恥ずかしいプロダクトを世の中に出していませんか

私はIT業界で働いていて、数年の経験があります。
とある晴れた朝、私はいきなりあることに気づきました。

「もしかして、自分はプロジェクトメンバーのみんなと
違う方向を向いているかもしれない」

この時に気づいた自分の違和感を、「恥」という言葉を使って吐露したいと思います。


「自分ならお金をもらってもやらない」

まずは以下の動画をご覧ください。(2分弱で終わります)

内容のまとめは以下の通りです。

・状態がよさそう(に見える)昔の車(「旧車」と言うそうです)を買った
・ところが、表面に錆が出ているのを発見した。削ってみたところ、なんと金属ではなく、パテ(プラスチックみたいなもの)で埋められている部分を発見した
・動画のおっちゃんは「この業界、このような事例は確かに多いが、自分ならお金をもらってもやらない」と述べる
・「なぜなら、この車が他の工場で修理されたときに自分が修理したと分かったら、自分の評判に傷がつくから」


IT業界でも、同じようなことありませんか

どうでしょう。
同じような話が、IT業界でもありませんか?例えば…

・自分が発注したプロダクトの良し悪しを判断できない発注者
・ルック&フィール(見た目)にしか注目できない業務ユーザ
・費用対効果、投資対効果にしか興味のない役員
・プロジェクトの進捗にしか興味のないPM
・自分の仕事を切り出されるのをひたすら待つorこなすだけのSE
・なんでプロジェクトに呼ばれたのか分からない協力会社の人々
・契約を受注するまでが仕事としか思っていない営業
・etc...

それぞれの登場人物に、それぞれが抱える問題があり、それは私以外のすごい人がいろいろ語っているので、このNoteでは割愛します。

私がただ一つだけ言いたい(=これこそが「違和感」の正体)のは、

みんな、プロダクトに目が向いていない

ということです。


プロダクトに目が向かないとどうなるか

良いプロダクトを作るには、最低限、以下の条件が必要と思われます。

・発注者が発注時に「良し悪し」の定義を行い、受注の基準にすること。
・開発者は開発時に「良し悪し」に気を配り、プロダクトがリリースされた後に、きちんと効用を発揮できるように注意を向けること。
・運用保守者とプロダクトを使用する業務ユーザは、プロダクトが効用を発揮しているか定期的にモニタリングすること。

ただ残念ながら、IT業界では、プロダクトに目を向けることは少ないです。
なぜなら…

・発注者はそもそもどんなプロダクトを依頼すればよいかが定義できず、発注したプロダクトが出来上がった時に良し悪しを判断するすべを持っていないことが多い。
・開発者は、契約の履行にのみ注意を払うので、場合によっては発注者に品質や効用を誤認させる形で納品を行う場合が多い。(「開発完了しました、テスト完了しました、品質管理しました、受入テスト終わりました→弊社の品質管理プロセスを通過したこのプロダクトは、もちろん良いプロダクトですよね?」)
・運用保守者は開発者と異なる担当者が担当することが多いため、そもそもプロダクトを作成した意義を知らない。そのため、効用が発揮されているかに注意が行かない。
・業務ユーザは、使いやすさと見た目しか気にしない。

確かに、私の経験を振り返って考えてみると、作ったプロダクトの効用はリリース後すぐに出ないこともありますし、そもそも契約内容に「良いものをつくること」なんて一言も書いてないことが多いです。(「要求を満たしていること」と書いてあることがほとんどで、良し悪しについては定義と記載がないことが多いです)

そのため、究極的に言えば「だれもこのプロダクトを良いものにしようと思っていない」という奇妙な時間帯が生まれることがあります。


具体例:誰にも期待されなかった、悲しいCOCOA

例えば「COCOA」は、ITにあまり興味関心がない方でも、その存在をご存じと思います。
COCOAは最近のプロダクトの中でも非常に典型的な「プロダクトに目が向いてないプロダクト」だと思っています。なぜなら…

接触管理アプリCOCOA
・発注者である厚生労働省にはITの専門家は実質的に不在で、プロダクトの最終責任者としての責務を果たせない状態にあった
・受注者(元受け)は受注金額の9割を再委託に回し、実質的な製造責任者としての責務を果たすことができない立場であった
・アプリの持つ性質上、制約・リソース配分・リリース期日には注意が向けられたが、プロダクトの持つ効用が発揮されているかどうかはだれも気にしなかった(携帯電話同士を近づけても「接触」と判定されない場合があることが、リリース後に判明)
・アプリを動作させるプラットフォームとしてXamarinが選定されたが、開発者がXamarinの抱える脆弱性に技術的にハマってしまう。だがプラットフォーム選定の決定を覆すことができず、最終的にプロダクトがリリースされてしまう
・非常に貧弱な運用保守体制(受注額が億単位なのにもかからわず、運用保守費は百万単位)のため、リリース後のバグ対応が滞ってしまう。「接触判定の不具合」というプロダクトの生命線と呼べる機能の障害が、4か月間もの間、解消されなかった
・国民の1/4しかインストールを行わなかった。国民の税金を投入しているにもかかわらず、プロダクトの効用に対しての期待値がかなり低かった


私は思います。
誰か一人でも、プロダクトに目を向ける勇気を持っていたら…と。

プロジェクトが終わればそれでいい、契約が履行できればそれでいい。自分の仕事が終わればそれでいい。
たしかに、それもそうですね。

でも私は、自分の人生をかけて、そして仲間と協力して作り上げたプロダクトは、きちんと目的通りに役に立ってほしいと思います。
不完全だったり、遅れていることよりも、原初の目的である「プロダクトの効用」が発揮されないことが一番悲しく、残念なことだなと強く思います。

そして同時に、プロダクトの効用を二の次に置いたプロダクトを自分の仕事として認めたくない気持ちがあります。
「どうしてこのプロダクトを作ったのですか」と質問されたときに、たぶん、私は恥ずかしくてまともに答えることができませんし、以後「効用を妥協してプロダクトを作っている人間」と認識されることが、エンジニアとしてなによりも怖いです。


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