価値観なんか、変わってナンボ!!

よく「自分にとって、これは絶対に欠かせない!」とか、「これがなかったら死んでしまう、生きていけない!」とか、人それぞれで大事にしているものがある。

まあ、自分も結構あったし今も持ち合わせている部分もあるが。

で、実際に「その人にとって大事なもの」というのは本当に周りの人全員が同じように「大事なもの」なのかというと、確実にそんなことはない。

もしそうだとしたら、それはたまたま周りに同じような価値観を持っている人がいるだけ。

そしてそういう人しか知らないというのは、世間をそれだけ知らないということ。

暴走族とか、暴力団とか、実はたまたま「世界を知らない」から、そういう道にしか行けなかったという面もあるのではないか。

ふと、そう思うときもある。

じゃあ、「価値観を変えます」といってすぐに変えられるかというと、周りの現実はすぐには変わらない。

ただ、唯一変えられるものはある。

「自分が、どう思っているか」

要は、「自分自身の周りの現実」は、確かにすぐには変わらない。

けど、すぐに変えられる部分としていわゆる「自分の内面」というのは変えられるところ。

これは習慣の作り方にも関わることですが、人は自分が何回も触れたり行ったり、発言したりすることが、はじめは意識的であったものが徐々に無意識に入っていき、
「これは、何回もやることだから大事なもの」という認識になります。

だから、自分からでも周りからの薦めも含めて、何回も触れていくうちにそれがその人にとって価値観の高いものという認識になっていくのです。

で、ここからなんですが。

「価値観は、変わるもの」

これは今までの習慣の逆ですね。

今までに出会ったことのないことや、反発していたものに対して実際に何回も取り組んでいくうちに、それが実は「大事なもの」「意味のある、価値のあるもの」と置き換わるようになります。

またふとしたきっかけというのも、よく価値観が変わるものといいますが、あれは習慣的というより、「生命の危機が脅かされた」というようなときなんかがしっくりくると思われます。

今まで仕事ばかりしていて、健康や家庭をないがしろにしていた人がある日突然倒れた後、生活のやり方を変えて家族や自分の健康を大事にすることとかなんかは、この例かもしれません。

どっちにしても、「今自分が大事だ」と思っていることというのは、非常に移ろいやすいということです。

以前、「人は動く方が多大なエネルギーを消費する」ということを書いたことがあります。

実は、価値観なんかも含めて「変化」というのは生じるものではないかというようなことも考えとして持っています。

学生の頃に好きなことと、社会人になってからの好きなことが大分違うという人は少なくないはずです。

かくいう自分も、学生のころはゲームしまくっていたのですが、社会人になってからはまるで無価値に感じていますし、たまにやってみるかとインストールしても翌日くらいには「あまりよくないな」とアンインストールしています。

ですから、別に変わることというのはむしろあって当然ですし、未知のところにまた新しい出会いもあります。

価値観とか、変わってナンボ!!

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