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目に見えない微生物やPM2.5のこと

#未来のためにできること

今日から8月。

今朝6時前に市民農園に行って草取りをした。

先日まで収穫に追われていたキュウリも終わりを告げていた。

キュウリの酢の物にキュウリのサラダにキュウリのお漬物も数種作って、キュウリの消費に疲れた七月も終わり、八月からは秋野菜のことを考える。そんな季節。

草取りをしながらいつも私は微生物のことを考えている。

農園の草は、残渣置き場に置く。そして下の方は堆肥となっていく。

家の庭の草も私は燃えるゴミに出さないで庭の隅に置いておく。枯れてきたら植物の周りにマルチみたいに使う。

生ゴミも燃えるゴミに出さないで堆肥化している。

野菜で捨てる部分、成長点の部分の最もエネルギーのある部分は良い堆肥となると思っている。

堆肥となる時は目に見えないけど微生物が大活躍して分解している。

目に見えるミズアブやダニも分解に大活躍している。

その分解力は微生物の比にならない。

しかし目に見えるとなると人間から嫌がられ除去されがちである。

そんな小さな虫たちだが、地球にとって大切な分解者である。

私がよく行くスーパーの入ってすぐのところに除草剤が置かれている。

草取りは大変だから除草剤を撒いて取り除く。草が枯れて土がむき出しになる。それが美しく感じるかどうかも疑問だけれども、微生物も殺している。

微生物が声を発することが出来たら相当気持ち悪いだろうが、除草剤が撒かれたり、畑の消毒などのたびに悲しい叫び声をあげるだろう。

微生物は優しく健気で忍耐強くそして力強い。人間の事もきっとあきらめながらもいつか理解される日を夢見て今もどこかで精一杯働いているだろう。

微生物ののことは私は詳しいことは何も知らない。

ただ、この地球に生まれてきた私たちは地球で快適に暮らしていきたいと思っているのなら、孫たちも孫の子供たちもそのまた子供たちもこの地球で快適に暮らしていくのを望むのなら、微生物を殺してはいけない。

地球人として生きていくのを選ぶのなら、微生物と共存していくのを選んだんだから、何もかも人間に都合が悪いものを削除していけばいいというものじゃない。

分解しないものを作ってもいけない。

安くて軽くて丈夫で透明なものもある便利なプラスチック。

プラスチックを使うことに何ら罪悪感を感じないくらいにプラスチック製品があるれている。

プラスチックは紫外線に当たると微粒子となって空気中を浮遊する。

そしてpm2.5の一部となる。

プラスチックは永遠に分解しない。
(数百年かければ分解するらしいなどといわれているけれども)

分解したとしても後300年くらいは残り続けて空気中や海を汚染し続ける。

プラスチックの洗濯バサミは紫外線にさらされ粉となりマイクロプラスチックとなる。

私はせめて紫外線に当たるような所でのプラスチックの使用は避けたいと思っている。

pm2.5は嫌いだけどpm2.5の一部であるマイクロプラスチックを自分から生み出してしまっていることには気づいてない人は多いだろう。

分解しないプラスチックを大量に生み出したここ数十年?の罪深さは計り知れないだろうと思う。

今生まれてきている子供たちはそんなプラスチックに代わる画期的な分解する何かを生み出すだろうと思う。

微生物についても今生まれてきている子供たちが微生物の偉大さについて、知られていない事柄についても研究が進み、これまでの間違った考えが変わっていくだろう。

私の家の庭ともよべないくらいの狭い土には私が植えたたくさんの植物があり、たくさんの微生物がいると思う。

上を見上げると空が見える。

当然だけど空が見える。

太陽の光がなんの障害物もなく私の庭の植物たちに降り注いでいることに感謝をして、植物たちとこれからも付き合っていきたい。

見に見えないけれども声も聞こえないけれども、人間に従順で健気で本当は力強い微生物のことも忘れないで付き合っていきたいと思う。



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