令和の仮面ライダー、それはもう特筆事項ではない
*仮面ライダーガッチャードの時代
「仮面ライダー」が戦隊シリーズやウルトラマンと並ぶ特撮ヒーローシリーズであることは、もはや言うまでもないでしょう。
いわゆる平成ライダーの第1作『仮面ライダー クウガ』から数えてさえ、はや20年以上の歴史があり、その間ずっと毎年新しい作品が制作されているわけです。
そんな仮面ライダーシリーズ、この2024年1月現在も放映中の最新作は『仮面ライダー ガッチャード』。
ひょんなことから変身アイテムを託された高校生・一ノ瀬宝太郎(演:本島純政)が錬金術の力で仮面ライダーに変身し戦っていく……というのが物語の大枠です。
ここ数年の仮面ライダーはなかなかじっくり視聴できなかった※ワタシですが、今般の『ガッチャード』はすっかり引き込まれて毎週楽しみにしています。
※裏番組(5年余にわたって続いていた「ガールズ×戦士シリーズ」のほう)をガッツリ観ていたためノ
むろんジェンダー観点でも、非常に画期的……なわけではなく、むしろ「令和クォリティ」を当然のものとしてごく自然に取り入れている印象で、そのこと自体がまさに令和ライダー最新作に相応しい趣。ソコこそがスゴイということになるでしょうか
(当記事は2024年2月11日放送の第22話までの視聴に基づいて執筆しています)。
*高校生が変身
「ガッチャード」への変身者である主人公・一ノ瀬宝太郎が高校生だという設定は、もちろん決して珍しいものではなく、仮面ライダーシリーズでの前例は複数あります。
今般もその設定を活かし、公的組織で上司から命令されて仕事として戦うわけではなく(仮面ライダーシリーズではそもそもその設定は少ない)、あくまでも私的な立場から、怪人に襲われている人を守る、困っている人を助けるというスタンスで変身し、ときに「正義」よりも[ケアの倫理]で行動する、そしてそうしたヒーロー活動を通じて、主人公が自らの目標を確認して成長していく、そんな姿が活写されることとなっています。
かかる今どきのヒーロー譚として求められる要素をきっちりバランスよく網羅している作劇は、じつに魅力的です。
極端な鬱展開はなく、相対的に明るい作風なのとあいまって、安心して見守ることができる作品となっているのはまちがいありません。
*女子高校生が変身
近年の仮面ライダーシリーズでは、主人公ライダーの他にも何人かの仮面ライダーが登場するのが通例ですが、『ガッチャード』もその例には漏れません。
公式サイドがメイン主人公変身の「ガッチャード」に次いで2番めのライダーとして打ち出しているのは「仮面ライダー マジェード」。
そして、その変身者はといえば、メイン主人公・一ノ瀬宝太郎の高校でのクラスメートである九堂りんね(演:松本麗世)。
つまるところ『ガッチャード』では、ごくフツーっぽいどこにでもいそうな(作中では「錬金術の使い手」ではありますが)女子高校生が、しれっとこともなげに仮面ライダーに変身して戦う設定なのですね。
りんねが自身の信念と向き合った末に決意を新たにしてマジェードへの変身に覚醒する第19話は、じつに熱い展開で、なかなかに感動的でした。
怪人とのバトルもキレッキレで、「女の子が変身してるんだし、まぁコレくらいでイイか」みたいな演出上の手加減は皆無。
まぁプリキュアシリーズが20年も続いている果ての現在において、ソレはもうあたりまえなのでしょう。
しかして作中でも、作外のプロモーション等においても、「女性が仮面ライダーに!」という点は殊更に強調されることもなく、あくまでも「新しい仮面ライダー登場。変身者は九堂りんね」という扱いでした。
「マジェード」のデザインも、殊更に女性らしさを意識しすぎているようなところはなく、九堂りんねが仮面ライダーに変身した姿として、きわめて穏当な塩梅です。
先日のウルトラマンの記事中で「仮面ライダーは野球」という比喩を用い、その続く段で、それでも昨今は女性の仮面ライダーもきわめてナチュラルに登場するようになってきていると述べましたが、今般、それがさらに一段階進んだと捉えることもできるでしょう。
→ ウルトラマンブレーザーがそれでも「男臭く」ならない理由
[佐倉ジェンダー研究所web令和本館]
https://note.com/tomorine3908_nt/n/n3798b198d0c3
翌第20~22話などでは、然るべき場面でもう完全に当然の流れとして宝太郎のガッチャードと並んで変身して怪人と戦っていました。
ぅ~む、趣としてはなんというか「ふたりは仮面ライダー」!?w
そんなこんなで、「女性の仮面ライダー」は、もはやこの令和の世においては、さしたる特筆事項ではなくなったのです。
*かつてはソレが特筆事項だった
