心のガラスが割れた
先日、利用している2つの放課後等デイサービスとトラブルになりました。
放課後等デイサービスの言い分としては、遠回しに言っていたが、あなたはクレーマーだけど、約2年の付き合いだから、今回は許す。これからは態度に気をつけてという事だった。
私はADHDで知的障害があり、手帳を所持している。
昔からコミュニケーションが苦手で、伝えたい事を表出出来ない。
そしてADHDならではの癇癪の抑制が苦手なのだ。
小さい頃は我儘が通らないとか、出来ない事、分からない事が起きると癇癪が酷かったし、その感情を自分で抑えたくても、抑えられなかった。大人になるにつれて怒りは制御出来るようになったけれど。
でも、我慢して我慢して怒りが爆発するのはずっと治らず、それで友人が怖いと言って離れていくのは一度だけではなかった。
それが今回、放課後等デイサービスの対応の我慢していた不満が爆発した怒りのラインを一度送ってしまい、クレーマーとして位置づけられたのだ。
私からの当初の要望は、私の子どもはLDの傾向があるため、主に漢字の習得や、宿題の丸付けをして間違っていた所をなぜ間違えてしまったか一緒に考えてもらう、宿題を家庭で取り組ませようとすると癇癪が酷く無理だと感じるからあえて外での学習支援を目的に頼んでいた。
うちの子の場合は真面目な性格で学校で頑張って神経を使っているから、家では嫌な気持ちにならずに安心して過ごせる場所にしたい。勉強が出来るようになって欲しいのではなく、最低限授業についていけるようにしたいと。
ところが、急に一つの放課後等デイサービスは、小学生高学年なのに書けなかったひらがなが書けるようになったレベルで感謝される。その程度が学習支援の範囲であり、あなたが求める学習はレベルが高すぎる。そして学習支援だけが福祉じゃないから学習をあえてさせない日もあると言われた。
もう一つの放課後デイサービスでは今まで丸付けまでしていたが、丸付けは親子のコミュニケーションとして家でやって欲しいとのことだった。たとえ家庭で子どもが癇癪を起こしても。
私は頭では理解出来たけれど、それが当初に了承してくれていた要望と違っていて、怒ったのだ。
伝え方はキツかったかもしれない。
怒った私が絶対に間違っている。
でも、急に手のひらを返された、投げ出されたと感じたのだ。
話し合いの時、私の要望は塾での範囲であると釘をさされた。記憶力に原因があるなら、そこの記憶力を高める為にカードゲームをするのが福祉だと。なんだったら勉強は自分が必要になった時にやるから、勉強は出来なくて良いと言われた。
私は、勉強が出来なくて、どうしたら解けるのか聞ける人がいなくて、塾に行っても更に分からなくて、当時療育は存在していなくて、大人になった時に就職活動の筆記が全部駄目で、就職の戦いからあぶれ、ずっと派遣やアルバイトの繰り返し、ずっと苦しかった。子どもに同じ思いをさせたくない。
その思いを施設利用前に伝えたのに、伝わってなかったと知った絶望感。
そもそも私の要望がおかしいなら、もっと前になんで言ってくれなかったのだろう。言うタイミングなんて、毎日通っているのだからいっぱいあったはず。
どうして、辛かったですね、うちでみますよ!なんて、期待をもたせる事をあの2つの施設は言ったのだろう。
どうして初めて設けられた2社の話し合いの場は子どもの為の話ではなく、結果私に謝罪させる為の場にしたのだろう。
どうして。
どうして。
しまいには、私の為のソーシャルワーカーを探しましょうという話にまでなった。
『私が、おかしいの?』
言いたい言葉は時間で解散だと急かされて言わせて貰えない。
ガラスが、心の中のガラスが割れていく感覚を胸に感じながら、止まらない涙で2つの放課後等デイサービスに謝罪した。
「使う言葉を今後は更に気をつけて選んでいきたいと思います。でも、また言い過ぎだと感じた時は教えてください」と。
また話し合いがあるけれど。
逃げ出したい。
移動してしまった、あの素晴らしい療育の先生ならもっと適切な言葉をくれただろうな。
長文失礼しました。
最後まで読んでくださった方がいましたら、ありがとうございます。
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