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「封印」 第二十六章 焼却



 バハイの警官達と、南耀軍の生存者達は、空爆が終わった直後、街に切って返した。一軒一軒家屋やオフィスをクリアしていく彼らは、黙々と、死んだ家族の仇を討つ様に、遭遇する感染者を撃ち殺していく。その最中、感染した仲間にも、彼らは容赦しなかった。
 ドアを慎重に開き、銃身で取手を数回叩く。廊下に、男の姿が浮き上がった。
 その頭を撃ち抜く。圧縮された鋭い銃声と共に、男は倒れ、警官達は速やかに屋内を制圧アする。
 キッチンで、警官は足を止めた。
 死んだ犬。開けた玄関を振り返る。引っ掻かれた傷跡。
「袋に入れろ」
 死んだ男の体と共に、彼らは死体を黒い袋に入れ、運び出す。
 中庭に、死体の山が築かれていた。人間の死体を包み込む火の山の隣に、餓死した犬と猫の山があった。
 先週は、子供の山を、警官は見ていた。隔離されていた乳児と、幼稚園の子供達が餓死した後始末を、彼らはしなくてはならなかった。その時の事は、非現実的すぎて、今もまだ、理解できずにいる。
「戻るぞ」
 死体の山が崩れ始めたところで、警官達は北部の難民キャンプに撤退した。
 焼け野原と化した空港のすぐ隣に設置されたそのキャンプは国軍によって厳重に警備されていた。
 しかし、警官達が戻った時、その軍人達は出立の準備を始めていた。
「何が起きている?」
 兵士の一人の肩を掴む。顔に大きな火傷を負った兵士は、救援物資として運び込まれた薬品箱を蹴った。
「クーデターだよ。ダムナグ社の。信じられるか?」

 南耀が炎に包まれていく。ヘリの上から、その様を、なす術なく見送るしかない。
 エイナン島を包む烈火の色は、黒だった。青と黒が混じり、その中を、灰色の鋼鉄の狼達が駆けずり回っていた。生き残れる人間など一人もいなかった。炎は時に、接近しすぎたヘリや戦闘機ですらも飲み込んだ。
「なんだこれは…」
 コウプスが、息も絶え絶えに、吐き出した。答えを知る者はいなかった。
 イウェンの携帯が鳴った。
「はい」
 アンサングを呼べ、と長官は言った。
「よく聞け。極秘だ。お前ら二人だけへの命令だ」
 イウェンの隣に、アンサングは席を移した。「どうぞ」
「南耀の壊滅。この責任は事態を当初隠蔽した南耀軍、政府上層部、そしてダムナグ社にあるとして、首相が逮捕命令を出した。しかし、だ。国にはそれを実行する力がもう無い。南耀での国軍への打撃は甚大だ。でも同時に、国民の怒りはダムナグ社に向いている。首相も国軍を首都に再招集した。実際、バハイから国軍の生き残りが首都に向かって動いている。だが、恐らく間に合わない」
 長官が大きく息を吐いた。
「この先、首都でクーデターが発生する。ダムナグ社と繋がってる奴らだ。殺される前に政治的正当性を奪取する気だ」
 イウェンは黙って長官の言葉を待った。アンサングは聞かずにはいられなかった。
「公安はどうするのですか?」
「クーデターに、公安は参戦する」
 イウェンとアンサングの視線が交わった。
「二人とも、よく聞け。アンサングは、コウプスと共に首都へ急行。ダムナグが殺す前に。首相の身柄を拘束しろ。イウェン、お前は、首相を護衛しろ」
 アンサングは携帯に耳を寄せた。
「復唱願います」
 長官の返答と命令内容は変わらない。イウェンは携帯を握り直した。
「私は、公安から外れるのですか?」
「そうだ。今日付でお前は解任される。このまま北上し、首相を可能な限り護衛しろ」
 首相とダムナグ社、どちらが生き残っても、公安は恩を売れる。卑怯な組織だと、今更ながらに、アンサングは笑う。
 もう一つ、と長官の冷たい声は続く。
「イウェン、首相護衛に向かう前に、ダムナグ社長を殺せ。アンサングは引き続きダムナグ社への捜査を続行。会社は脅しても、潰しはしない。賠償金は絞れるだけ搾り取る」
 いつも通り冷たい声に、どこか野蛮な色が混じっていた。
「長官」
 アンサングは自分の顔から笑いが消えるのを待った。
「南耀、消滅したんですよ」
「消滅?」
「もうだめです。あそこは。誰も行けません」
「報告は受けている。沿岸沿いは、一切の交通を遮断。バハイ以南から無断で北上する者はその場で射殺される。お前らだけが例外だ」
「国軍はまだ任務を続けているのですか?」「している。少数の国軍と警察の生き残りがバハイ周辺を監視している」
「バハイの状況は?」
「北難民キャンプはまだ機能している」
「新しい実験場ですか?」
「南燿の敵が海を超えた時、対策が必要だ」
「分かりました」
 イウェンは携帯を閉じ、捨てた。
「静かに動け」
 長官の声が小さくなった。

