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ロマンポルノは日本文化の象徴かもしれない、と思った話

2019年1月。
北海道地震後の復興支援のため、中国向けインバウンドの復興を目的として、中国人のSNSで圧倒的人気を誇る中国のメディアチームを北海道に招致し、旅番組を制作してもらった。

ある日の夕食の時の話題で、お風呂の入り方の話が出た。
意外なところで、中国と日本で、お互いびっくりするような文化の違いがあったことを、こちらのnoteに書いた。

お風呂のお湯を入れ替えるか否か

中国人は、配偶者の後にお風呂に入る際には、お湯を入れ替える。

対して日本では、家長やお客様に「一番風呂」に入っていただくという文化があるくらいで、お湯をいちいち入れ替えることはしない。

えー!そんなことあるの??

と、お互いにびっくり。
2019年厳冬の北海道で、私たちは大いに盛り上がった。

「キスは別」って?

その時私は、配偶者の後、お風呂のお湯をわざわざ入れ替えるってことは、性行為について、中国人はどう感じているのかな?と不思議に思った。

中国人に聞いてみると、「キスは別!」だという。

その時は「そりゃそうだ!」となって笑い合って終わったんだけど、
実は、このことがずっと引っかかっていた。

それで今朝、箒がけしていて、ふと思いついた。

中国人及び西洋人にとっての「性行為」は、もしかするといわゆる恋愛やロマンスからはみ出たものかもしれない。

性行為はある種最もプリミティブな衝動。
きっかけは恋愛であっても、動物的で即物的な行為で、知的ではないという感覚なのではないだろうか。
(必ずしも人種やお国柄によらず、感覚には個人差あると思います。あくまで相対的な文化として捉えているので悪しからず)

対して、日本人はそこにもロマンスを感じてしまう。
それも「恋愛」という物語の一部なのだ。
「ロマンポルノ」が日本独自の文化だということで、海外で非常に評価が高いのはそういうことなのかもしれない。

掃除は何のため?

上述の記事にも書いたが、例えば、掃除の仕方をとっても、日本と中国や西洋諸国では大きな違いがある。

日本の掃除ーーハタキで埃をはらう、箒で塵を掃くーーは、西洋や中国人から見れば、単に塵芥を巻き上げているだけ。

でも、日本人にとっての掃除はそもそも、「清らかな」雰囲気を作り、清浄な場にするための儀式のようなもの。極論、数値として、また見た目として、埃がない状態を目指しているわけではない。

そう考えると、日本人は客観的に目に見える物より、見えない感覚を大事にしているとも言える。

だから、接触した時に、バイ菌が気になるとか、それは倫理的にNGだという前に、その時の自分の身体の感覚はどうなっているのかを、まず見ているのではないだろうか。

西洋や中国であっても、「そこは別!」と言うのだから、性行為の際には自分の感覚を最優先しているんだろうけど、即物的な「動物的本能」だからやむを得ないというのと、見えない感覚を追っているのでは雲泥の差ではないかと思う。

陰翳礼讃

谷崎潤一郎の名著『陰翳礼讃』でも語られているように
日本文化は接触の美学であり、ビジュアルの前に「触れた感じ」を大切にしている。

そういった見方をすれば、ロマンポルノが海外で高い評価を受けるのは当然のような気もする。

ということで、梅雨の夜を鬱陶しいと思わず、裸電球の明かりの下で、湿り気の多い空気感を味わってみようと思う。










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