読書メモ 「音楽と音楽家」
「音楽と音楽家」
(電子書籍版)
シューマン 著
吉田秀和 訳
岩波文庫 2013年
ピアニスト、作曲家、そして音楽評論家でもあったロベルト・シューマン。本書はそんなシューマンがおよそ10年の間、雑誌「音楽新報」の中心的編集者として活躍したなかで生まれた論文を抜粋した音楽論評集だ。
シューマンといえば『ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44』が私は大好きだが、批評家としてのシューマンは全く知らなかった。シューマンの父は出版業で財を成し、本に囲まれて育ったシューマンは自然と文学的素養を身につけたという。それを知ると、本書はなるほど納得の内容だ。シューマンの慧眼を感じるとともに、ときに痛快、ときに空想の世界に遊ぶシューマン語録が興味深い。
オイゼビウス、フロレスタン、ラロー先生(メンバーにはベルリオーズも入っている模様)らにより結成された架空の音楽同盟「ダヴィド同盟」。オイゼビウスが「諸君、帽子をとりたまえ、天才だ」と熱狂的にショパンを紹介するが、ショパンにしてみれば、自曲に対するあまりに文学的な解釈に「死ぬほど笑った」そうだ。
しかしオイゼビウスとフロレスタンという対照的な二人による対話体という形式は、作曲家であり評論家でもあるアンビヴァレントな存在、シューマンにしてみれば必然だったはずだ。残念ながら「妖精(大ヒットしたシューマンによる世俗オラトリオ)につれられて遠い国へいってからは、彼らの文筆活動は全く跡をけしてしまった」ようで、ダヴィド同盟は途中解散となるが、個人的にはこの形式を押し通して欲しかった…
リスト、パガニーニなど稀代のヴィルトゥオーソが勃興する時代に生きたシューマンだが、やはりバッハ・ベートーヴェンに対する敬愛を要所要所に感じられるのが嬉しい。
「ああして、あの連中は微笑したり、拍手したりしているけれども、あんなに努力し、あんなに無数の戦に勝利を得た彼を、本当に理解したつもりなんだろうか。彼らは、僕に一番簡単な音楽の法則を説明することさえできないくせに、大家をすっかり判断できる気でいるんだろうか」とフロレスタンにベートーヴェンに対する屈折した(?)ファン心理を語らせるところには、クスッとするとともに共感してしまう。
「音楽新報」に携わった10年は、評論家としての地位を確立した10年でもあり、シューマン独特の卓越した視点を感じる。
理論というものは真理を黙々と映しだす忠実な鏡であるが、また同時にこれに生命を与える対象がなければ、どこまでも死んだ、生命のない鏡にすぎない。これに反して幻想力は、僕にいわせれば、何一つ見透さないもののない女の予言者で、時にはまちがえることもあるが、そんな時こそ、かえってその眼が一段と冴えた魅力に輝くのだ。
批評は、現代を反映するだけで甘んじていてはならない。過ぎ行くものに先行して、将来から逆に、現在を戦いとらなければならない。
また「いい意味での」愛好者気質を過小評価しないようにとも言っていて、あたりまえだが音楽愛のない者は音楽を語るべからずと言っているシューマンは、いい奴だなと思うのだ。
しかし、なんと言っても「音楽の座右銘」という章、これが素晴らしい。音楽家に対する時代を超えたアドヴァイスなのだが、これは何度でも読み返したい。シューマンも言っているのだ。「バッハを勉強せよ」と。
バッハといえば、シューマンはゲヴァントハウス(バッハ率いる市民楽団「コレギウム・ムジクム」はゲヴァントハウスの母体のひとつ)の指揮者だったメンデルスゾーンとの繋がりも深い。メンデルスゾーンの弾く『半音階的幻想曲』を聴いたシューマンが羨ましすぎる。
感想がバッハ・ベートーヴェン寄りになってしまったが、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、リスト、ブラームス、そしてベルリオーズ…がメインキャストなので、ロマン派音楽もっと聴かないと…! と思った次第。
本書は若かりし頃の吉田秀和氏が訳出していて、多少読みづらさがあるものの、シューマンのほとばしる情熱を感じることができる。