 バハイは燃えていた。戦闘機が幾度も行き来し、その度に新しい烈火が空を染め上げる。その北の隔離キャンプに、アンサング達はようやく着陸した。
 長官の言葉通り、そこを守るはずの兵団はほぼ姿を消していた。国軍の殆どはダムナグに反旗を翻す為、出発したと聞いた。
 大勢の子供達の泣き声が聞こえた。並んだ簡易ベッドと、そこに座るか転がる子供達。
「首相は国軍の全兵力をバハイ以南の沿岸と空域に配置した。だからクーデターなんてのが起こるんだよ」
 弾丸を弾倉に込めながら、コウプスは難民達を見つめる。
 包帯で顔がぐるぐる巻きになった子供が、身を起こした。
「お父さんは?」
 その小さな胸を、母親が抑える。
「もういないんだよ、お父さんは」
 コウプスの後で、エテューが鼻を啜った。「感染者!」
 悲鳴に、全員がその方向に向いた。
 兵士達も、アンサングも全員が銃を抜いた。
「落ち着け!」
 イウェンが叫んだ。
 アンサング達から見えない所で、銃声が響き、すぐに騒ぎは治った。
 安堵に、母親達が胸を撫で下ろした。
 テントを抜けると、警官達の一団が待機していた。
「エテュー!」
 彼らの装備は充実していた。エテューはその警官の抱擁を受け止めた。
「生きてたんだな」
 言われて、警官は首を振った。
「これだけだと思う」
 警官に続くのは、総勢50人ほど。しかし、疲れた気配も、絶望した様子も無い。静かな、復讐と決意の姿勢。
「これから街に戻る」
「戻ってどうすんだよ」
「家を一軒一軒まわって掃討していく。街を元に戻すんだよ」
「元に戻んのか?」
 燃える地平線を振り返るエテュー。その頭を、警官は掴んで、テントに向けた。
「あの子ら、育つ所が必要だろ」
 エテューは答えなかった。その胸に、警官はショットガンを突きつけた。
「来るか?」
 エテューはアンサングを見た。
「首都で会いましょう」
 アンサングは頷いた。
「待ってるよ」

「首相官邸、包囲完了です」
 携帯の向こうの、公安出身の兵士の声に、ヴァサル社長の心臓は高鳴った。
「ご苦労。一応24時間は与えてやれ」
 スーツを脱ぎ、携帯を抱えた手で目を擦って、社長は浴室に入る。
「交渉したいと言っておりますが」
「条件は聞いてやれ。24時間したら、予定通りに進めろ」
「いいのですか?」
「もう聞くな」
 歯を磨きながら、窓から、軍に囲まれた首相官邸に目を凝らす。銃撃は官邸の周りでまだ行われていたが、戦局が変わる事はもう無い。事は全て済んだ。もう変えられない。首都イリスは堕ちた。
「ごめんな」
 タオルで顔を拭いて、寝室のドアを開ける。
 鈍く重い衝撃が、胸に広がった。
 すぐに、腰の力が抜け、社長は床に倒れた。床で転がる護衛と、目が合った。護衛の上に、銃を持った東威人が一人、立っていた。
「ヴァサルだな?」
 銃を持った男が、公安である事が何故か分かった。しかし視界に浮かんだのは、暗がりから近づいてくるその男の顔ではなく、母の顔だった、
 この、死を間近にした瞬間に、意識は目の前の現実とは全く違う方向に向いていた。
 そうだ、と心がつぶやきすらもした。
 母は死んだ。病気で死んだ。それを克服したかった。こんな世界を変えたかった。
 ただ死んでほしくない。それだけだった。そのために自分は努力して、起業して、開発して研究して拡大した。
「最終的にどう解決するの?」
 自分はいつもそう聞き続けた。解決しなければ意味がない、理論も倫理も活動も、問題を解決しなければ意味がない。
 だからここまで来た。離婚ももちろん、違法実験もしたし、クーデターまで支援した。今の政府は会社を潰そうとしていた。投資も助成金も全て政治家に流れていた。ついには研究材料だらけのバハイと、南耀を焼け野原にした。
 実際、研究は成果を出していた。死亡した被験者は大勢でた。一〇〇人。でも、その死のお陰で、薬は見つかった。後は認定されるだけだった。
 そして、刺客が来た。
 官邸で銃撃戦が続く中、資料を持って、会見場に行く為に部屋から出ようとして、撃たれた。
「これを…」
 USBを、ヴァサルは差し出した。公安は、ヴァサルの首にブーツを当てた。
「公開してくれ…」
 公安は社長の手を掴んだ。首に短い衝撃が走った。痛みと窒息感に包まれ、割とすぐに、意識は閉じて行った。

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