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どこからともなく、舞い降り消える雪のように【日本・函館→十和田】

さくり、さくりと美しい雪を踏む音がした。毎日毎晩、この街には白い冬が、舞い落ちてきているのだろうと想像した。けれどこのさらり私の靴を触れる雪は、先程降り始めたばかりだと、函館のひとは言う。

遠くとおく、あなたの街へ行けたらと、ずっとずっと思っていた。どこかを探し求めて、けれど決めずに、もう2017年も12月。ゆるりくらり、ふらり、何処へ。目的地を決めねばいつだって旅の途中になってしまう。終着、地に足。

「知美、日本にいたの」とよく言われる。それはそうだろう、「世界一周の旅へ行ってくる」と言ったきり、私は1年半以上もの間、「帰ってきた」とも「また行ってくる」とも言っていない。

ただ、家がなくても生きられてしまっただけ。ひとと、パソコンと、電源と、気持ちのよい空と海だけで、1年半を過ごしてきた。

会いたいな、と私は思う。触れられたらいいのに、とも思っていた。物理的な距離の移動はとてもとても簡単で、ただお金と時間と決意とタイミングさえ、合えばいい。なんかそれは、もうきっと「人生」に近く。

いつだって気まぐれにあなたは「ねぇ」と言う。ただただ素直に、うれしい、と言えたらよかったな。

***

この冬を越えたらまた春がきてしまうことは分かっていて、それは今日の月がとてもきれいなこと以上に、明白だった。そうすると私はあれから2年が経つわけで、「いまが過去」で、「過去は過去の奥の方」へ、追いやられて額縁に入るのみ――。

その前に、やるべきことがあるだろうと思っていた。否、これを逃せばもう一生「そのとき」はこないだろうと思っていた。あともう一度だけ、人生で大きく仕掛けられるときが来ると感じていた。であればそれを掴まぬ手はない。なにを追って、何を離すか、まだ決められないのと悲しくなる。

それでもまだどうして、「いっそ逃げてしまえたら」が頭から消えないのはなぜだろう。私は誰と、何のために戦っているのだろう。もう一度「忘れてしまいたい」とでも言うように、海を越えて何もかも投げ捨てて、世界の美しさに身を浸してしまえたら。

けれどそれは、生涯を通して追い求めるものと決めたのだ。持続可能性。タイムリミット。忘れてはいけないことや、手に入れる前にしっかり捕まえておかねばならぬ者、モノ、コト、キモチ、そして早急に手とカラダを動かすこと。それらが「美しさ」や「刹那」よりも手前にくることは、人生を進める段階において、きっと何度かあるのだろう。

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