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『今』という思い出は、いつかの私を救うかもしれない

誰にも覚えがありそうな話だけれど、『乗るだけで落ち着く路線』というのが私にはある。一番は、赤い電車。京浜急行、三崎口行き。または新逗子行き。

横浜に近付くだけで、心がほっとほどけてゆく。いつも理由を考えていた。到着するだけで、なんだか気持ちがふわりと軽くなって、『やっぱりもう少し遠くまで行けそう』『私、今日もがんばれそう』と応援してくれるような響きたち。

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思い当たる理由は、たったひとつだった。

私は、心の底から楽しい大学生活を、そこ横浜で送っていた。たった4年。されど4年。もう人生で2度と戻ってこない、狂おしいほど笑って、馬鹿みたいにお酒を飲んで、初めてのバイトに翻弄されつつ、体力の限り起きて、眠って、そして踊った愉しい日々。

眠い目をこすりながら向かった学校までの道のりや、あと2分しかない!と自転車で飛ばした金沢文庫の大きな通り。終電を越すまで遊んだ元町に、疲れると知っていても何度も登ってしまった港の見える丘公園。

そんな、本当にもう2度と戻ってこない、みんなと一緒にいたから、あの恋をしていたからこそ過ごせた、なんてことない4年間。網ですくおうとしても、こぼれ落ちてしまう方が多分多い。でも、取るに足らない小さなその積み重ねが、私に『何者でもなき時代』の悦びを、たしかに教えてくれたと思っていてね。

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過ぎてしまったからかもしれない。きっと、辛くて泣きたくてほんとに泣き明かしてしまった夜もあったのだけれど。でもやっぱりそれでも。愛しい。忘れたくない。一生失くしたくない、思い出たち。

あれは、私を今でも私たらしめて、救ってくれる記憶のひとつなのだと心の底から信じている。

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そういうことを、何もきちんと意識せずとも、『横浜』というワードは私に鮮明に沸き起こす。

1秒1秒、横浜に近づくたびに、心と体が軽くなってゆく。故郷、という場所は、もしかしたらそんなふうに成り立っているのかもしれないと。

記憶からは、細かなことが、これかもきっと抜け落ちていってしまうだろうけど。それでも『カラダが覚えている』というような。『魂が、知っている』と言いたいような。

この街が、あの頃から変わらずそびえたつその丘の木が、電車の窓から見える懐かしい看板が、もうあなたはいないその公園が。今もそこに『在る』ということが、私の意思ひとつで『近付ける』『もう一度晴れられる』ということが。

そういう場所が、まだこの人生に残されてくれていること。ありがたいな、と誰かにお礼を言いたい気持ちで、電車を降りる。赤い電車。思い出は、私たちをずっと形作って。そういう出来事を増やすために、もしかしたら私たちは日々世界を、一生懸命歩いているのかもしれないと。

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