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創作によって、自分の殻を打ち破る

先日、高校生DJそら君のラジオ番組に出演したところ、高校生リスナーから質問が届いた、と連絡をもらいました。

「友人からなんですが、答えられる範囲でいいんで!」とのこと。迷える若人の力にはいつだってなりたい私に断る理由などなく、「もちろん!」と答えると、小説の書き方に関するガチの質問が十何個も届き、震えあがりました。

すみません、答えられるものがほとんどない・・・(笑)。

というわけで、三浦しをんさんのこちらの本を推薦して、お礼状といたしました。小説を書いたりできる高校生、本当に尊敬します。私なんかよりずっと真摯に、創作に向き合っておられるような印象でした。


創作についての私の勉強は、まだまだ始まったばかりです。

なぜ、創作に引かれているのか。よく考えると不思議なことで、私は小説や物語に育ててもらった記憶がなく、好きになるチャンスなどほとんどなかったような人生です。

しかし、私が創作に感じている魅力というのは、小説家という職業にあるのではありません。むしろ、「物語る」ことによる、内面的な変化、成長、脱皮、そのような作用を、創作に強く引かれているのだと思います。

先日から、三浦しをんさんの小説の書き方本『マナーはいらない』の中で触れられていた、こちらの本をゆっくり読み始めました。

まだ2章が終わったところなのですが、そういった自分の関心事がまさに言語化された本で、興奮でブルブルしながら自分を落ち着かせています。

帯の文章。

この本は、日本中にいるにもかかわらず、これまで取り上げられる機会がほとんどなかった『窓辺』系作家たちを(つまり、あなた)を支援するための脚本指南書です。ぼく自身の「気づき」や「実感」を通じて、あなたが「心のブレーキ」をはずし、「自分自身の殻」を破って、ノビノビとしたあなたらしい脚本が書けるよう援助できればと思っています(本文「はじめに」より)

創作とは、「自分の殻を破ること」だと三宅さんは語ります。書けないとか、才能がないとかではなくて、「自分の殻」を破れないから面白いものが書けない。あるいは、「自分の殻がどこにあるのか」気づいていないからそれ以上面白くならない。

そんでもって、私が作文教室をひっそりと始めたのも(今ひっそりと休んでますが)、同じような作用を感じているからなのだった、と気づきました。

文章をうまく書くために、文章を書く作業があるんではないと思うのですよね。うまく、とか、上手に、とかいうのは、正直いうと、非常にどうでもいい話です。

書くことは、私にとっては神事。

自分を客観視しながら、自分にこびりついている「ありのまま表現してはいけない」の壁を打ち破る、非常に内面的な作用の大きい、神々しい出来事のような気がするのです。

三宅さんは、繊細で感受性も豊か、本質を見抜く力を持っていて、脚本がつまらなくなりがちな窓辺系の脚本家たちに向き合い、

・何が心のブレーキになっているのか
・思考パターンがどこにあるか

を掘り下げ、作家本人の成長(=自分の殻を破る)を促していきます。

つまり成長とは、作品の中だけで起こるものではないということです。書き手そのものの非常に現実的でリアルな変化が前提になってこそ、作品の中での成長も起こりうるものであると。

むしろ本当は自己評価が高く、世界や他者に対して怒りや苛立ちの思いを抱えている。でも、そんな自分から目をそらし、見て見ぬふりをしたまま書いている。つまり、「捨てるべき世界観」を以て脚本と向き合っているひとが非常に多いのです。(P63)
「主人公の変化や成長につながる構造」というのは、そのまま「現実の人間が辿る変化や成長の構造とリンクするようにできているのです。(P79)

今までと違う面白い脚本を書くということは、今までの自分から脱却することでもある。それは、なかなかに痛みの伴う孤独な作業だとも思いますが、だからこそ面白くなるし、自分が新しいステージいく瞬間でもあるわけですね。

今日は、「思考パターン」のところを拝読し、自分でもいくつか、思い当たる「殻」を認識してみようと試みました。面白い作業だったので、また明日続きを綴ります。


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