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イツカ キミハ イッタ ep.47

立秋を過ぎると、暦を待っていたかのように秋めいてくる。朝晩の風の涼しさや夕暮れ時の空の色など、「あら、いつのまに」と思わせるくらい少しずつ秋の気配が深まってくる。一方で、急な雷雨や天候不順など、季節を一つ捲るための気候変化を、否が応でも受け入れなくてはならない。

長崎県の離島「壱岐島」に出向くと決まった日も、天気予報を眺めてため息が漏れるほどの雨だった。お盆明けの、まだ町が完全に日常を取り戻していない、長閑さが残る8月半ば、私は郷ノ浦港に降り立った。

フェリー乗降口には、どこからこんなに人が、と思うほど人が溢れ、降りる人と乗る人でごった返していた。レンタカーを予約していたので、車の手続きで出迎えにきていたレンタカー会社の方に
「この光景は夏休みだからでしょうか」
と訊くと、いつもこんな感じだとの返事が返ってきた。

関東から壱岐島へ空路と航路で渡るには、6時間ほどかかるが、そんな移動時間がかかろうとも人を惹きつける魅力のある島なのだろう。
車に乗って、宿へと走る頃には雨は止んでいた。夕暮れ時だったため、うっすらと西の空の一部が淡いピンクに染まっている。壱岐島に到着して開いた天気予報アプリには翌日、晴れマークとなっていた。不思議だ。
宿のフロントで手続きをしている際にも再度尋ねてみる。
「明日は本当に晴れるのでしょうか」と。
すると、
「この数日天候が悪かったですが、明日は晴天みたいですよ。よかったですね」
と、笑顔を向けられた。

翌朝、くっきりとした青空が窓の外に広がっていた。宿から車で10分ほどの月讀神社へと向かう。澄んだ気の満ちた参道を上りながら感謝の言葉を唱える。茅の輪をくぐり、お参りを済ませると、今降りてきた神社のある森から蝉の声が勢いを増して鳴り響いた。これほど大きな蝉の合唱を聴くのは久しぶりで、しばし風を背中で受け止めてから車に乗り込んだ。

壱岐島は、島の最北端から最南端まで移動してもほんの30分程度の距離だ。よって2時間もあれば、島内一周が出来てしまう。少し走っては停まり、のどかな景色を堪能した。
フランスのモン・サン・ミシェルを思わせる小島神社。ハワイの海より綺麗な辰ノ島のエメラルドブルーの海と白浜。猿岩にマンモス岩など、奇岩の数々。緑の丘陵から古代の風が吹く壱岐古墳群。こんな小さな島に、よくぞここまで揃ったものだと感心するほど歴史的文化的な観光スポットが数多く点在している。

夏の一日、どこまでも晴れ渡る空の下、この恩恵にあやかって辰ノ島へ上陸することにした。郷ノ浦でウニ丼と刺身定食の昼食を取り、余韻に浸る時間もないまま観光船「エメラルド壱岐」出港の2分前に慌ただしく滑り込む。

辰ノ島観光渡船:遊覧+辰ノ島上陸コース 大人2500円

2階席がまだ空いていると言われて、進行方向左側の前から2番目の席に着いた。観光船のため、見どころでは放送が流れる。頬を撫でる風と岩肌に白いしぶきをあげて吹き上がる波の華の冷気を感じながら、刻々と変化する海面を見つめた。群青からエメラルドブルーへ。あまりにも美しくて言葉にならない。ただただ震えるような高揚感に包まれていた。

目に眩しいほどのエメラルドブルーの海

波間できらめく光の反射。夏の空に浮かぶ真白の入道曇。そして無人島を覆う濃い緑の森がいざなう楽園への入口。船内放送で下船を促されて、我に返った。荷物を抱えて短い桟橋に足を下ろすと、透明度の高い海が目に飛び込んできた。瞳は海を泳ぎ、もっと先の海水浴場を捉える。崖下の双方向で歩くにはギリギリな狭さの岩場の道を、気づけば走り出していた。

いくつかのカーブを過ぎて、浜に人の姿を見つけた頃、足下は岩から砂浜へと変わった。そして無色透明な海面に細波が立っているのを見た。一面白砂のビーチはどこまでも遠浅の海がひろがり、浮輪を浮かべた数組の家族やカップルが波間で戯れていた。

辰ノ島の遠浅なビーチ

泳ぐより、浸りたい。

完璧な夏の景色に、自分も同化したかった。
晴れると想像できず、何の準備もせぬまま島に上陸した私が今出来ること。
砂で汚れた運動靴と靴下をもどかしく脱ぎ取ると、細波に呼ばれるようにして海へと向かった。

指先が砂に潜る感覚。甲の上を流れる温かな水の心地よさ。どこまでも行けそうな浅瀬をさまよい歩くうち、心がどんどん解放されていくのを感じた。

マスクを外し、息を吸い込む。
太陽の光は容赦なく肌を突き射す。
汗が滲む額に手をやると、砂で顔が汚れた。
これぞ、ホンモノのSummer Timeだ。
そう思うと、なんだか笑いが込み上げてきた。

今この瞬間、夏を満喫している。そう確信している。どんな世界情勢だろうと、コロナが猛威を奮っていようと、今だけは夏を愉しむことが許されていると思って、存分に、この光景を目に焼き付けたい。夏の感覚を思い出したい。
そんな気持ちで、暫くビーチの中央に立ち尽くし、周囲をぐるっと眺めた。
1時間ほど滞在して、帰りの遊覧船に戻った頃には、自分の中で夏が整理されていた。

壱岐島、楽園、Summer

帰りの車中では、ひぐらしの声が物悲しく聴こえてきた。束の間だった夏休みが終わろうとしている。西の海岸「牧崎公園」から眺める夕陽は、今日は格別に美しいことだろう。
夏を見届けるために、再びの海へと向かった。

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