目も、その中の一人にしっかり該当しておりますけれども…。

文章の具体的な組み立て方やセオリーは私が改めて説明するまでもなく、ネットや書籍内に有益な情報がたくさん転がっています。

今回は文章力向上の為に、年明けから始めた「書写」についての哲学寄りのお話です。

書写を始めたキッカケとは?

「書写」とは文章力向上セミナーに参加した際に、講師の方が述べられていた理論です。

その時はwebライターとして、手当たり次第に記事を書いていた時期でもあったのですが、同時に自分の文章力の低さもひしひしと感じ取っていた時期でもありました。

特に文章語尾の表現方法で頭打ちになっていたイメージでした。(上達した感覚は今でもありせんが)
そこで効果的なトレーニング方法はありませんか?と講師に聞いてみたところ、「書写」をすると良いですという回答を頂けたのでした。

書写というのは具体的に難しいことは特に無く、ただそのまま文章を書き写すだけです。ただ題材は新聞の社説であったり、硬派な雑誌の文章を使用した方が良いとの事でした。

セミナー終了後にとりあえず書写に挑戦してみました。が、言うは易く行うは難し。継続は何事も難しいという実感を得られたのみで、思うような結果は残せなかったのでした。

そうした経緯も有り、本年の始めに改めて書写に再挑戦しようと決意します。どうにかこうにか、現状約1ヶ月継続できている(1日だけサボりましたが・汗)状態です。

書写を 1ヶ月続けてみた感想

せっかく書写をするのなら、自分が気に入った文章に限る。書写の心得とは何ぞや?とネットであれこれ調べていると、こんなサイトにたどり着きました。

「書写」が文章力を向上させる本当の理由 (hitcopy.jp)

私の中に幾人もの人格が宿っており、「書く場」に応じて人格を変えているのです。人格が変われば、必然的に思考の仕方や文体、表現までも変わってきます。

「この人のような文章が書きたい!」と思った作家の書籍だけに集中して書写したほうが人格は育ちます。そして、気に入った作家の書籍を何冊も書写し続けると人格までも宿り始めるのです。自然と、その作家の思考や文体で書けるようになります

私が書写の題材にしたのがこちらの本、【武道論】です。

武道論: これからの心身の構え | 内田樹 |本 | 通販 | Amazon

著者は思想家でもあり武道家でもあり、作家でもあるという 「内田 樹」氏。

日頃から彼の書籍を意識して、たしなんでいる訳ではありません。それでも何となく自分の感性に合うのか、作品に触れている瞬間が妙に心地良いのです。


それでも流石に1ヶ月余りの書写で、作家の思考や文体が宿る領域に達するとは虫の良い話です。しかし、自分が気になった作家の文章を真似ていると、書き手の意図や思いが少しずつ自分の中に同化していく感覚に、ほんの少しだけ近づいた気もするのです。

それは研ぎ澄まされた刀のような深淵の世界、しかし微電流のような非常に分かりにくいものでもあります。

一つ例をあげると、他者が書いた記事などを読んでいると「この表現が持つ感覚に見覚えが有るなあ」とか「この理念は○○氏が語る哲学と共通するところがあるなあ」という具合に、普段の生活内でも書写の影響を時折感じ取れるようになるのです。

書写の神髄は、己の内面を磨くことにあるのかもしれません

もちろん鍛錬していけば人格のインプットだけでなく、アウトプットも使えるようにもなるのでしょう。最終的には文章力も飛躍的に進化するのかもしれませんが、如何せん道程はまだまだ遠く険しいのです。

 「書写道」ならぬ「書道」ともいえる世界。

茶道や剣道、それこそ人生道など、「道」がつく世界に終わりはありません。だからこそ、日々精進が大事なんですね。

最後に内田 樹氏「武道論」からの引用で、私の好きな下りを記しておきます。

学びの始点においては自分がどうしてそれを学びたいと思うのか、その理由を言うことができない。学んだあとに、事後的に自分がそれを選んだ理由がわかる。それが成長するということである。

ここまでご愛読ありがとうございました。



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