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「類書」を読んでいて気づく、時代を読む編集者の力

今年は、ブックライティング が私の中で熱い。暑苦しいくらい熱い。

特に営業も何もしてなかったのだけれど、年明けから相談が重なり、そのうちのいくつかが実際に走り始めた。

かといって、私自身、かつて勤めた出版社ではボロ新人すぎて何も身についていないから、ほぼ独学。

本の章立てを写したり、映画のようにイメージしたりしながら、編まれた全体のメッセージを読み取ることで、自主練した。

あとは、絵本と。


ブックライティング の面白さは、役者の世界ときっと同じようなもので、知らなかったその世界の住人になり伝えることができる、ということだろう。

雑誌の仕事で、大女優の取材に同席させてもらった時、彼女も同じようなことをいっていた。「(シェークスピアのような)1000年前の言葉を、自分という生身の体を使って伝えられる喜びがある」と。

私にとっては、ブックライティング は、それと同じような快感がある。


この仕事に出会わなければ、深く考えることもなかったテーマや課題。社会的な問題であれ、個人に起こった出来事であれ、その本質に近づこうとするプロセス。触れられもしない、見えもしない世界で、私も当事者の一人となって考え、行動し、文字に起こす。

聞いたことをそのまま書いて本にするわけにもいかないブックライティングには、

調べる

裏どりする

などは不可欠で、だからこそ

まだテーマがよくわからずあれこれと遠回りしているときも、資料を読み「あの時のあの言葉の背景にあったのはこれか!」とわかる瞬間も、どれも愛おしいのである。


普段は手に足らない参考になりそうな、同ジャンル、同テーマの書籍を読める恩恵もある。

類書、と呼ばれるこれらを読んでいると、一定の型というか、ルールみたいなものは見えてきて、これはいつか言語化したいのだけれど、

最近気付かされるのはやはり、タイミングや時流をうまくつかんでベストセラーになっているものほど、圧倒的な編集視点がある、というのを感じる。

タイトルの付け方だったり、章立ての仕方だったり。

それは言い換えると、この時代のこの時期でないと売れなかった可能性を示唆するものでもあり、

読んでいて、

え、この内容でここまで売れるなんて・・・

という、タイトルのわかりやすさ、惹きつける力の強さ、章立てのキャッチーさなどが際立って感じられるのだ。

内容はそこまででもないのになあ、、という残念なものも含めて、編集者の偉大さに圧倒される。


長く読み継がれる作品にするためには、売るためには、きっと、もっと言葉を精密に選ぶ必要があるのだろう。

単に、伝わる・伝えるためだけではない、ちょっと違うステージにある言葉を。


本人の想いに反して、市場に流されすぎていないか、という自己点検を怠ることなく、切り込まなくてはいけない。

編集とは、基本的に一番いいたいことをズバッと切り取る作業。

その一番言いたいことと、世の中が欲しているメッセージががっちり四つを組んだときに、

バズるでもなく、炎上でもなく、売れる、と言うことが起こるのかなあと、試行錯誤中です。



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