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いつかまた、遠くへ旅をして「戻ってくるため」の、家との日々

街を歩けば、ジャスミンの花のかぐわしい香りが風に乗って、ふわりすぐそこまでしあわせを運んでいた。

ひかり日々輝き、「これが新緑か」と心ときめかせてから、もう数週間が経っている。5月もはじまってもう5日目だなんて、ご冗談を。


梅が咲いて、桜が散って、チューリップやラナンキュラス、木蓮につづきモッコウバラも咲き誇り、そのあとにジャスミンが足元で「ここにいるよ」と強く咲く。正直、数ヶ月ほど前までの私だったら、さいしょの3つ。梅と桜とチューリップくらいしかソラで名前を唱えられなかったと思う。

覚えられるようになったのは、「一緒に時を過ごしている」と、季節と時間、さらには色合いを教えてくれる花々や植物と、意識的に並走して生きるように、生きられるようになったから。


「ていねいに暮らす」なんてできない。目指していない。けれど、せめて「きちんと暮らしたくて」。

手探りで、久しぶりに(じつに7年ぶりくらいに)自分名義で借りる、自分のための部屋を見つけて、「ここが私の空間よ」の宣言をひっそりとした。

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まだ、親しい友だちくらいにしか、きちんと「日本で暮らし始めた」と報告できていない。正確に言うと、親しい友だちにすら、ちゃんと伝えることをさぼってしまったのではないかと思う。

大々的に(?)伝えることを理由は、「すぐに反故にしてしまうのではないか」と、自分で自分のことをすこしだけ疑ってしまっていたから、だ。

けれど、そんな心配をよそにして、今のところこの8ヶ月間。私は、今までの人生にないくらい、満ち足りた時を過ごしてきた。と思えるほどには、穏やかな毎日を重ねられてきたのではないかと思う。

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花の名前を知って、みどりの名前を学び、庭(ではなくベランダである、ただし数畳はあるのでうれしい)には数々の野菜やハーブの種が蒔かれ、そして無事に芽を出し。

大切な人たちの作った野菜や採った牡蠣、ワカメだとか、好きなひとが薦める醤油だったり、ジュースだったり、ハーブティーだったり。そうそう、料理もとても好きになった。担々麺も麻婆豆腐もアヒージョも土鍋のごはんも、エビの殻をむいて作る、お寿司屋さんみたいな味噌汁も。ときおりは育てたフレッシュハーブをそのままお茶にして飲んだり、緑茶の茶香炉を焚いたり。

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日々仕事は細々とだが「力になりたい」と願う人たちのそばにいさせてもらえるような気がしていて、いくつかの言語を学び、ここ最近の「家にいましょう」という流れの中においては、移動時間をギターの練習やずっと読みたかった過去の名作、名著に親しむ時間に充てられていて、いまはイスラムの歴史や文化について学び直している。

here最後の最後に

あぁ、でも。そう。いくら旅をしても、私の頭の中にある情報だけでは、整理・理解しきれなかった惹かれてやまないあの土地に、もう一度訪れる日を私はまったくあきらめられていない。

だから、語学を学ぶし本を読むし、写真を眺めるしテキストを送り合う(のかなぁ)。ただ、どこかでつながっていたいだけ。それはもう、毎日を心底楽しめていることとはまったく別の軸で。

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私は、私たちは旅を求める。求めている。

ただ、けれど。次がいつか、というのは、もう誰にもわからない。

遠く、遠くへと考えていた過去を脱ぎ去って、新しい時代がやってきた。いえばといえば聞こえはいいけれど、正直なところ、相も変わらず3日に1度は、「私を遠くへ連れて行って」と願ってやまない。

本音、を言えば、ね?

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けれど、今ではない。そう思っているうちに、本心がもったりとその輪郭を現し始めたことにも一方で私は気づく。まるで、そう、火に当てるとやがて浮かび当たってくる秘密の文字たちみたいに。

小さな救い。

「もう、旅をするために生きる時間は、とうに過ぎ去ったと認めなさい」
「君はいま、きちんと家に帰ってくるための、旅をしたいと願っているのだから」

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「暮らしありきの、旅」、とは。きっと、その答えやその楽しさ、よろこびみたいなもの。数ヶ月を経たあとに、「あぁ、そういうことだったのか」とわかるから。今は日々を紡ぐとき。

「人生に何を求めるか」ではなく、「人生が私たちに何を求めているのかが大切なのだ」、とヴィクトール・フランクルも『夜と霧』の中で言ってた。

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