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ことばの標本(13)_10001回目は何か変わるかもしれない

「10001回目は何か変わるかもしれない」

DREAMS COME TRUE「何度でも」


最近、ドリカムのことを思い出すのですが、たしか、男子二人、女子一人のくみあわせをドリカム現象と呼んだのは90年代でしたか。

もう珍しくもなんともなくなりましたが、当時は「かっこいい」の代表みたいな組み合わせでしたよね。

ちょっと中性的な女子をめぐって男子二人が取り合う、みたいな? ちがうか。笑


とにかく、カラオケに行くと必ずドリカムを歌っていた気がします。「うれしい!たのしい!大好き!」とか好きで、

「目深にしてた帽子のツバをぐっとあげたい気分」

のとこ来ると、自然とアゴがあがる、みたいな。わかります?

この歌のみならず、ドリカムの楽曲には気持ちを上向きにしてくれる力がありましたよね。「サンキュ」とか「決戦は金曜日」とか青春です。


私はドリカムがすんごくすきだったわけじゃないけど、ドリカムが歌う気分や言葉は好きだった。90年代の若者の気分を表現してくれたアーティストです。

でも、今ドリカムの歌を聴いて、あがる〜って思うひとは少ないのかもしれない、と思ったんですよ。ついこの間。

今はそういう時代の気分じゃないのかもな、と。


先日のことです。

iTunesで「何度でも」(ドラマ主題歌)をみつけてダウンロードしておいたら、それを娘が聞いて(2008年生まれの12歳)、真顔でこう言ったんですね。


「このひと、10000回も失敗してるのにまだやるっておかしくない? やめて違うことしたらいいのに」


最高にウケました。

この歌の真髄はそういうことじゃないけど、でも言われてみればそのとおりかも?と思いました。

なにより、彼女に、この歌に対する共感がなにも起こっていなかったのが新鮮でした。笑


娘の価値観、読解力の低さはさておき、

そんなにしがみつかなくてもええやん

ていう軽さは、たしかに今、大事な気がします。

諦めないことも強いけれど、方向転換にも同じくらい強さがある。なんでも「諦めるな!」で片付けられた時代とは、何かが違う。

もちろん、ドリカムは単に「あきらめるな!」みたいなスポコンメッセージをのせたわけじゃないと思いますが、

この歌が今リリースされたとて、爆発的なヒットにつながったかどうかはわからない、とも思いました。


ドリカムの歌は、日常のうえにありました。辛いこと苦しいこと、現実社会のなかで、誰にでも起こりうる、等身大の出来事がベースだった気がします。

特別でもなんでもない、日常にある感情の浮き沈みを、歌というストーリーにして手渡してくれた。だから、みんな共感した。

でも、それはあくまで、現実社会のうえで成り立っていたんだなと。

今は、現実社会での七転八倒ストーリーを、そんなに多くの若者が求めていないのでは、という気もします。

もしかしたら、もっと、命とははなにか、人を好きになるとは、生きるとは・・・、

精神性を表現に落とし込む、そんなアートに触れたい、知りたい、聞きたいと思っているのでは。

個人的な感覚、解釈です。


いやはや、歌詞ひとつに、時代の空気感ががっつりのりますね。

昭和歌謡が流行っているともいいますが、今掘り下げておもしろいと思うのは、今こそ失われた10年ともいわれた90年代の楽曲だと、個人的には思ってます。


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