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留められないものを留めようとするから無理が生じる

若いころから、
子供のころからずっとかな。
目指すものは、いつも近くにだけあった。

憧れの記憶もあまりない。

ずっとこのままというのは嫌だった。
別の何かになること、別の場所に行くことに期待して、何も変わらないことを不安に思ってた。

現実は、
家族を持ち、家を建て…。

でも、どこかへ歩き続けている感覚はなくならない。
留まるほうがしんどくなることを、知っているのかもしれない。
歩き続けるほうが楽しい。

親の元を離れて42年、もう35年も日本のさもない町に暮らしつづけているのに、まだ歩き続けているこの感覚。
わかってくれる同世代もいると思う。

千早茜の恋愛小説のなかに、妙に刺さるくだりがあった。

同棲相手の徹也から、結婚を切り出されて戸惑う「私」の心。

 きっと、結婚したってかたちを留めることなんてできない。
「仕事は?」
「別に今まで通りで、生活も、仕事も。だって仕事好きだろう?」
 仕事は好き。デザインは表現職ではないから。クライアントの意図をくんで目的にそったものを作りあげる。精魂こめて作っても清々しいほどに次々と消費されていく。
 誰も留めたいなんて思わない。とても気が楽だ。
 留められないものを留めようとするから無理が生じる。それをやっと受け止められるようになったというのに。
「かたちだけのことだから何も変わらないよ」
 徹也は繰り返した。
「あとかた/ほむら」より引用


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