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悲しみとの向き合い方は人それぞれ


悲しみの感じ方って人それぞれなんだなぁと思った。


先週の金曜に、飼っていた犬が亡くなった。

今でも実感がなくて、悲しいというより「なんだかよくわからない」という気持ちの方が強い。


13歳で犬としては結構ないい年だったけど、彼女はいつも元気に走り回っていたし、おもちゃも大好きでごはんもよく食べていた。


わたしとキアラ

彼女はウェットフードやキュウリ、お米が好きで、それをあげる時はすごい速さで回転して、そのまま自分のベッドにダイブしたりしていた。

まだまだ子犬のような愛らしさで、年齢を知らない人が見たら3〜4歳の犬に見えてたと思う。


木曜日まで元気だったのに、金曜日の未明頃から苦しそうに呼吸をしていて、早朝に病院に連れて行った。

そのまま入院することになって、明日の朝一番で迎えにくるってことでそのまま彼女を預けた。

病院が嫌いな子だから一晩預けるのもかわいそうだけど、でも彼女のためなら仕方ないよね、と夫と少し話し合って入院することに決めた。明日の早朝にすぐに迎えにこようねと夫と話したのを覚えている。

最後に彼女を見たのは、酸素を送り込む水槽のようなケージにいれられた姿だ。
その病院は親切で、どのような環境で彼女が過ごすことになるのかを見せてくれた。でも部屋には入室できず、遠目から彼女のふわふわしたお尻を見ただけだった。

そして、それが私が生きている彼女の姿を見る最後になってしまった。


突然の心臓発作だったらしい。
彼女は先天的に心臓が大きくて、心臓発作のリスクがあることは数ヶ月前に行った病院で伝えられていた。でもリスクがあるだけでそれが起こるなんて夢にも思ってなかったし、10日前にも検診に連れて行って「大丈夫」と言われたばかりだった。病院に預けた数時間後、私が家で「早くキアラ帰ってこないかなぁ」なんて考えていた間に、彼女は息を引き取ってしまったらしい。


最初に彼女が亡くなったことを聞いた時、喉が痛くなった。

涙は出ていたけれど、泣き崩れるとか泣き喚くとか、そんなことはなかった。

なんだか喉が痛くて、呼吸が苦しいなぁと思った。

人間ってショックなことがあると喉が痛くなるんだなぁなんて呑気なことを考えて、ぼーっとするまま病院に行って、案内されるがままに入った部屋に彼女が横たわっているのを見て、そこで初めて私は泣き崩れた。

少し冷たくなっていたけれど、彼女はふわふわしていたから、そんなに冷たさを感じず、「ふわふわだなぁ、いつものキアラだぁ」なんて思って、でも動かないからやっぱり死んでるんだなぁなんてよくわからない感情になった。


キアラのいない家に帰ってから、彼女がいた時間がすごく昔のことのように感じて、それが今でも続いている。

つい数日まで一緒にすごしていたのに、そうした時間が何ヶ月も前のことのように感じる。

ここに彼女がいた日々が夢のようで、不思議な気持ちだ。


すごく悲しいのに、そこまで大きな悲しみを感じていない自分がいる。

でもそれは悲しさがないということではなくて、自分が無意識に悲しみを遠ざけているっていうことがなんとなくわかる。

きっとこれって人間って防衛本能なんだろうなぁなんて思う。

夫はずっと咽び泣いているけれど、私は泣き喚くことなく、たまに思い出したようにしくしく泣きながら、でもご飯を食べたり最近ハマっているハライチのターンっていうラジオをYouTubeで聴いたりしてる。


私ってこんな風に悲しみに向き合うんだなぁなんて人事のように思う。

どうしようもない悲しみが襲ってくる時はなんとなくわかる。

「あ、これやばいかも」というのがなんとなくあって、それに気づいてしまうととんでもなく辛い気持ちになる予感がするから、何か飲んだり食べたりYouTubeをみたり違うことをする。

どうやら私は悲しみと向き合うのを避けているらしい。

そういえば、こんなに悲しいのは今までの人生で初めてかもしれない。

私は今までさして辛い思いも悲しい思いもせず、のうのうと生きてきた。

自分の思い出す限りで辛かった経験といえば、中学生の時に大好きだった彼氏に振られた時と、母親が乳がんだと分かった時くらいだ。

初めての失恋は辛かったし、母親の乳がんが悪性で手術が必要と聞いた時は悲しかった。でも中学生の失恋の傷は勝手に癒えるし、母親の手術は成功して今でも元気に生きている。

そんな私の平和な人生の中で、彼女との別れはぶっちぎりで一番辛い。

でも、私はまだその辛さに向き合えない。
キアラのいない生活に目を向けられない。

気持ちに蓋をして、悲しみを見てみぬふりして、金曜日から今日まで4日間ぼーっとしながら生きている。

たまにふいに泣いてしまうけど、そういう時は彼女の写真を見て「かわいい・・・」と思うと元気がでてくるし、彼女が白目むいて寝てる写真なんか見るとクスッと笑ってしまう。

よく白目をむいて寝てた

私の夫にも写真を見せようとしたけど、彼には「今はまだ見れない」と言われてしまった。

私は彼女の愛らしい姿を写真でも見ることができると元気がでるけど、彼は反対らしい。悲しみとの向き合い方は人それぞれのようだ。

彼女が亡くなった日の夜と次の日、彼は泣きながらなんだかずっと喋ってた。私はわたしで何か喋ると泣きそうになるのでずっと黙って、全然関係ないことなら喋れる、という状況だった。

客観的に見るとひどく冷酷な女のような気がする。悲しみにくれている夫の話を聞かず、心配もせず、ただ黙ってベッドに横になっている。スマホをいじったり、ぼーっとしたり。


悲しみは時間が解決してくれる。
今私はこの悲しみを見てみぬふりしているけれど、見てみぬふりをしている間にどこかにいってしまうかもしれない。

悲しみにしっかり向き合うべきな気もするけど、でも私にはそんな勇気ない。彼女のいない現実を見ることはできない。気づかぬうちにどこかにいってくれるなら、どうぞどっかにいってもらいたい。



「当たり前の日常が一番幸せ」なんて、もう何億回と言われていることだけど、何億回も繰り返し言われるのは、やっぱりみんな同じことを思うからなんだなと思う。

私は今、とにかく木曜日までの「私の当たり前の日常」に戻りたくて仕方ない。

キアラと夫とわたし。

もう一度彼女に会いたい。
もう一度彼女との毎日を取り戻したい。

でも死んでしまったものは帰ってこないし
もう一生戻ることがないのも分かっている

でもその事実に目を向けるとどうしようもなくなりそうだから、それに気づかないフリをして、彼女がいない家でただ毎日を過ごしている。



今の気持ちを整理したくて、書いてみました。
別れって辛いですよね。
うちの犬、本当に可愛かったんですよ。

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