しかし『仮面ライダー ガッチャード』において、「あぁ、そうか、それはもう特筆事項ではないのか!」の真骨頂は、じつはソコではないのです。
一ノ瀬宝太郎の自宅は「キッチンいちのせ」という定食屋。常連客もたくさんついています。
普段の宝太郎はそこで家の手伝いという位置づけで店の仕事に従事しています。
厨房も担当し、オフの日には新メニューにつながるような創作料理の試作にも勤しみます。
そうして開発した創作料理を九堂りんねに試食させては「微妙…;」と評価されて宝太郎が凹む……というのも、日常のお約束描写となっています
(これは、料理の腕前自体に致命的な問題があるという描写ではなく、「創作」のセンスがエキセントリックすぎる的なニュアンス)。
最初の数話の間、私はこうした場面を特に気にもとめずに見ていました。
が、やがてふと気づきました。
「ちょ、待っ……、コレってもしかして[料理する仮面ライダー]案件!?」
そう、これはまさに男性が、しかも仮面ライダーというヒーローに変身する人物が、料理をしている様子を肯定的に提示しているわけです。
まだまだ性別役割意識が根強い中では、そうしたジェンダー撹乱的な表現は大いに意義があるでしょうし、その意味では偉いフェミニストの先生にはゼヒとも『仮面ライダー ガッチャード』を観て「スバラシイ!」と称賛していただきたい、そういう案件でもあるでしょう。
実際ワタシも、20年余り前には『仮面ライダー アギト』作中で「仮面ライダーアギト」に変身する主人公・津上翔一が、料理が得意なのをはじめ、居候先の掃除や洗濯まで一手に引き受けて器用にこなしている「家事男子」である点に着目して、ひとつ記事を書いたりしています。
→ #013 いまどきの仮面ライダー(2001/05/03)
★日常・生活とジェンダー:メディアとジェンダー
[佐倉ジェンダー研究所web本館]
http://tomorine3908.my.coocan.jp/emedia.contents/013.agito.htm
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まぁ、これから怪人との戦いに赴く仮面ライダーへの声かけとして「早く帰ってきて美味しいものいっぱい作ってね」は、今でも相応のインパクトがあるセリフだとは思われます。
ただ『アギト』から20余年を経た今日、いわば同様の[料理する仮面ライダー]描写を見ても、以前のような「おぉ、画期的っ!!」という反応は、今般は招来されなかったわけです。
いわば、料理場面があまりにもさりげなく自然に描かれているので、ワタシもわざわざ指摘する必要に思い至らなかったということになるでしょうか
(家庭での料理と業務としてのプロのコックでは話が違うという指摘もあるかもですが、宝太郎は将来は調理師を目指しているとかではなく、あくまでも自身の現有スキルの範囲内で家業の手伝いをこなしているという位置付けなので、この場合はその点の勘案は妥当しないと思われます)。
逆に言えば『ガッチャード』では制作側もそれだけ、ほとんど特段の意識をせずにそういう場面を出してきている。つまり、ある種の「ジェンダー的なポリコレ」に配慮した結果としてかかる描写を意識的に入れているということではなく、単にフツーによくある現実をそのまんま描きこんでいる、ただそれだけ、ということなのではないでしょうか。
まさに昭和は遠くなりにけり。
令和のこの時代、[男性の料理]こそが、もはや特筆事項ではなくなったのです。
*携帯電話のように注釈が必要
思えば中学や高校で「女子だけ調理実習の授業があった」状況が改められて、すでに30年が過ぎました。
いわゆる「家庭科の男女共修化」、中学で1993年度、高校は1994年度ですからね。
なので現在のアラフォー以下の世代は知らないのです。
「中学校での[技術・家庭科]が男女で学習内容が異なり、男子と女子で別々に授業を受けていた」
「高校は女子の時間割が[家庭科]の間、男子は体育で柔道などをしていた」
……そんなことはせいぜい話にしか聞いたことがない、実体験としてのリアリティを伴わない歴史上の事実でしかないわけです。
実際、大学で学生にそうした過去の事例を紹介した日には、授業後のリアクションペーパーに「昔はおかしなことをしていたんだなぁと思いました」「なんでそんなヘンなことをしてたんでしょうか?」などと素で書いてくる学生もいたりするくらいです。
いゃぃや、「なんで?」って、ソレこそがまさに授業のテーマであるジェンダーなんですけどね;
言い換えると、ジェンダー論の授業に履修登録するような相対的に「意識高い」学生にあっても家庭科男女別履修時代の存在を知らない。これを必要な予備知識の研鑽を怠っていると見れば嘆かわしいことかもしれません。しかし、そういう「嘆かわしい」状況が発生してしまうくらいに「女子だけ調理実習の授業」が過去のものになった、その証左なのだと捉えれば、これは時代の進展を言祝いでよい事態でありましょう。
