第一章『憧れ』

 私は三人兄弟の末っ子として生まれました。2歳からモダンバレエ、3歳からピアノを習い、物心がついた頃はすでに、音楽が大好きで、人前に出ることが好きな女の子でした。

 小学校では吹奏楽部に入り、大きくて目立つといった理由でチューバを演奏していました。
 中学へ入学し、部活動を選択する際に、当時仲の良かった友人たちと一緒にバスケ部へ入ろうと思っていたのですが、新入生歓迎会の時の吹奏楽部の演奏にとても感動し、『私もやりたい!!』と、吹奏楽部に入ることにしました。こちらもソロが多くて目立つから、という理由でオーボエを演奏することにしました。
 その時の私は、『将来はプロのオーボエ奏者になりたい』と思うくらい、吹奏楽にのめりこんでいましたが、思春期ならではの人間関係の悩みも多く、うまくいかないことも沢山あり、音楽に集中できない日々にもどかしさを感じていました。

 そんな中、姉の友人が舞台女優をやっていて、東京にその劇団の舞台を見に行くことになりました。新宿の小劇場へは、母と姉と一緒に3人で観にいったことを覚えています。
 舞台上で感情を堂々と表現している俳優さんたちに、ただただ感動し、終演後には、何故だか涙が止まりませんでした。14歳の私にとって初めての体験で、『こんな世界があるんだ…』と衝撃的でした。

 その日から、私の夢は漠然と『舞台女優になりたい』でした。

 その後、上京してオーディションを受けるという勇気はなく、地元で演劇の盛んな高校に進学したいと思うようになりました。
 進路を考えているなかで、群馬で一番大規模にミュージカルを行う部活のある女子高の存在を知り、その部活の定期演奏会を観に行きました。
 当時の部員数は100人を超えていて、まさに宝塚のように男役と女役があり、舞台上で同世代の女の子達が堂々と演技し、歌やダンスをしている姿が、本当にキラキラしていて、それを見て、私は『絶対にここに入りたい!』と思ったのでした。
 しかし、その学校は県内でも有数の進学高だったため、当時の私の学力では、正直難しい…といった状況でした。そこから、親を説得し、塾に通い、必死に受験勉強を行う日々が始まりました。途中で諦めかけた時期もありましたが、家族や先生、友人など様々な人の協力のおかげで、なんとか第一志望に入学することができました。

 高校時代はとことん部活にのめりこみました。先輩や同級生たちの、勉強も部活も一生懸命に頑張る姿がかっこよかったので、私も何とか皆に追いつこうと勉強も頑張りました。そして、3年の進路選択の時、『やっぱり私はミュージカル女優になりたい』と思い、東京に行くことを決意しました。
 当時憧れていた劇団のパンフレットに載っているミュージカル俳優の方々の経歴を調べると、音大を卒業している人が多いことに気づき、『私も音大に入りたい』と思いました。そこで、『無謀な挑戦だ!』と、反対する親を説得し、音大受験に向けて勉強することになりました。その後、最終的には私の夢を後押ししてくれた家族や、厳しくも愛情のある先生方の導きのおかげで、なんとか希望の音大に合格し、私の憧れの大学生活がスタートしました…

続く

次回は第二章『開拓』🔥

 上京してから、大学時代の経験について綴っています。東京での沢山の出会いが、その後の人生を切り拓いていくきっかけになりました。

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