夏はまだ終わらせない。もう一度、旅へ【タイ・バンコク】
ぐずぐずと考えていたことが、一瞬で吹き飛んでしまうくらいの力を持っているようだった。久しぶりに浴びる海外の風、青い空、響きだけで意味は入ってこない言葉の音、気のせいかしら、飲茶の香り。
歩けば歩くほど思い出す。360度どこへ行ってもいい、行かなくてもいい。あの自由、幸せ、高揚、寂しさ、切なさ、出会い、進みたい、と願う気持ち。
※バンコクの前、私は少しだけ香港にいた。
そう私は旅が本当に好きだった。ぐじぐじと考えていても人生は進まないのだ。「賢い選択はこっち」だなんて、そんなことができるほど器用であれば、私はあの頃のまま浜松町で働いて、主婦になっていた。
台風が近づいているという予報があった。ミサイルが打たれるかもしれない(そしてそれは実際に放たれたという)というニュースが流れた。そうか、と思った。もしかしたら死ぬかもしれないのだ。そういう気持ちも怖さも、思い出す。
雨が降る知らない街。初めて歩く道、初めて出会う食べ物。ミャンマーのヤンゴンを思い出していた。「私たちは簡単に死んでしまう」それを最大限に前向きに捉えて生きている、自分のこと。
■思い描いてるだけじゃ、いつかなんて一生こない | 伊佐知美
この先に何が待っているのかは誰も知らない。
けれどまだ私は旅を続けていたかった。ただ短期で出るだけではない。やはり「どうやったらこれから先の人生も旅をし続けられるか」現実との折り合いとお金の話。どこに住むのか、誰とするのか
こんなにも高いビルを立ち並ばせることがもしなかったならば、香港の街はもっと人が少なかったのかもしれない、と見上げながら想う。
海と山に囲まれた、100万ドル?の夜景の街。世界を愛する人たちがふらり最初に足を向けてしまう、ある種の聖地でもある。世界一周航空券の始まりの場所は、まだ密かにこのシティだったりするのだろうか。私には分からなかった。
海を越えて国を越えて、山を越えたら文化が変わる。その境目は非常に曖昧で、すべてはグラデーションで出来上がっているのだ、と気付いたのはいつの頃だっただろう。
こんなにも香港が落ち着いてしまうのは、小学生の頃の記憶がそうさせてしまうのかもしれないな、と思っていた。
果物や野菜だけでない、生肉や生きたままの鶏やカエル、ヘビが並ぶ上海の市場。誰も信号を守らずに、道なき道をワンレーンずつ進んでいく。タクシーを降りた瞬間わっと集まる片手のない子どもたち、水色の壁のどうしてだかやたら派手な小学校に、貴重な日本語の本。「転校するのよ」という言葉をまだ理解しきれていなかった、8歳の頃の私。
あれから私は大人になって。けれど忘れられない鮮やかさがある。認めざるをえない。
「パリがやっぱりいちばん落ち着くわ」とか、言ってみたい人生だった。非常に残念だ。
スワンナプーム空港で待っている、と母に連絡を入れる。いつかふたりを連れて異国を歩きたいと思っていた。「ねぇ、行こう?」に二つ返事の身軽な両親。「先に行ってる」と私は仕事を兼ねて、バンコクにいっときの拠点を移していた。
さぁもう一度始めるのだ。立ち止まってばかりいるのは性に合わない。少なくとも一度日本の空港を出たならば。美しいか醜いか、好きか嫌いか。そのへんどう考えているの、とあの人は言っていた。
そうだな、好きで美しい道を選びたい。夏はまだ終わらない、終わらせない。終わりかけているのなら、まだ真っ盛りの場所へ行くまでだから。
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