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モスクワ留学記

今から20年以上前、20歳。大学3年生になる少し前の3月。ロシアはモスクワへ短期留学をした。

モスクワ大学で3週間勉強して、その後サンクトペテルブルクへ移動して1週間旅行。本当に刺激的で有意義な1ヶ月だった。

当時はインスタントカメラしかなかったから写真が30枚くらいしか撮れてない。表紙の画像は私が写ルンですで撮ったものの一枚。

20年以上前のことなので記憶が薄れているけど、覚えているところを記録しておこうと思う。

なぜモスクワへ留学したのか。それは大学でロシア語を専攻していたから。日本の大学でも週の4日間はロシア語漬けの日々。英語よりロシア語の単語が先に出てくるくらいにはなっていた頃。仲のいい友達2人も一緒だったからさほど不安ではなかった。

初めての海外がロシア。当時、大阪から直行便がなくて、夜行バスで東京へ行って、成田からアエロフロート(ロシア航空)でモスクワへ。成田で別の大学生2人と合流した。

あ、そうそう、留学はJICっていう旅行会社を通じて行きました。ロシアとかモンゴルとかマニアックエリアに特化している会社。https://www.jic-web.co.jp/study/stay/MGU.html 合流したのはこの会社経由で同じタイミングで留学することになっている人ふたり。早稲田と慶應の学生だったかな。みんな女子。

10時間ほどのフライトで、時差6時間(だったそうです。記憶が曖昧なので、調べながら記していきます。)何時頃出発したのかは覚えてないけど、モスクワに到着したのは夜。

シェレメーチエヴォ空港は薄暗く、軍服を着た男性が何人もいて、物々しい雰囲気。迎えのバスが来て、私達4人はそれに乗せられてモスクワ大学の寮へ向かった。運転手はロシア人。日本人の案内スタッフの人もいたんだっけかなぁ・・記憶曖昧。

薄暗い街の中に突如として現れる針葉樹林。圧倒的海外。もうほんと別世界。この時の感覚は今でも覚えている。本当に遠いところまで来たんだなぁという感じ。

3月の中旬だったので、一番寒い時期は終わってるはずだけど、1ヶ月の間ほとんど雪が降り積もっていた。

モスクワ大学の寮は15階建てぐらいの高くて古い建物で(この辺から記憶を辿って書くので数字は曖昧)1階には門番さんみたいな人がいて誰でも入れるわけではない。階ごとにも門番がいたような。

色んな国の人、色んな人種が住んでいた。長期留学で滞在していた日本人もいて、旅行会社を通じて紹介してもらった。滞在中ほんとに良くしていただいた。可能ならいま再会したい。当時はPHSしか持ってなかったから連絡先交換をする発想がなかった。特にお世話になったのは石村さんていう男性。石村さ〜〜ん。これ読んでいたら連絡ください笑

↓ こちらは大学寮から眺めた景色です。

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部屋は一人ずつあって、トイレとシャワーは3人で共用。言うなれば、3L(ルーム)トイレバス。寮内はセントラルヒーティングで半袖で過ごせるぐらいポカポカ。雪国ならではらしいですね。エアコンの暖房ではすぐ顔だけ火照るのが苦手な私は、「春みたいで快適だなぁ♪」と快適に過ごした記憶がある。

食事に関して。昼はモスクワ大学内にある学食で。当時、ロシアは物価が安く、日本円で200円もあれば学食でお腹いっぱい食べられた。味も美味しくて、いつもお腹いっぱい。カツレツとか、ビーツとか。パンは黒パン、それは少し酸っぱいパン。色んなものに白いソースがかかっていて、一見マヨネーズみたいだけど、マヨネーズを想像して食べると酸っぱくてびっくりする。授業でも習っていたスメタナと呼ばれるサワークリームのようなもの。実際はサワークリームとは製法も違って発酵食品らしい。

厳しい冬が長いからか、食事は酸っぱいもの(発酵食品)が多かった。黒パンしかり、スメタナしかり。あとはニシンの酢漬けとか、キャベツ(千切り)も酢漬けになっているものとか。大学から寮までの帰り道にある市場でその手のものを買って帰ったりしていた。

夜は市場で買った食材を寮にある共同キッチンで調理したり、日本から持って行ってたインスタントラーメンを食べたり。寮にも食堂があった。特筆すべきは、韓国人留学生が寮内で開いている韓国料理屋さん!めちゃくちゃ美味しかった!人生初韓国料理はモスクワ大学の寮で味わったかもしれないな。

