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【妊娠日記】さて、私たちはどう生きようか?|予定日まであと20days

里帰りした直後の一週間は、体調を整えることと、環境に慣れること、転院後最初の検診を無事に終えること(検査項目が多くて3時間くらいかかった……!)、両親と久しぶりに話すこと。

あとは何も、本当になあんにも用意していなかった新生児用品を、リストアップしていたものを参考に、とにかく片っ端から決断して買いに行ったり、ポチったりすることに時間を費やした。

二週間目は、それを引き続きやりつつも、おもに新潟にいる間に会いたい人、挨拶しておきたい人たちに会う期間。遠方から訪ねてくれる友人と一緒に、昨年オープンしたスノーピークのスパに「最後の温泉」と称して出かけたり、弥彦神社にひっそりと安産のお参りに出かけたり、栃尾の油揚げやお豆腐を食べたり、長岡のおいしいクロワッサンを探したり。

新潟にしかないファミリーレストランの里味の食事を懐かしんだり、親戚の猫を撫でたりとか。あまりにも体の調子が悪すぎて、あとは思いのほか体力を使いすぎたりして、初めてマタニティ整体なるものに行ってみたのもこの週だった。頭が割れるように痛くて、座っても坐骨や恥骨が痛み、横になれば骨盤や顔の骨が痛かった。トイレに行く頻度が高いのはもう慣れてとくに何も思わず、けれど日に日に重くなっていくお腹に恐れ慄いて、散歩ができたのはこの二週間でただ一回だけだったと記憶している。

三週間目は、この週から一週に一度になる妊婦健診のはじまりだった。東京都の補助券なしでの妊婦健診が、一回あたり30分ほどだったにも関わらず、費用が8250円だったことには目を剥いた。これから毎週?とさすがに不安で(ちなみに一週目の検診は16000円ほどだった)、帰宅早々母子手帳をひっくり返して、里帰り先での妊婦健診の費用が、1回あたり5000円ほど補助が出ることにホッと胸を撫で下ろす。

妊娠前最後の原稿の締め切りがあったのも三週目。久しぶりにカフェに行こう、と身なりを整え、長岡に仕事に出かける母の車に乗って、スタバとサンマルクが一緒に入っている大きなショッピングモールでハシゴする。以前ならもう少し早く書けただろうに、集中力がないのか、原稿筋が弱まったのかで、足掛け4日ほどかけてしまった。

終えた翌日は、ジブリの最新作「君たちはどう生きるか」の公開日。前夜から「公開初日、前情報なしの、ジブリの映画。もしかしたら最後になるかもしれないそれ」という気持ちが拭えずに、朝起きて13:00開場のチケットを予約した。

この映画は、前情報なしに観ることで価値が増幅する、という側面が、やはりあったと思うから、ここでは映画の具体の感想は書かないけれど、私はとにかく「君たちはどう生きますか」と問われた気がした。

「私は、どう生きるか」。信濃川と、その向こうの稜線を眺めながら、数秒だけぼけっとする。私は、どう、生きようか。お腹に手を当てて、彼のことも含めて考える。

その夜から、いや、もう数週間前から、否、もう数年以上前から、私は「新しいカメラが必要だ」と思っていた。夜な夜な、狙っている本命カメラの作例やレビューコンテンツを端から見る日々。

そして四週間目に入った初日の土曜日、私は父にも盛大に相談に乗ってもらって、「そういう大きな買い物は、勢いがないと買えないんだから買いなさい」の最後の一言を聞いて、人生で一番大きな(世界一周はそりゃあ数百万円単位のお金を使ったけれど、一度の決済では初めてだったの。家も買ったことがないし、沖縄時代は車もいただきものに乗らせてもらっていたから)買い物を実行した。

そういえば、二週目、三週目を通して、いつ本腰が入れられるかはわからないけど、新しい仕事というか、ずっとやりたかった創作活動の下準備や試作の買い出しや練習、撮影も始めていた。

カメラも必要だと思っていたから、というかもっと正確にいうと、「撮ることが楽しい私」「日常に自然と撮ることがある私」、そして「日々を慈しむ気持ち」を整えるために、愛することができるカメラが欲しいと思っていたから。

里帰りの四週間目にして、いろいろなことが揃った気がした。カメラについてはまたきちんと綴る場を持ちたいけれど、「世界一周に出発した私と、する前の私」「沖縄移住をした私と、していない私」「妊娠がわかった私と、わからない私」のように、人生を鮮やかに塗り替えてきた「境目の日」の一つに、確実に登場した素晴らしすぎる日が今日だった。

「このカメラを持っている私と、そうでない私」には、明確な差がありそうだった。何が起こったとしても、「でも私このカメラ持ってるしな」と思えるだろうなと直感した。そういう風に思えるモノを、所有できる36歳の人生を歩んでこられて、歩ませてもらってこられて、ありがたいな、と素直に思った。ありがとう、をまずは両親と夫と尊敬する友人たちへ。

そして里帰りをして、四週目に入って、二日目の夜を過ごしているのが、このnoteを書いている今だった。四週目に入ると同時に、妊娠は「正期産」という名の「もういつ産まれてもいい日々」に入ったし、お子も2700gを超えたので、余裕で2500gの「未熟児」ボーダーを超えていた。ので、本当に今から産気付いてもいいのだよ。ええ、いいのですよ、お子よ。まだお腹の中にいたいかい?の状態を過ごし始めた。

子が2500gのボーダーを超え、正期産に入った、という自覚を得た時。私は明確な意識の変化を感じていた。それは、これまで「私が、私自身の体が育てている新しい命、胎児、小さきもの」だという意識が、明らかに「ひとりの人間をこの腹に抱いている」という、ある種彼に対しての「安心」を抱けた、という点だった。おそらくこれは、安心、といっていいのだろうと思っている。

このお腹で、私の意志とはまったく関係なく、動いたり、蹴ったり、排尿の練習をしたり(してるんだってさ〜!)、しゃっくりしたり、右向きで眠ると「いやだ〜!」なのか「楽し〜!」なのかは定かではないが、暴れる命は。もう私の体が育てているといっても、やはり完全に私ではない。そのことはもちろん最初からわかっていたし、では妊娠の途中で人格を重ねたりしていたのか、と聞かれると全然そんなことはなく別個として考えていたけれど。

なんと表現するのがいいのかな。「君は、ひとりのあたらしい人間だ」ということを、100%で思うようになれたというか。人、だ。君は、私のお腹の中にまだいるけれど、人間として完成された。よくここまできたね。育ってくれたね。まだ無事に産まれてはいないけれど、ここまで一緒に生きてこられたことに、おめでとうを早まって贈りたくなる。

だから、といっていいのかわからないけど、里帰りして四週間目のこれからの数日は、私がこれからも私であるために、そのことを楽しみきるための準備をするよ。創作や発信に復帰したい。やっと素直にそう思える。生きていることを謳歌するための下準備。誰かの前でも、胸を張って笑って生き続けるための。

そして次の週末は、君のパパが新潟に遊びにきてくれるんだって。久しぶりにパパの声が聞こえるね。ウタとオトは家でお留守番をしているけれど、産まれたら一緒におうちに帰ろうね。

さて、今夜産まれてもいいし、もしかしたらまだ1ヶ月ほど先かもしれない。会える日は、いつでしょう。あと一週間くらい、母は自由な時間がもらえると嬉しいけれど、それについてはどう考えていますか?

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子どもが産まれるまでの特別な日々を忘れないために

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。