学びは「一生もの」

在宅ワークが続く昨今で、少し時間が空いたときにふと思ったことがありました。

「そういえば、学生・生徒・児童さん達は今も学校に行けていないんだよな」と。

自分の知り合いに高校3年生の子がいるのですが、GW中に話をしたときには学校から課題が出されていてそれをやっているとのこと。

一応、学校側としても対策してないわけではないのでしょうが、それをやるかやらないかは各人がどの程度まで自発的にとりくめるかというところなのかなとも思いました。

かくいう自分もかつて義務教育と高校、大学と実に16年もの年月を学校に費やしていたものです。
今思うと、「周りが行くから」とか「ほかに何をやればいいか分からなかった」というのがあったから行っていたのでしょうが、もし今みたいな休みが実際に学生のころにあったら何をしていたか。

まあ、学校の勉強とかはあまり(というかほとんど)していなかったですね、多分。おそらくゲームかテレビかというところですね(自分の学生時代はYouTubeなるものはなかったので。今なら間違いなくYouTubeがテレビの代用です)

それでさらに気づいたこと。

「じゃあ、社会人になっている人達にとって勉強ってどれだけ必要なのか」

ということ。

勿論、新卒のはじめのころであったり他業界へ転職した頃はやり方を覚えたりすることで学びになることはあるでしょう。

しかし、一定期間経っていくとどうも「覚える」というより「こなす」という感覚になる。
それは怖いことだなと思いました。

というのも、こなすような感覚になっているときは、「手を抜いて」もできてきているようになっているからです。
つまり、動きの「自動化」が生じています。

動きが自動化されることは、確かに質がよくなる一面もあります。
しかし同時にそれが個人の「快適なところ」になり中々抜けだせなくなることにつながってしまいます。

そうなるとどうなるか。

新しいことややったことのないことに対して抵抗感を覚えるようになり、1つのやり方に拘ってしまうことになりかねないです。

よくいう、「視野の狭い人」や「頑固」と呼ばれる人なんかは多いですね。あとは真面目気質な人、職人気質な人とか。

勿論、1つのものごとから新たな気づきとかを得ることはありますが、どうしても見方が偏ってきてしまいます。

また学生のころの学び方をそのまま踏襲して「言われたことや提示された問題を解く」こと以外は中々やれない状況にも陥りかねないのもあげられます。

じゃあ社会人で何が求められているのかなというと、こういうことです。

「自分で課題、問題を見つける力」

ではないかと。
いや、これは社会人というより今の世の中全体を見渡したときに必要なのだと思います。

まあ、ここでは社会人を想定として。

ここに1つの課題がありました。

でも、それがある社会人にはできません。
それで相談してみましたが、その人からは何も良いことが聞けませんでした。

じゃあどうするか。自分で見つけてくるしかありません。
ここで学びが発生します。

勿論、そのことの課題解決方法を知ることで得るものもありますが、こういう視点もあげられます。

「もし、自分が同じことを他の人に相談されたらどう答えたら伝わるのだろう」

そうです。ここに新しい見方が生まれます。

そして実際に説明しようとしたら、今度は説明がうまくできるようになるにはという視点も生まれます。

そしたらうまく言えるようになり、新たな能力が引き出されて成長につながります。

このように続けていくと、また新たな出会いが出てきて自分の知らないことがでてきます。

となると、こういう結論になります。

「学びは一生続くこと。学びがあるから疑問が生まれ、新しい発見はいくらでも見つかる」

ただ受け身になるだけでなく、自分で問いが見つけられるようになれることを。

学校教育としても、前提としてもしかしたら多量のインプットはこうした前提条件を得るためにあったのかもしれませんね。

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