見出し画像

類似性と相補性について

自分と違うタイプの人に興味を持つ、ということはないでしょうか

僕は自分と違うタイプの人が好きだったりします
逆に似たタイプはあまり好まないことがあります

なぜなら、似たタイプの人といても行動パターンや考えが変わらないので、自分が成長しないと思うからです

しかし、違うタイプの人といれば新鮮な価値観や思わぬ行動に出れたりできるのかな、と思うのです

とはいえ、本当に全く違う人とは合わないし、どこか共通点が欲しいところもあったりします

この一見、矛盾する考えですが、心理学の世界では「類似性」と「相補性」というのが人の好き嫌いを分ける要因だそうです

それぞれについて、どういったことかを皆様とシェアできればと思います

類似性とは

類似性とは「自分と他者の性格、体格、価値観など、ある要素が似ている」ということです

同じ趣味や同じ出身地、同じ部活を経験、同世代など同じものを共有していると好感をもつポイントになったりします

このように共通点があると人は安心できるものです

お見合いなどで「ご趣味は・・」や「お仕事は・・」というのは相手との共通点を探り、距離を近づけるためにあるんですね

相補性とは

相補性とは「自分と他者のある要素は異なるが、補いあえる関係にある」ということです

僕はこれを「凸と凹」に例えています
人間には出っ張った部分とへこんだ部分があると思っています
その出っ張りが、へこんだ部分にハマれば四角になります

強気な人と弱気な人が一緒にいたり、積極的な人と消極的な人が一緒にいたりしますよね
前にある飲み会に行ったら、「私はこういう場が苦手なんですが、友達が行こうって、誘ってくれるので助かってます」という人がいましたが、この場合は、「そういう場に行きたい」と「行きたいけど勇気がでない」という凸と凹がハマったパターンだと思います

似ているから嫌い

このように似ているから好きになる、というケースがある反面で「似ているから嫌い」ということもあります

僕の場合ですが、「同世代だから」というのは好きになる要素ではないし、同じような体形の人も良いとは思えません

このように似ているから嫌いになるというのは、心理学で「投影」というそうです

投影とは

自らの内にあるが認めたくない性質や感情を、自分ではなく他の人あるいは物にあるかのように無意識に感じてしまうことを意味する語

という意味で、自分で分かっている嫌な部分が、他人に見えるとそれが嫌なものになるということですね

僕の場合は、同世代にありがちな「自分を守ろうとする気持ち」「積極性に欠ける部分」が見えるのが嫌だったり、太い体形が嫌だったりするのは、自分の中にもそれがあるのを理解していて、相手に見えると「嫌い」になっているということですね

ただ嫌っても仕方ないので、見えた「嫌い」な部分は自分にもあるもの、と受け入れて変えていけばいいと思います

違うから嫌い

違うから好きになることもあれば、嫌いになる事もあります

僕の場合ですが「ナンパな人」が嫌いでした
今では「それも面白い」と思っています

受け入れられるようになったのは、コンプレックスが解消されたからです

僕は元々、女性と話すのが苦手で(30半ばまでまともに話せた覚えがない)、ナンパという真逆ともいえることのできる人が気持ち悪い、なんでそんなことできるのか、そんなに必死で嫌と思っていました

しかし、この違う部分を少しずつ受け入れて、女性と話せないということを解消していくことで、それらの嫌悪感は薄れてきました

要は僕も女性と話せるようになりたかったから、出来る人をねたんでいただけなんですね

まとめ

同じだから好き・嫌い、違うから好き・嫌いは誰にでもある感情です

「あの人のこの部分は好きだけど、あの部分は嫌い」というのが当たり前のことで、嫌いな部分を認めながら、好きが大きいから一緒に入れると思うのです

また、嫌いな部分というのは、自分の変えたいこと、コンプレックスだったりします
そこから学ぶことで自分の成長につながることもあるのです

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?