街中には屋台がちらほら。ピロシキ屋さんや、アイスクリーム屋さん。ピロシキはよく食べた。日本のピロシキは挽き肉入りの揚げパンが主流だけど、モスクワのは揚げてなくて具材も肉以外にキャベツだったり、じゃがいもだったり色々。だから、「ピロシキひとつ」ではなくて、「キャベツ入りひとつ」みたいな感じで注文する。私が好きだったのはキャベツ入りとじゃがいも入りの。アイスクリームは冷凍庫に入れず、裸のまま陳列されている、という嘘みたいな本当の話。

屋台があるからか、欧米ならではなのか、街中での食べ歩きは日常茶飯事。バナナ一本食べながら歩いているロシア美人もよく見かけた。日本では少し浮いてしまう食べ歩き。私は大好きなので、その点に置いてモスクワは居心地が良かった。

貧乏学生だったので、特に何を買うでもなく、使うのは食費とお土産代ぐらい。あとは先輩留学生に連れて行ってもらったボリショイ劇場。「ボリショイ大臣」と呼ばれる人がいて、大臣がチケットを取ってくれた。それはそれは素敵な劇場だった。

他にも赤の広場やクレムリン、聖ヴァシーリー寺院、モスクワにある観光地は一通り行った。授業がない日は友達と観光。それでもお土産代含め3万円くらいしか使ってないと思う。

建物や町並み、すべて日本とは全く違うスケールの大きさ。何より、モスクワ大学の大きさは、別格!毎日毎日通っていたのに毎回感動する大きさ、広さ。当たり前だけど、見渡す限り、欧米人。アジア人らしき人はほとんど見かけなかった。

本館の正面玄関の入り口が回転扉になっていて、超高速で回ってるの。欧米人は涼しい顔してズンズン入っていくけど、私たちは慣れないもんだから、キャーキャー言いながらいっせーのーせで飛び込んでた。

↓こちらは通学路。奥に見えるのがモスクワ大学本館。

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速いと言えば、モスクワの地下鉄へ繋がっているエスカレーターがめっちゃくちゃ速い!!国によってこんなにも違うものなのかと。この速さに慣れてるから回転扉の速さも平気なんだわ、きっと。地下鉄のエスカレーターの速度が速いのは、地上から地下への距離が遠い=深い、からかもしれない。かなり深い。エスカレーター長い。

3週間の留学を終えて、モスクワ第二の都市、サンクトペテルブルクへ行くわけなんですが、夜行列車なんです。

↓こんな感じ。

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見ず知らずのヨーロッパ二人と同部屋。確かおじさん。今ならちょっと躊躇うかもしれないけど、当時は何も怖くなかった。人を疑うことを知らなかった。若さって最強。

ペテルブルクでは世界三大美術館にもなっているエルミタージュ美術館にも行った。これまためちゃくちゃ広い。教科書で見たような絵画が至るところにある。総収蔵数300万点。1点1分ずつ見て、1日8時間かけた場合、17年以上かかると言われている。そんな美術館を2時間くらいでぐるっと回った。

ペテルブルクでは日本語ペラペラのロシア人ガイドさんがいたので有名な観光地を案内してくれて無駄なく回れた。

サンクトペテルブルクって大人になってから地図で確認したけど、ほぼ北欧に位置してる。ロシア語専攻しておきながら、まったく位置関係を把握してなかった。今もし行くことがあれば絶対北欧も一緒に回ってる。だってそこまで行ってて北欧寄らないの勿体ないもん。

と言いつつ、モスクワとペテルブルクは卒業旅行でも行った。このときはチェコのプラハも一緒に。卒業旅行はロシアともう一カ国どこか行こうということになり、みんな(私含め6人)が行ったことがない国を選ぶことに。私はロシアしか行ったことなかったので、もう一カ国はどこでも良かった。が、外国語大学だったこともあり、友達は海外経験者ばかりで、イタリア、フランス、ドイツ、スペイン等の有名所は誰かしらが行ったことあるということで、もう一カ国はチェコになったというわけです。プラハも良かった。

20年前の記憶は曖昧で断片的。文章にするのは難しく、思い出せないところもたくさんあって本当に残念。

皆さん、もし、留学することがあれば是非日記をつけてください。今ならSNSに投稿したりブログを書いたりたくさんの方法があって羨ましい。

私には旅行欲というものがほとんどなくて、行くとしたら過去に行って良かった場所にまた行きたいと思う。だからいま海外どこ行きたい?と聞かれると「ロシア」って答える。

確かに行ったことがないイタリアとかスペインとかも興味あるけど、またあのスケールのデカさを感じたい。モスクワ大学へ行って懐かしさを感じたい。若い頃は有り難みを感じ得ることが出来なかった美術館へもう一度行って感動を噛み締めたい。

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