しかして、例えば昭和の恋愛マンガなどでは[主人公女子が調理実習の時間に作ったものを意中の男子に食べてもらいたい、どうやって渡そうか]のようなプロットもあったかもしれませんが、そうした展開の物語を今どきの若者に読ませる際にはガチで注釈が必要ということになります。
まさに「その頃には携帯電話はまだなかった」と同レベルで、「この当時の調理実習の授業は女子だけだった」と。
ともあれ、こうした最初からずっと男女いっしょに調理実習に臨んできた若い世代の感覚からすると、料理はもっぱら女子の役割だというようなジェンダー観念は素直に受容できるものではないでしょうし、男子の料理もまったくのアタリマエ。
今般の『仮面ライダーガッチャード』での[料理する仮面ライダー]描写も、その軸線上にあるのだと考えると得心がいきます。
このような人々の意識の変化が、この先の未来で、さまざまな事柄において、「性別」なんかに制約されずに、誰もがひとりひとりのありのままのスキルを評価され、自分らしく生きられる社会へと、ひとつつながっていくのではないでしょうか。
*余談1:手練れのホームパーティ男子ズ
ちなみにウチの娘が仲間内でホームパーティをする際などは、男友達らの料理の様子の、その熟練の腕前ぶりに感嘆するそうです。
当然に料理に性別はカンケイないという認識がソコでは共有されているのですね。
そんな空気感で和気藹々と過ごすホームパーティ、役割分業でも、メンバー間の関係性の面でも、なかなかフラットな場である様子が伺えます。
まさしく時代の最先端の令和クォリティ!
…まぁわが娘・満咲は、「普通」のモニターにはならないっちゃーそうなんですが;
→[佐倉智美のジェンダーあるある研究ノート/今週の佐倉満咲カテゴリ]
https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/archive/c2300684258-1
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*余談2:電波人間タックルの轍は踏まない
『仮面ライダー ガッチャード』で当初からガッチャードをアシストする役回りで登場していた変身ヒーロー「ヴァルバラド」。
しかし黒鋼スパナが変身するそれは[仮面ライダー]とは位置付けられていませんでした。
作中で仮面ライダーと共闘する存在なのに[仮面ライダー]とはカウントされない。
……昭和の『仮面ライダー ストロンガー』における「電波人間タックル」が頭をよぎります。
キャラ配置的には「タックル」およびその変身者「岬ユリ子」、『ガッチャード』の九堂りんねとさほど相違ないっぽいんですけどねー(やはり「女性の仮面ライダー」、1975年時点では早すぎる設定だったのでしょうか)。
ただ、『ガッチャード』第21話で、黒鋼スパナも過去の自分と向き合い思いを新たにして新しい力に覚醒、ついに「ヴァルバラド」も[仮面ライダー]の称号を手にするに至りました。
公式サイトもすでに更新されて、堂々「仮面ライダー ヴァルバラド」と紹介されています。
………まぁ「電波人間タックル仮面ライダーにカウントされないモンダイ・男性版」が生じたら、ちょっとオモシロイかもと思わなくもなかったんですけどネ;
*余談3:お母さんはスケバン刑事
上述のとおり『仮面ライダー ガッチャード』では女子高校生がフツーに仮面ライダーに変身するのですが、これが特段の奇異なことではなくなっているのが、このプリキュア20周年時代であります。
プリキュアのような、いわゆる「変身少女ヒーロー」の系譜を辿ると、むろんセーラームーン先輩は言うまでもないとして、『シュシュトリアン』とか『ポワトリン』とか『トトメス』等々、いろいろあるといえば思いのほか結構ありますね。
そうして行き当たる、ひとつのタイトルが『スケバン刑事』シリーズ。
東映による特撮ドラマシリーズ3部作は知名度も高い作品となっていますが、これを今日の変身少女ヒーローものの興隆の嚆矢だったと見ることも可能ではないでしょうか。
で、その東映特撮ドラマ『スケバン刑事』3部作の2作めに主演した南野陽子が、『ガッチャード』で主人公の母親役で出演しているというのは、はてさて何の因果なのでしょう。
制作側が何らかのオマージュというか意図したキャスティングだったのかも!? ……などと妄想するのも楽しいかもしれません。
……そのうちガッチャードの大ピンチに、セーラー服を着てヨーヨーを手にしたお母さんが駆けつける展開とかあったらオモシロイなぁw
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