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一度しか会ってないのに、一生忘れ得ない人〜『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』〜

アダム・グラント著『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』に衝撃を受けている。

たまたまnoteで以下の記事を見つけ、興味を持ったのがきっかけ。

『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』

ビジネスの世界は、勝ち負けが全てというのが常識のように思われているが、実際には、人に惜しみなく与える人(ギバー)の成功する比率の方が、自分の利益を優先させる人(テイカー)のそれより高いということが、様々な実証実験の結果や、事例を盛り込んで書かれている。

目からうろこが落ちまくった。

今までビジネスやお金の世界は、人間として正しいとか、美しいという感覚とはある意味縁が薄い、と無理矢理思い込んできた。そんなことに目を向けていたら、損をして、結果不幸になると。

ところが。

この本は、まさにそういう考えが間違っていると実証している。

若い頃の私には、企業や会社は結局自分だけの利益を追求するもののように感じられ、新卒で入社した会社を4年で退職した。「だからビジネスの世界は理不尽」と感じていたけれど、この本で180度変わった。

そして、会社勤めをしていた頃、1度しか会っていないのに、最も印象深かった人のことを思い出した。

新人のOJT、飛び込み営業

新卒として、リクルートの関連会社で求人広告の営業職として採用された私は、神奈川営業部に配属され、横浜市内のA区を担当することになった。

当時のA区は、電車で高々15分程度なのに、中華街やみなとみらいのような都会とは全然違う、どこかの地方の片田舎という雰囲気だった。

そのA区で、最初の3ヶ月は既存客は担当せず、ひたすら飛び込み営業をする。今時、飛び込み営業は消滅していると思うけれど、当時はそれが典型的なOJTだった。「体で覚えろ」と言うやつだ。

A区は、1つのビルで100件回れるというような過密地域ではなく、1日頑張ってもせいぜい40件程度回れるかどうか、という地域だった。

今思えばよく回れたなーって感じだけど、それが当たり前と思っていたし、意地もあった。

実際に、あの3ヶ月はその後の勤め人生活に大いに役立ったし、なんなら今でも役に立っていると思う。度胸と、相手に悪態をつかれても、スルーするという鈍感力(笑)という部分で。

冷たくあしらわれるのには大体すぐに慣れる。相手は自分の人生に関係ないと思えば、特に辛くもなんともない。ただ、求人誌の見本誌を10冊位放り込んだ営業鞄がやたら重くて、それが一番苦痛だった(苦笑)

(余談)Y村家に飛び込んだこと

そんな飛び込み営業に明け暮れる毎日を送って、1ヶ月余り経った頃。

1ヶ月もテリトリー内をウロウロしていれば、営業先もだんだんなくなってくる。自然と「さすがにここは、入りづらいなぁ」と思うようなお店や会社にまで行くことになる。

今では家系ラーメンの雄「Y村家」にも飛び込んだ。その頃のY村家は、国道沿いのプレハブのような簡素なラーメン店で、お昼ともなると、剛腕のトラックの運転手のお兄さんたちでいっぱいだった。

お昼に一度、先輩に連れて行ってもらったことがあった。誰一人口も聞かず、黙々とラーメンをすすっている。女性は私だけだったんじゃないかと思う。そんないかつい感じのお店が、Y村家だった。

アイドルタイムを狙って飛び込むと、お店の人たちに、火星人でも見るような目でガン見されたのを覚えている。先輩からは「あそこに飛び込むヤツはお前ぐらいだ」と大笑いされた。

ロマンスグレーのおじさまの経営するお店

何屋さんか全くわからない、住宅街の一隅に飛び込んだのもこの頃だった。

やたらと高級感のある、美しい内装のお店。でも、喫茶店ではなさそう。看板は出ていない。「看板のない会社は要注意」と先輩諸氏からは言われていたので、余計にそれまでは訪ねなかったのだ。

開いていた扉から入るが、誰もいない。

「こんにちはぁ」とやや大きめに声をかけると、奥の方から、昔で言うならロマンスグレーの上品なおじさまが出てきた。

決まり文句である自己紹介と、訪問目的を話す。

おじさまは一瞬沈黙した後「僕はあなたに何をしてあげられますか?」と聞いてきた。

びっくりした。

個人的な感覚だけど、飛び込みの新人営業パーソンに対して、90%の顧客は冷たくあしらう。その話を真面目に聞こうという人は、おそらく1%にも満たないだろう。

なのに、そのおじさまは、私の拙い話を真面目に聞いた上、「自分には何ができますか?」と尋ねてくれたのだ。

営業に行って、逆に「何をしてあげられますか」と聞かれたことは、後にも先にもその時1度だけだ。

毎日の飛び込み営業で、トゲトゲしていた私の心は、急に溶け、体温が戻ってきたような気がした。

今思えば、このお店はハイエンドオーディオの販売店だったのだろうと思う。音楽をリラックスして聴けるような環境を用意してあったのだろう。

ギバーとは

このおじさまこそ、ギバーだったのだと思う。ギバーは「僕はあなたに何をしてあげられますか」という気持ちを、誰に対しても持っている人なのだろう。

人間は本質的に一人では生きていけない。共同で暮らしていけるよう、役割も細分化されている。

だから、人に与えることは誰にとっても気持ちがいい。共同作業に達成感があるのも本能なのだと思う。同時に、誰もが注目されたいと思うのもまた本能的なのだ。

プラスサムゲームはみんなのもの

ギバーもテイカーも、マッチャー(その時々のバランスで得な方につく人)でも、この世には必要なものだと思う。ただ、バランス感覚と、長い目で見られるかどうか、ということが大きな鍵になるのかもしれない。最終的には、ゼロサムゲームより、プラスサムゲームの方が、みんなの利益になるのだから

ロマンスグレーのおじさまが、そのことをご存知だったかどうかはわからない。如何にも新卒です、と全身で言ってる若者がやってきて、一生懸命売り込んでいる様子が面白かったのか、気の毒に思ったのかもわからない。

でも、見ず知らずの私に与えようとしてくれたことは、おじさまの落ち着いた微笑みと共に、ずっと心の奥に佇んでいたのだ。

あの頃からもう30年近く経った。その後、おじさまにはお目にかかっていないが、こんなタイミングで思い出すのも何かの縁かもしれない。

もし、再会する機会があったら、あの時はありがとうと心からお礼を言いたい。そして可能なら、おじさまオススメのハイエンドオーディオを買ってみたいものである。






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